第四章 ~『理事長と大人』~


 放課後になると、クラスメイトや剣道部の仲間が協力してくれたおかげで、束になって抱えないといけないほどの署名が集まっていた。


 署名を手にした僕は、再び理事長室を訪れる。立川は剣道部の部長としての仕事があるため、隣には頼りになる彼の姿がない。今度は僕一人で、しかもアポなしでの突撃だ。


「僕も成長したな」


 坂本と出会うまでの僕ならきっと一人で理事長に直談判などできなかった。彼女が引っ込み思案な僕を変えてくれたのだ。


 扉を軽くノックすると、相手の返事を待たずにドアノブを回す。理事長は僕の顔を見ると、目を見開いて驚いた。


「君は……才谷くんだったね?」

「はい。失礼なのは承知で会いに来ました。まずはこれを受け取ってください」


 僕は皆から集めた、花火の打ち上げ日程を早めるための署名を机の上に置く。そのどっしりとした重みが、意思を主張するように、大きな音を鳴らした。


「これが坂本さんへの生徒たちの思いです。受け取ってください」

「それは難しいな」


 理事長は黒縁の眼鏡をクイっと上げると、小さく笑みを浮かべる。


「署名なんて受け取らなくても、君の願いは既に叶っているからね」

「どういうことですか?」

「実は、君たちの要望を聞いてすぐに私は理事会を招集し、花火の打ち上げ日程を早める了承を得ていたんだ」


 理事長の言葉に僕の胸は高鳴る。だが同時に疑問も浮かんでしまう。


「理事会に頼んでくれるなら、どうして今朝、僕の願いを拒絶したんですか?」

「私は君の思いに感銘を受けた。しかし私以外の理事会メンバーが全員そうだとは限らない。もし失敗すれば君は大きく落胆するだろ」


 僕への心遣いのために、理事長は僕の願いを表面上で拒絶した。人はプラスからマイナスに落ちると落胆はより大きくなり、マイナスからプラスに上がれば、その勢いの分だけ喜びが増す。理事長の思惑通り、僕は飛び跳ねたいくらい喜びでいっぱいになっていた。


「理事長、本当にありがとうございます」

「喜んでくれて何よりだ……それでこそ苦労した甲斐があるというものだ」


 よく見ると、理事長のシャツは汗でじっとりと湿っている。色んな人の元へと駆けずり回ってくれたのだと知る。


「苦労したが、若人の思いに報いるのが大人というものだ。気持ちの良い汗をかいた」

「理事長……」

「それは私だけじゃない。花火の業者さんも、死が迫っている少女に思い出を残したいのだと事情を説明すると、なんと今晩にでも打ち上げてくれることになった」

「ほ、本当ですか!?」

「大人は嘘など吐くものか」


 僕は気づくと目頭が熱くなっていた。これで坂本に思い出が残せる。そう思うと、自然と頭が下がっていた。


「理事長、本当にありがとうございました」

「感謝しなくていい。私は大人としてやるべきことをしただけだ」

「で、でも……」

「誇るべきは君の気持ちだ。友人の少女のために、これだけの署名を集め、理事長に直談判する。簡単にできることではない。君は凄い男だ」

「理事長……」

「急ぎたまえ。大事な人が病院で待っているんだろ」

「はいっ!」


 僕は再び頭を下げると、理事長室を飛び出す。坂本に会いたい。その気持ちが僕の足を前へと動かした。



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