余命一年の公爵子息は、旅をしたい

サンボン

序章 余命一年の公爵子息

出来損ないの公爵子息

「ハア……聞いたわよ“ヨナ”。あなた、また乗馬の訓練を受けなかったそうね」


 西方諸国の大国、“エストライア帝国”にある五大公爵家の一つ、ラングハイム公爵家夫人である“ヘルタ=ゲルトルート=ラングハイム”は屋敷の廊下の中央で顔をしかめ、目の前でうつむく少年を睨む。


 少し癖のある黒髪を持つオニキスのような瞳をした、ヨナと呼ばれた少年……“ヨナタン=ゲーアハルト=ラングハイム”は、生まれつき身体が弱かった。

 今でこそ不自由がありつつもこうして普通の生活ができているものの、四年前の七歳まではずっと寝たきりの生活を送っており、そのこともあって乗馬はおろか、剣術など身体を動かすようなことは得意ではない。


 だが、貴族の長男として生まれた以上、剣術や乗馬は最低限会得する必要がある。

 有事が起これば、いざという時に兵を率いて戦わなければならないのだから。


 とはいえヨナも好きで怠けたわけではない。

 この日はいつにも増して体調が悪く、とても訓練を受けられるような状態ではなかったのだ。


 とはいえそんな事情など、ヘルタにとっては関係のない話だが。


「やはりラングハイムの家督は、“ジーク”が……」

「奥様」

「……そうね、失言だったわ」


 これまで無言で控えていた執事の“パウル”にたしなめられ、ヘルタは視線を逸らす。

 次期当主を決めるのは現当主のラングハイム公爵であり、それを承認するのは皇帝なのだ。ヘルタの言葉は、越権行為に他ならない。


「とにかく、あなたもラングハイム家の者として恥ずかしくないよう、もっと精進なさい」

「はい……」


 ハンナはヨナを一瞥いちべつし、パウルを連れてこの場を離れた。

 ヨナは悔しそうに唇を噛み、拳を握りしめる。


 彼もハンナの言うことは理解している。

 ラングハイム家の長男である以上、それに見合うだけの能力が求められることは当然だ。もし愚鈍な者が当主となれば、たとえ五大公爵家のラングハイム家といえど、没落してしまう恐れもあるのだから。


 でも、ヨナにとってはここまで身体を動かせるようになったことでさえ、奇跡のようなもの。

 健常者と同じように振る舞うことなど、今の彼には到底不可能なのだ。


 とはいえ、ハンナが不意に言いかけたこと……まもなく十歳を迎える弟の“ジークバルト=クラウス=ラングハイム”を次期当主に推していることに、ヨナは悔しく思いつつもそれを心のどこかで受け入れてしまっていた。

 ヨナと違って既に馬を乗りこなし、剣術に至っては大人の騎士にすら勝利するほどの才能を持ち合わせている。


 少々怠けるところはあるものの座学においても優秀で、ラングハイム家の者のほぼ全員が、出来損ない・・・・・のヨナよりも弟のジークを次期当主に望んでいることは暗黙の事実だ。


 それでも。


「僕は……っ」


 ヨナは天井を見上げ、唇を噛みしめて必死に涙をこらえた。


 ◇


「ん……よし」


 夜になり、ヨナはいつものように手足の動作を一通り確認して満足げに頷いた。

 最初の頃は歩くことも、ベッドから身体を起こすことすら困難だった彼だが、ある一冊の本を読んでから、日々の修練によってここまで回復することができたのだ。


 ……いや、この説明は正確ではない。

 彼は、何一つ満足に動かすことができなかった身体を、ここまで操る・・ことができるようになったのだ。


 寝たきりだった幼い頃のヨナは、本を読むことだけが唯一の楽しみだった。

 最初は使用人に読み聞かせてもらうだけだったが、それだけでは満足できなくなり、彼はベッドの中で必死に文字を勉強する。


 その結果、ヨナは四歳の時にラングハイム家に所蔵されている本に使用されている文字を全て習得し、一人で難解な本であっても読むことができるようになっていた。

 しかもそれは帝国文字だけに限らず、他国の文字に加えて古代文字すらも解読してしまうほどに。


 ある日、ヨナは一冊の本に出逢う。


 その本に記されていたのは、現在では失われてしまった古代魔法の全て。

 特に珍しい代物ではないものの、残念ながらこの世界にその使い手は一人もいない。


 なぜなら、たとえ古代文字を解読したとしても理解できない複雑怪奇な文字列や紋様で構成されており、過去に多くの魔法使いが挑んだものの誰一人として解読できなかったのだから。


 おそらく歴代のラングハイム公爵の誰かが、コレクション感覚で蔵書に加えたのだろう。

 使用人が持ってきた本の中に偶然・・紛れていた古代魔法の本を見たヨナは、あまりにも複雑極まりない内容に混乱する。

 当然だ。世界中の魔法使いの誰一人として解読できず、超一流の魔法使いですらさじを投げてしまうこの本に出逢ったのは、彼がまだ五歳の時だったのだから。


 それでもヨナは、必死になってその本を……いや、古代魔法の数々を解き明かそうと日々向き合い、没頭した。

 本に記されていた、たった一つの一文。


『物体を操る魔法』


 これに、一縷いちるの望みを託して。


 だが、その道のりが険しいことなど、考えるまでもないのは火を見るよりも明らかだった。

 まずは古代魔法の初歩的な仕組みを理解し、次に応用として様々な法則による複合的な組み合わせの構築。それを理解・習得したら、今度はさらに複雑に組み上げていくのだ。


 一般的な魔法使いであれば、その初歩を理解するだけでも十数年は必要であり、この本の中盤すら理解することもできずにこの世を去っていることだろう。


 それを、ヨナはたった二年でやってのけた。


 古代魔法の理論を習得したヨナは、次は実践に取りかかる。

 最初はそばにあったペンなどの小さなものから、徐々に椅子といった大きなものを魔法で持ち上げたり下ろしたりすることから始め、人形を用いて複雑な動きにも挑戦した。


 途中、思うように操ることができずに壁にぶつけて壊してしまったり、人形の関節をあり得ない角度にじ曲げてしまったりと、その操作に難航する。

 それでも七歳の頃には、動かないものであれば自在に操ることができるようになった。


 いよいよヨナは、最終目標に挑む。


 それは、人間を操るというもの。

 危険が伴うため、まずは動物で実験すべきだったが、そもそも寝たきりのヨナには動物と触れ合う機会がない。


 こうなると、必然的に被験者は限られる。

 そう……ヨナは自らを実験台にするしかなかったのだ。


 操作を誤れば、ヨナはこれまでの修練の中で破壊したペンや椅子、人形などと同じ末路を辿たどることになるだろう。

 その時は、最悪命を落としてしまうかもしれない。


 でも……それでも、ヨナは挑んだ。

 普通の人と同じように歩くという、物心ついた時からのちっぽけな……だけどとても大きな夢を叶えるために。


 そして。


 ――ヨナは、自分自身の身体を操ることに成功した。


「うわあああああああああ……っ!」


 ヨナは泣いた。声を上げて歓喜の涙をこぼした。

 公爵家の専属医師から、『立ち上がることすら不可能』と言われていた自分が、立つだけでなく見事に歩いてみせたのだ。


 このことを父に、家族に、使用人達に教えたかった。

 ヨナはぎこちないながらも、一歩、また一歩と足を前に出す。


 途中失敗して転んでしまうこともあったが、それすらも彼にとって心地よかった。


 迷いながらも、ラングハイム公爵である父、“フランツ=アルフレート=ラングハイム”の執務室まで一時間もかけてたどり着き、咳払いをして扉をノックする。


 驚く父の顔を見たくて。

 寝たきりだった自分のもとに、これまで一度も訪れることのなかった父の姿を見たくて。


「入れ」


 扉の向こうから、父の声がした。

 ヨナは必死になって扉を押すが、身体の操作が上手くできないがゆえに、思うように開いてくれない。


 かといって今のヨナでは、自分の身体と同時に他の物体を古代魔法で操ることは不可能。

 体重を預け、ようやく扉の隙間ができたところで。


「……何をしている」

「あ……っ!?」


 待ちかねたラングハイム公爵が扉を開けてしまい、支えがなくなったヨナはもんどり打って床に倒れ込んでしまった。


「お前は……ひょっとして、ヨナタンか……?」

「は、はい! ヨナタンです!」


 最初はいぶかしげに見ていたラングハイム公爵だったが、そのことに気づき目を見開く。

 ヨナも父親に気づいてもらえた嬉しさで、声を上ずらせて頷いた。


 だけど。


「なんだ。寝たきりではなかったのだな」

「あ……」


 それだけを告げると、ラングハイム公爵はまた自分の机に戻り、仕事を再開する。

 倒れたままのヨナに、一瞥いちべつもくれることなく。


「仕事の邪魔だ。早く部屋に戻れ」


 ペンを走らせる音に乗せて、ラングハイム公爵は言い放った。


「……失礼しました」


 そばの壁につかまり、やっとの思いで立ち上がったヨナはお辞儀をすると、開け放たれたままの扉から、来た時と同じようにぎこちない足取りで執務室を出た。


 オニキスの瞳からとめどなくあふれる悲しみの涙で、頬を濡らして。


――――――――――――――――――――


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