第四章 ~『集めた署名』~


「才谷くんはこれからどうするつもりだい?」


 僕が思いつめた表情をしていたからか、立川は心配そうな声音で訊ねる。


「危険なことはしませんよ」

「それならいいが……君は危うい所があるから心配でね」


 僕のような無害な男を捕まえて、何を言うのかと抗議することはしない。龍馬の記憶の世界では、派手なことは何度かやっており、自覚があったからだ。


「僕はなるべく早くに花火を打ち上げるために署名を集めるつもりです」

「署名か。それは平和的で悪くないアイデアだ……なら剣道部の仲間にも協力をお願いしないとな」

「みんな、快く協力してくれるでしょうか……」

「くれるさ。なにせ大事な仲間の危機なんだからな」


 立川はそう言い残して道場のある方へと走っていく。部長である彼が動いてくれるなら、剣道部は任せてよさそうだ。


「なら僕は……」


 リノリウムの廊下を歩きながら、僕は小さく息を吸う。これから僕がやろうとしていることは今までの僕を壊すような変革だ。


 僕は教室の扉を勢いよく開けると、教室内に視線を巡らせる。生徒たちの雑談する声で騒がしいが、授業開始までの隙間時間は、クラスメイトのほとんどが集まっているタイミングでもあった。


 僕は教卓の前に立つ。普段、目立たない生徒である僕が、目立つ位置にいる違和感が、何人かのクラスメイトたちの視線を集める。だがこれだけではまだ足りない。


「雑談しているところすまないけど、皆にお願いしたいことがあるんだ」


 何人かの生徒が僕の方を見てくれるが、まだ全員にはほど遠い。僕は過去の自分を捨てる覚悟を決めて、大きく息を吸う。


「皆にお願いしたいことがあるんだ!!」


 窓ガラスが震えるほどに大きな声は教室を静寂へと変える。全員の視線が教卓に立つ僕へと集まる。


「おいおい、どうしたんだ、才谷? 慣れないことするなよな」

「そうだぜ。いつものように教室の端で大人しくしとけよ」


 静まり返った教室で僕を嘲笑する声が響く。こうなることは覚悟していたが、僕はお願いする立場である以上、ただひたすらに頭を下げることしかできない。


 悔しさで唇を噛んでいると、思いがけない人物から助け船が出された。


「五月蠅いぞ、才谷が話をしているんだから、ちゃんと聞けよ」

「こ、小泉君……」


 スクールカーストの頂点に位置する小泉の言葉は発言の重みが違ったのか、生徒たちから嘲笑は消え去り、しゅんとした態度で僕の話に耳を傾け始める。


「クラスの仲間である坂本さんが病気で入院していることは知っているよね。僕は彼女を励ますために花火を贈りたいんだ……剣道部が優勝したことで花火が打ちあがることは決まったけど、それには一か月の期間を必要になる。でも一か月、待つわけにはいかない事情があるんだ……その事情は説明できないけど、とにかくいち早く花火を打ち上げたいんだ」

「…………」

「だから皆にお願いだ。早く花火を打ち上げるための署名に協力して欲しい」


 僕は勢いよく頭を下げる。しかし皆の顔に浮かんでいるのは困惑だった。生徒の一人が疑問を投げかける。


「なぁ、才谷、一か月待てない事情ってなんだよ?」

「それは言えない」

「理由も分からないのに署名できるかよ、なぁ、皆」


 僕のことを嫌っている男子生徒が反発する。その声に頷く者は多い。しかし首を横に振る生徒もいた。坂本の友人の梨花である。


「ねぇ、打ち上げ花火の話だけど、それって牡丹のためになるの?」

「なる」

「ならやろうよ。いいえ、やるべき。私たちは何度も牡丹に救われてきた。勉強を教えて貰った人、あの子の笑顔に救われた人、牡丹は私たちに多くのモノを与えてくれたわ。なら署名くらいしてあげようよ」

「梨花の言う通りだ」


 彼女の言葉に同調するように小泉が立ち上がる。クラスメイトの顔を見渡すと、最後に僕の顔を見据える。


「俺は才谷が嫌いだった」

「知っているよ」

「だが坂本のために才谷が頑張っていることは知っている。ならさ、坂本のために一肌脱がないか? あいつがいたから俺は学校生活を楽しめたし、あいつがいたから思い出がたくさん残せた。感謝を伝えようぜ」

「小泉……」

「頼む、みんな協力してやってくれ」


 梨花と小泉の願いは皆の心に響いたのか、坂本のためならばと、署名の協力を申し出てくれる。


「ありがとう、みんな」


 僕は何度も何度も頭を下げる。そんな僕に小泉が近づいてくる。


「才谷、俺はお前に一言だけ伝えておきたい」

「まさか愛の告白?」

「阿呆か……大会での話だ。俺が負けた時、励ましてくれただろ。あれで俺は救われたんだぜ」

「…………」

「だが今回は俺が助けてやったからな。これで大会での貸し借りはなしだ」

「これからは対等な関係だね」

「そういうことだ」


 小泉はそう言い残すと、気恥しいのか自分の席へと戻っていく。代わるように梨花が僕の前へと姿を現す。


「私からも一言いいかしら?」

「どうぞ」

「私、あんたのことが嫌いだと言ったことあったわよね。訂正するわ」

「ありがとう……と言えばいいのかな?」

「素直に受け取りなさい……ふふふ、それに牡丹があんたに惚れた理由が分かった気がしたわ」

「…………」

「クラスの皆は牡丹が入院したことを気にはしていたの。だからお見舞いに行こうと話が挙がったこともあった。だけど牡丹は入院している病院を秘密にしていたし、病院まで行く時間が取れないとか、場所が分からないなら仕方ないとか、結局、理由を付けて誰も行動に移さなかった」

「…………」

「けどあんたは行動した。そしてクラスの空気を変えたのよ」


 行動しようとしなかったクラスメイトたちが意識を変えて、我先にと署名に協力してくれる。記された名前には坂本への感謝の念が込められていた。


「ありがとう、牡丹の代わりに礼を言うわ。それとね……皆に署名をお願いしている時のあんたは、まるで牡丹が好きな坂本龍馬みたいだったよ」

「僕が龍馬か。それは悪い冗談だ」


 龍馬は僕の嫌いな男だ。あいつに似ていると評価されても嬉しくないはずなのに、なぜか悪い気分ではなくなっていた。僕は龍馬のように日本を変えることはできないが、クラスの雰囲気なら変えることができた自信が、感情を変化させたのだと気づき、小さな苦笑を漏らす。


「これでクラスメイト二十人分の署名ね」

「ありがとう。でもこれじゃ足りない。もっと集めないと」


 僕は署名の束を受け取ると、廊下へと向かう。その背中に梨花が、「どこへ行くのか?」と声を掛けた。


「隣のクラスにも頼みに行ってくるよ」

「なら私も行くわ。小泉、あんたも行くわよね?」

「当たり前だろ」


 頼りになるクラスメイトたちに心から感謝する。僕は仲間に恵まれたと実感しながら、坂本のために奔走するのだった。

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