才能豊かな弟

「おっと、もうこんな時間だ」


 時計の針が夜十時を指しているのを確認し、ヨナが慌てて支度をする。

 今日は、月に一度のお出かけの日なのだ。


 家族はもちろんのこと、使用人達にも内緒で。


 少し時間がかかったものの、着替えを終えたヨナが床に向けて指差すと、ものすごい速さで複雑に動かした。


 すると――光の魔法陣が、床に浮かび上がる。


「さあ、行こう」


 ヨナは魔法陣の上に乗って『座標N251、W017』と唱え、ラングハイム家の屋敷から馬車で二週間以上かかる距離にある帝都の、一軒の古ぼけた二階建ての建物の前まで一瞬で転移した。


 ――コン、コン。


 少し朽ちた木の扉をノックし、ヨナは住人が現れるのを待つ。


 しばらくすると。


「……ようこそお越しくださいました」


 扉を開けて姿を現したのは、無精髭ぶしょうひげを生やした仏頂面の中年の男。

 だが、その言葉遣いはとても丁寧であり、ヨナを見るなり会釈した。


「今日もよろしくお願いします、“ギュンター”先生」


 ヨナも男……医師のギュンターに負けじと深々とお辞儀をする。

 ギュンターは今でこそ帝都で小さな診療所を構えているが、四年前までラングハイム家の専属医師を務めていた。


 だが、ヨナが古代魔法によって寝たきりではなくなったことから、彼はラングハイム公爵に解雇されてしまったのだ。


 とはいえ、ヨナが元気なように振る舞えるのも、あくまでも古代魔法によるもの。実際は何一つ症状は改善されていない。

 このためヨナは、罪滅ぼしも兼ねてこうやってラングハイム家に内緒で定期的に通っている。


 ラングハイム家から割り当てられている、ヨナへのお小遣いのほとんどを持参して。


 ちなみにお小遣いと言っても、その額は侮れない。

 何せ帝国五大公爵家の一つであるラングハイム家だ。ヨナのお小遣いだけで、ギュンターが公爵家から受け取っていた報酬以上もあるのだから。


「さあ、どうぞ中へ」

「失礼します」


 ギュンターに中へと案内され、診察室の椅子に座った。


「では、楽にしてください」

「は、はい」


 慣れた手つきでギュンターがヨナの身体を触診する。

 くすぐったいのか、ヨナは少し笑いをこらえる仕草を見せた。


「……はい。いいですよ」

「あ……ありがとうございます。それで……」

「前回の検査結果も少々時間がかかりそうですので、また次の診察の時に」


 おずおずと尋ねるヨナにギュンターは抑揚のない声で答えると、机の上にある羊皮紙に何かを記していた。

 おそらく、今日の診察結果を記録しているのだろう。


「では、こちらは一か月分のお薬・・です。毎朝欠かさず飲んでください」

「はい。ありがとうございます。それと、こちらは今回の診察代とお薬代です」

「……いつもすみません」


 ヨナは金貨がずっしりと入った袋を渡し、改めて深々とお辞儀をする。

 ギュンターは渋い表情をするものの、ヨナから袋を受け取った。


「それではお気をつけて……といっても、魔法で転移するだけなので気をつける必要もありませんでしたね」

「あ、あはは……」


 おどけるギュンターに、ヨナが苦笑した。


「失礼します」


 来た時と同じく床に魔法陣を出現させたヨナはその上に乗ると、ラングハイムの屋敷に転移する。


 すると。


「……言えるわけがないだろう……っ!」


 険しい表情のギュンターは拳で机を思いきり殴りつけ、絞り出すような声で呟いた。


 ◇


「それでは、今日の訓練を始めましょうか」


 次の日、ヨナは訓練場にいた。

 もちろん剣術の訓練のためだ。


 目の前には、剣術指南役の“モーリッツ=プライス”がつまらなそうな表情で腕組みをしている。


 ヨナはモーリッツが嫌いだった。

 彼は弟であるジークの剣術指南役も務めているが、訓練中は常にヨナとジークの差を比較し、指導しても思うように動くことができないヨナを見ては溜息を吐くのだ。


 確かにモーリッツの剣術の腕前は一流であり、それはヨナも理解している。

 だが、これまで常にジークと比較され続けてきたヨナにとって、彼の言動や態度はただ苦痛でしかない。


 それでも歯を食いしばって剣術の訓練に励むのは、いつか自分の努力が誰かに認められると、そう信じているから。

 こんな訓練をいくらしたところで、上達することは永遠にないのに。


「……今日はこのくらいにしましょう」

「あ……ありがとう、ございまし、た……」


 身体は全て古代魔法によって動かしているため、筋肉疲労といった類はない。

 だが繊細な演算処理を求められる身体の操作を、さらに剣術に合わせて行うというのはこの上なく神経をすり減らす。一歩間違えれば古代魔法の訓練をしていた頃の人形のような無残な姿と化してしまう。


 このため訓練を終わった直後は、ヨナはいつも疲労困憊こんぱいだった。


「ハア……ジークバルト様であれば、この程度の訓練なら汗一つかくこともないというのに……」


 いつものように溜息を吐き、モーリッツは呟く。

 それこそ、ヨナに聞こえていようがお構いなしに。


 疲れ切った神経に鞭打ち、ヨナは身体を起こした。

 普段であればもう少し上手く操ることができるが、今の彼にはこれが限界である。


 そんな姿が、余計にモーリッツを苛立たせた。

 自分の剣術は、このような出来損ない・・・・・の公爵子息に教えるためのものではないのだと思いながら。


 すると。


「兄上、邪魔です」


 ヨナに冷たい視線を向ける、父譲りの燃えるような赤い髪と母譲りのヘーゼル瞳を持つ少年。


 ラングハイム家次男でありヨナの腹違いの弟、ジークバルトだった。

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