知らない母の面影

「兄上、邪魔です」


 ヨナに冷たい視線を向ける、父譲りの燃えるような赤い髪と母譲りのヘーゼル瞳を持つ少年。


 ラングハイム家次男でありヨナの腹違いの弟、ジークバルトだった。


「聞こえませんでしたか? これから訓練をするので、兄上は邪魔だと言ったんですが」

「あ、あはは、そうだったね……」


 ジークにジロリ、と睨まれ、ヨナは愛想笑いをしてぎこちない動きでその場から離れる。

 すれ違いざま、ジークが鼻を鳴らした。


 出来損ない・・・・・のヨナと、才能あふれるジーク。

 いつも比較対象にされ、ヨナはできればジークのそばにいたくなかった。


 一方のジークも、先妻の息子でありただ一年早く生まれただけのヨナが自分と同じ次期当主候補であることに、含むところがある。

 自分こそが次期当主であると信じて疑わないジークも、やはりヨナを目障りに思っているのだ。


 ヨナは訓練場の端で膝を抱えて座ると、その態度を隠そうとしないジークの訓練の様子を眺める。


 ヨナよりも一つ年下であるにもかかわらず、無駄のない洗練された動き。

 指導しているモーリッツも、ヨナの時とは違ってジークの才能に興奮している様子がうかがえた。


「……僕が、せめて普通の身体だったらなあ」


 そう呟いた後、ヨナはハッとしてかぶりを振る。

 自分の壊れた身体では叶わない願望だと言うことは、ヨナ自身が一番理解していた。


 だからこそ古代魔法を覚え、不完全ではあるもののここまで身体を動かせるようになったのだ。

 先程の呟きは、そんな彼の努力を自ら否定するに等しい。


(そうだよ……身体の操作だって、もっと努力して上手くなれば、きっと普通に・・・なれる。だから、羨ましくなんかないよ)


 ヨナは自分自身に心の中でそう言い聞かせ、拳を握った。


 ◇


「あなた……そろそろジークのお誕生日ですよ?」

「うむ」


 家族での夕食中、ヘルタがおずおずと告げ、ラングハイム公爵が頷きながらナプキンで口元を拭った。


 あと一か月もすれば、ジークは十歳の誕生日を迎えることになる。

 いつもは夕食に場にいないヨナを同席させたのは、どうやらその話を伝えるためだったようだ。


 だが、その三日後に十一歳となるヨナの誕生日について、二人は触れようとしない。

 とはいえ、これは別に今に始まったことじゃなかった。


 ジークの誕生日を盛大に祝い、三日後のヨナの誕生日はあくまでもなかったもの・・・・・・とされているのだから。


 招待客の全てがジークに祝福の言葉を贈り、ヨナは会場の片隅で独り壁とたわむれるだけ。

 そんな誕生パーティーなど、ヨナにとって苦痛でしかない。


「次のジークの誕生パーティーでは、大事な発表がある。ヨナタンもジークも、相応しい格好をするように」

「は、はい」

「はい」


 ラングハイム公爵の言葉に、二人は頷く。


(なんだろう……父上の仕事のことかな……?)


 これまでもラングハイム公爵は、家族の行事を利用して招待客……貴族の面々に、立ち上げた新規事業の売り込みなどをしていたことがある。

 今回も同じなのだろうと、ヨナはそれ以上考えなかった。


 だがその一方で、ヘルタとジークはどこか顔を紅潮させている。

 周囲にいた使用人達も、どこかぎこちない。


 残念ながらその変化に気づかなかったヨナは、いつものように食事を終えると。


「それでは、失礼します」


 席を立ち、食堂を後にした。

 夕食は忙しいラングハイム公爵も揃う数少ない家族団欒だんらんの場であるが、その輪の中にヨナの居場所はない。


 そのことを理解しているヨナは普段は同席せず、やむなく同席する場合もすぐにその場からいなくなるのだ。


 三人の家族は、そのことに誰も気づいていない。

 ……いや、ラングハイム公爵はともかく、ひょっとしたら後妻であるヘルタと腹違いの弟のジークは、最初からヨナを家族と認めていないのかもしれないが。


 ヨナは廊下を進み、一番奥にある部屋へと足を踏み入れる。


「母上……」


 ヨナが顔を上げ、ポツリ、と呟く。

 彼の目の前には、一枚の絵が飾られていた。


 若い頃のラングハイム公爵と、その隣には黒髪と同じく黒い瞳の美しい女性。

 絵の中にいる彼女こそが、ヨナの母親……“マルテ=コルネリア=ラングハイム”だ。


 マルテは身体が弱く、ヨナを産んですぐに他界した。

 ラングハイム公爵は彼女の死を嘆き悲しんだが、『五大公爵家の当主が独り身というのは体裁が悪い』との皇室や親族達からの圧力もあり、侯爵家の令嬢だったヘルタを後妻として迎え入れている。


 三人が家族で食卓を囲む中、この部屋で実母の絵を眺めるのがヨナの日課であり、この屋敷の中で唯一のり所だった。


「もし母上が生きていたら、僕はもっと見てもらえたのかな……?」


 物心ついた時からずっと孤独だったヨナ。

 まだ子供に過ぎない彼が、知ることのない母の温もりを求めてしまうのは、当然である。


 それでも……その温もりを与えてくれる人は、ここにはいない。


「また、来ますね」


 ヨナは絵の中にいる母に向かって深々とお辞儀をすると、部屋を出て自室に帰っていった。

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