風は止まない

流々(るる)

ナベに捧げるとりとめのない想い

 暗いニュースが続いた三が日も明けた一月四日の夜。九時を過ぎたころに、立てかけていたスマホの画面が明るく光った。

 表示されていた名はトモ。うちのバンド、Blowのドラマーだ。

 彼から電話がかかってきたなんて何年振りのことだろう。記憶にない。なにかあったのか、とスマホへ手を伸ばす。


「もしもし、どうした?」

『うん……。ナベの具合が悪くって、もって一月いっぱいだって由美ちゃんから連絡があった』


 いま彼が言ったことを理解するまで、なにも返せずに間があいた。

 ナベの具合が悪いって……そんなこと聞いてないよ。もって一月いっぱいって、いきなり何なんだよ。


『それでね、俺たちに会いたいって。ナベがそう言ってるみたい』

「ずっと悪かったの?」

『すい臓がんだって。俺、明日は休みだから行ってくるよ』

「俺も行く」


 翌日の十一時にナベの家へ行く約束をして電話を切った。

 暮れに退院して自宅療養しているとのこと。トモの奥さん、テルと由美ちゃんは高校の同級生だったから、まず彼女へ連絡したらしい。

 うちのバンドメンバーは、みんな中学の同級生。キーボードのナベとベースの俺は中三の同じクラス、同じ班で、俺の二つ前の席がナベだった。知り合ってから四十年以上が経つ。お互いに元カノのことだって知っている仲だ。

 すい臓がんは発見するのが難しく、進行も早いと聞く。

 コロナ禍で三年近くもバンド活動を休止していたことを悔やんだ。



 一月五日は朝から柔らかな日差しが降り注いでいた。

 ナベの家の前にある親水公園でトモと待ち合わせた。日向にいると暖かい。彼を待っている間にナベの家を見上げた。三階に白いカーテンが掛かったままの部屋がある。

 テルと一緒に来るのかと思っていたらトモは一人だった。


「由美ちゃんは仕事で出掛けてるって。訪問看護の人がいるみたい」


 インターホンを押すと息子くんがドアを開けてくれた。

 この階段を上るのは何年ぶりだろう。

 三階まで上がり、部屋に案内される。

 中へ入ると、白いカーテンが掛かった窓際のベッドにナベがいた。


 ナベ、いまだから正直に話すよ。


 本当に、言葉もないほど驚いた。

 ベッドの上に横たわっていたのは俺の知っているナベなんかじゃなく、とっても、とっても小さくなってしまってやせこけた老人だった。

 ここがナベの家でなければ、目の前にいる老人がナベだとは信じられなかったと思う。

 それでもトモが声を掛けたら「会いたかった」と右手を静かに上げたよね。

 俺の声を聴いて「来てくれたんだ。会いたかったよ」と言ってくれた。

 体が痛くて左側にしか顔を向けられないから、と右側に座る俺たちへ謝る声もどこか遠くから聞こえてくるような知らない声だった。

 トモと交代で右手を握る。その手は温かい。

「俺たちのことなんか気にしなくていいから。楽にしてて」それしか掛ける言葉がなかった。

 ナベの枕元には点滴がぶら下がっていた。体を動かすのもしんどいのだろう。眠っているかのように静かに上を向いている。

「やせちゃって、三十五キロしかないんだよ」

 ささやくようにつぶやいた。昔からぽっちゃり体型だったことを知っているだけに、目に映る姿と相まってその言葉が刺さる。

「俺の分も美味しいものを食べてね」

 ナベ、そんなことを言うのはずるいだろ? 俺たち、なんて返せばいいんだよ。


 これだけの会話で疲れてしまったのか、ナベが静かになった。

 トモも俺もかける言葉が見つからず、部屋に沈黙が満ちていく。

 切り出すなら今しかないか。

 持ってきたノートパソコンを取り出しながら「俺たちのライブをYoutubeにアップしたからさ」と声を掛けた。



 トモの電話を受けた昨夜はなかなか寝付けなかった。

 目を閉じてもいろいろな思いが湧きあがってくる。

 少しでも元気づけたい。俺になにが出来るだろうか。ぐるぐると回った思いがたどり着いた先はYoutubeへの動画アップだった。

 これなら気軽にスマホでも聴ける。ナベを元気づけるなら、やっぱり音楽だろう。でも、元気なころの自分の姿に落ち込んでしまうかも……。

 うだうだと考えてるよりも、今やれることをやろう。

 そう決めて、起きてから古い映像データを探し、アップロードの方法を検索した。



 パソコンを立ち上げて再生を始めた。

 ドラムとベースの力強いアップビートのリズムが刻まれる。ギターのリフが始まりイントロに入った。


「カッコイイ曲だな」


 天井を向いたままのナベがつぶやく。そうだろ、俺たちのオリジナル曲だぜ。ニヤリと笑う、あの笑顔が浮かぶ。

 ギターとキーボードのハモリが始まると、ナベがベッドの上に置いていた指先を動かした。自分が弾いているかのように。

 細くなってしまった指が動くのを見て、アップしてよかったと心から思った。


 そこへ由美ちゃんが帰ってきた。彼女と会うのも五、六年ぶりかもしれない。


「二人とも、来てくれてありがとう」


 彼女はそれだけ言うと、目頭を何度もハンカチで拭った。

 そして流れていた曲に気づいた。


「うわぁBlowだ!」

「Youtubeにアップしたんだ。検索してもらえればスマホでも見れるよ」

「それならこのテレビでも見れる? やり方が分からないけれどYoutubeも見れるようになってるの」


 テレビに接続されているプレステ経由で見れるとのことで、由美ちゃんが持ってきたコントローラーを借りて設定した。

 大きな画面に、いま聞いたばかりのオープニング曲が流れる。


「うれしい! これでいつでも見れるね」


 彼女に声を掛けられたナベは黙ったまま動かない。


「ナベも疲れちゃうだろうから、そろそろ帰るよ」とトモが切り出した。

「また明後日、日曜日にはタケやミっちゃんも来るからさ」

「またね」


 先にトモがナベの右手を握った。

 続いて俺が握ると、ナベが聞きなれない小さな声で言った。


「Blowは続けてね」


 また、そんなことを言って。ずるいよ、本当に。

 もう自分がBlowにいないみたいじゃないか。

 ナベがいなきゃできない曲がたくさんあることを誰よりも知っているだろ?

 それなのにそんな風に言われたら、このままフェードアウトしてバンドを止めることなんて出来なくなっちゃうよ。

 やっぱり何も返せずに部屋を出た。

 そして、これが俺の聴いたナベの最後の言葉になった。


 由美ちゃんが家の外まで見送りに出て来てくれた。


「手術の後は元気になったんだよ。何度かライブを観に行ってたし、最初は浦安まで私が車で送っていったんだけど、次からは自分で運転していくからいい、って。旅行に行ったときも私が運転するつもりだったのに、結局ずっと運転してくれて。お正月もリビングまで下りてきて、一緒にご飯食べたのに。急に二日の夜から具合が悪くなって……。みんなと会わなくていいの? って聞くのも何だかできなくて、でも思い切って聞いたら、会いたい、って。バンドの練習もなくなっちゃって、病気のことを本人も言いそびれていたみたい。もっと元気なときに会っていたらよかったのに……。ごめんね」


 彼女のおっとりとした話し方は変わらない。たまっていた思いをゆっくりと一気に吐き出して、また目頭を押さえた。


「謝ることなんてないよ」

「連絡をくれてありがとう。ナベと会えてよかったよ」

「また明後日に来るから」


 二人で由美ちゃんに声をかけ、帰る道でトモが口を開いた。


「ナベさん、弾いてたね」


 彼も気づいてたんだ。


「もう指を動かすのだって辛そうだったのに、一本ずつ指を動かして……。よかったね」


 俺は「うん」とうなずくだけだった。



 翌日、一月六日の昼前にトモから電話がかかってきた。

「ナベさん、今朝亡くなったって」その言葉にも驚きはなかった。会っていたからこそ、いつ命の火が消えてもおかしくないと感じていたし、俺たちが行くまで頑張ってくれてありがとうという気持ちにもなった。

「明日は予定通り行くことにした。由美ちゃんも、来てって言ってたし」

「わかった」

 通話を終えて深く息を吸い込んだ。



 一月七日、日曜日。出かける前におなかが痛くなり、約束の時刻に少し遅れそうになって急ぎ足で歩いていた。

 近くまでくると親水公園にトモ夫婦とタケの姿が見えた。三人も俺に気が付いて、タケが右手を上げる。

「いま町会の人が来ているみたいで、トモたちだけ先に行ってもらって、俺たちは準備ができるまで待機してることにした」

 Blowのリーダー、ギター兼ボーカルのタケがいつもと変わらぬ快活な口調で話している。

「一緒に来る?」「行く」

 肩を並べて歩きながら彼に聞いた。

「ナベとは会えたの?」

「会ってないんだよ。まさかこんな早くになんて思っていなかったから、今日ミっちゃんと一緒に行けばいいやって思ってさ」

 そう聞いて少し安心した。見た目と違って繊細な面があるタケは、あのナベと会っていたら俺以上にショックを受けているのでは、と心配していたから。

「でも二人が会ってくれていてよかったよ。病気のこととか聞いてたの?」

「いや、全然知らなかった」

「そっかぁ」

 その後しばらく間をおいてタケが俺に言うでもなく言った。

「俺、会うのやだなぁ」


 近くのファミレスにはタケの奥さんのメグちゃん、Blowの元ベーシストのミっちゃん、そしてバンド仲間のスーさんも来てくれていた。みんな神妙な面持ちの中、最年長のスーさんが口を開いた。

「一昨日、会えたんでしょ? どんな感じだった?」

 俺は会ったときの話をした。

 別人のように痩せてしまったこと、体重を教えたときには一様に驚いて、タケは「マジかよ」と唸った。

「ライブのオープニングを聞いてカッコイイ曲だな、って」「やめろよ、もう……」

「Blowは続けてね、って」「なんだよ、それ。俺、泣きそうだよ」

 俺がナベの言葉を伝えるたびに、タケだけが反応していた。

 あとでミっちゃんから「先に様子を聞いておいてよかったよ。いきなりだったら耐えられなかったかもしれない」と言われた。

 ミっちゃんはとても優しいし、タケと合わせて二人には、ナベの様子を先に話しておかなきゃって思ってたんだ。


 しばらくしてトモから連絡があり、ナベの家へ向かうとユージと奥さんのナオちゃんも来ていた。

 ナベは一昨日会ったときと同じように、静かにベッドで横たわっていた。

 代わる代わる線香をあげている間に、枕もとで立っていた由美ちゃんが「日曜にみんな会いに来るって言ったのに。もう少し頑張ればよかったのに……」と涙を見せた。

「ナベさんは十分すぎるほど頑張ったんだよ」

「俺たちが来るまで待っていてくれたじゃない」

 トモと俺で彼女に声を掛けた。テルが彼女の背中に手を添える。今日、久しぶりにナベの顔を見たみんなは誰も口を開かない。

 由美ちゃんとみんなで話を、と思って座ったところに弔問のお客様がみえた。

 俺たちは女性陣三人を残して、ナベの家を後にした。



「ちょっとお茶でもしていく?」とトモの言葉に、さっき待機していたファミレスへ向かったけれど、お昼時で満席。

「お清めだから、ちょっと飲む?」と駅前まで行って居酒屋に入った。

「昼間から飲めるなんて、さすが錦糸町だね」と笑うスーさんに、「正月だからじゃなくって、これが平常運転だからね」と笑みを返した。

テーブルには人数分のジョッキと、お酒が飲めないナベのためにウーロン茶のグラスが並んだ。

「献杯!」

 ナベの思い出話を肴に、みんなのジョッキを開けるピッチが速くなっていく。

「日本酒はやめておいた方がいいよな」というトモへ「今日は俺が許す。テルもいるんだし、ナベの弔いで好きなだけいっちゃいな!」と返してしまった。

 しばらくして女性陣が合流した後、バンド仲間の平松くんまでわざわざ来てくれた。



 ナベ、見てるか? みんなナベのために駆けつけてくれたよ。

 トモ、タケ、ユージにナベ。それぞれ結婚する前から一緒に遊んでいた仲間たちが久しぶりに集まったよ。あの頃は俺だけ一人だったのに遊んでくれてありがとう。

 みんなで毎週日曜に大黒ふ頭まで釣りに行ってたよね。その帰りには健康ランドまで行って、ビリヤードをやるのがお決まりのコースだった。小次郎でラーメンも食ったっけ。

 秋川渓谷へ釣りとバーベキューにも行ったこと、覚えてる?

 バンドの合宿と称して竜王に行った話も盛り上がっていたよ。

 スーさんからはBlowの成り立ちを聞かれたので、公路星こうじせいの頃から話してあげた。

 ユージは隣のテーブルにいる奥さん連中には聞こえないように、ナベと○○○ランドへ何回か行った話をしていたし、平松くんには、ナベがハプニング××へ通っていたこともばらしちゃった。

 案の定、トモはすっかり酔っぱらっちゃって、色々とやらかしていたころに戻ってる。新宿でやったバンドの忘年会の帰りを思い出すよね。

 ナベが指を動かしたこと、酔っぱらったトモがミっちゃんやタケに何度も話している。それを家で聞かされたテルからは「でかした!」って、Youtubeへのアップをほめられたよ。ナベも喜んでくれたかな。


 あの動画、由美ちゃんはもちろん、落ち着いたらナベの家族みんなで見て欲しいんだ。ナベがキーボードを弾く姿だけじゃなく、本当に楽しそうに歌っている曲もあるから。

 娘や息子くんたちはナベのステージをほとんど見たことがなかったでしょ。

 一度、まだ小学生になる前だったか鶴見のライブハウスに来ただけだと思う。あのときは最前列に座って「うるさーい!」と耳を抑えていたこども達の姿を覚えてる。

 トモも覚えてるって。

 あの動画は消さずにずっと残しておくから。去年生まれたお孫さんにだって、見せたいでしょ?



 今日、一月十一日に家族葬をやると由美ちゃんから聞いた。

 また日曜日にお線香をあげに行こうかと思ってるんだけど、そのときは小さなツボに入っているんだよね。

 なんだかさ、涙も出ないんだよ。

 何年も会っていなくても、昨日会ったばかりのように話せる友達だったから。

 まだどこかその辺にいる気がしているのかもしれない。



 本当にとりとめのない話になっちゃった。

 でもさ、こうして文字にしておけば、アップした動画と同じように俺の思いはずっと残る。

 俺にペンネームがあるなんて、みんな夢にも思っていないだろうけれど(ナベも思ってもいなかったでしょ?)いつかこれを目にしたときに、あぁこんなこともあったよね、こんなことを書いていたのかって笑顔になってくれたらいいかなって。

 俺がボケちゃったとしても安心だし(笑)


 ということでさ、俺はもちろん、みんなもまだそちらへ行くつもりはないから。

 ごめんね。

 あと二十年たったら、そのときにはちょっと考えてもいいかな。

 そっちには二年前に行った岩崎がいるはずだから、彼と二人で音楽談議で盛り上がりながら待っていて。奴もこんなに早くバンド仲間が来るなんて思ってもいなかっただろうけれど。

 しかも、それがナベだなんて……。



 俺たちの風を吹かそう、と名付けたBlow。

 ナベに言われたからというわけじゃないけれど、三人で続けてみるよ。

 トモがさ、ナベさんの追悼コンサートをやろう! って珍しく熱くなってるし。

 そのときは聴きに降りてきておくれ。


 それじゃ、またね。

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