青木君


 次はだれの相談でしょう。ノッポの彼は、そわそわしてから切り出しました。


「それじゃあ、僕の悩みでも話すか」


 あとの四人は身構えます。あとの四人とは、相談役の浦島君と、したり顔の久保さん、背の低い安村さん、そして、ずっと本を読んでいる阿部さんです。


「悩みというか、実は、納得がいかないことなんだけど」

「なあんだ。じゃあ別に、お気楽でいいねえ」

「よくないだろ。安村、お前、俺をなめているな」


 彼女は頭に拳骨をこつんとおいて、舌を出しました。こういうところが、同性から嫌われる原因となっているのでしょう。青木は、そんな安村を無視して、話を進めます。


「国語の安西が、カルマってのを語ったんだ。良いことをしたら、良いことが帰ってくる。反対に、悪いことをしたら、悪いことが帰ってくる。お前はきっとこれから苦労する、とかみんなの前で言われて、大恥をかいた。だから反論したんだ。どういう理論なんだよってな。そしたら、しどろもどろでさ。やっぱり、嘘っぱちだってな」

「なら、それでいいんじゃないかい。カルマのシステムはまがい物だった、で」


 と浦島は指摘します。


「浦島君の言う通り、それならば、それで解決じゃない。それとも青木、怖いの。カルマってのが」


 久保さんは、にやにやと赤い唇を吊り上げました。


「いや、怖かねえよ。ただ一見、明らかにオカルトなのに、世の中にはそういった事例が溢れてるのが不思議でたまらない。こないだなんて、妹のプリンを食べたら、夜中に腹を壊したんだ。そしたら、消費期限切れだったんだよ」

「さいてえ」

「なんだと」


 と拳骨をしかけますが、カルマを思い出して延期しました。安村は、それはそれで物足りないのか、上目遣いをしています。彼女には、一種の被虐趣味があるのかもしれません。


「わかった。仕組みを説明するのが目標だね」

「カルマじゃないにせよ、どうして、この世にそういった事例が多いのか。シーソーとか、ブランコの例えみたいに」


 浦島君は、深呼吸してから、解説を始めました。


「それはね、この世の中が無から始まったからだよ」


 その壮大な始まりに、三人はぽかんと口を開けました。阿部さんだけは、本の世界に没頭しています。


「それが一体どう、カルマと結びつくってんだよ」


 青木の、混じりけのない疑問でした。


「まあ、ゆっくり解いていこうよ。そうだね、方程式、ってのを算数の時間に教えてもらっただろう」


 算数の時間に背伸びした中田が、方程式の定義を、先生に質問したのでした。それは六限目のことなので記憶に新しいことです。方程式。それは、答えがゼロになる式のこと。


「それが、どうかしたのか」


 と青木。


「あっ、もしかして宇宙は無から生まれたから」


 久保さんは、ピンと人差し指を立てました。その指は、すらりと長く、大人びています。安村が羨ましがるくらいに、スタイルの良い指です。


「ご名答。そうだね。だから、この世の中は、イコール・ゼロの方程式ということ。言い換えると、プラスがあればマイナスがなければならない。そして、マイナスがあればプラスがなければならないんだ。ほら、1+-1=0 。この通りさ」


 ゼロにするために、釣り合いを取ろうとする機構が、この宇宙には備わっているのではないか。


「ふうん、それは納得した。だけど、悪いことは、マイナスなんじゃないか。だったらプラスのこと、つまり良いことが起こるべきだ。悪いことは、良いことによって、バランスを取られるべきじゃないか」

「ううん、青木君、悪いことは本質的にはプラスなんだ。なぜかって、そりゃあ、楽して利益を得ることなんだからね。逆に、善行は、その人にとって損になる。だって、時間と資源を割いて親切をするんだからさ」

「なるほど。そういう考え方もあるのか。よし、納得した。これからは、沢山、いいことをする。俺は決めた。そして、幸せになるんだ」


 青木君は、意気込みます。


「早く、カルマがゼロになるといいねえ」

「やーすむーら! それはどういうことだ!」


 青木君は、安村に拳骨をしかけましたが、カルマのことを思い出して、途中でやめました。そして、安村はやっぱり、そのことについて、不満そうな目で上目遣いを送るのでした。

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