第四章 ~『サプライズプレゼント』~


 僕は久しぶりに坂本の入院する病院を訪れていた。真っ白な壁に包まれた院内の廊下を進み、僕はまっすぐに彼女のいる病室を目指す。


 坂本の病室前までは迷うことなく辿りつくが、その扉の前で立ち尽くしてしまう。長らく遠ざかっていた彼女と再会することを僕は無意識に恐れてしまっていた。


「僕らしくないな」


 小さく息を吐いて、恐怖を振り払う。僕は龍馬の記憶を追体験する中でどんな恐怖にも打ち勝ってきたし、それに何より坂本は死の恐怖が迫っているのに頑張っているのだ。再会するのが怖いくらいで退くわけにはいかない。


 扉をゆっくりと開けると、白いベッドに横たわる坂本が、傍にある点滴とチューブで繋がれている光景が広がる。坂本は僕の顔を見ると、目を大きく見開いて、目尻に涙を貯める。しかし口元には小さな笑みが確かに刻まれていた。


「来てくれたんだね」

「もしかして迷惑だったかな?」

「ううん。とっても嬉しい……実はね、あんな拒絶するようなこと、言わなければ良かったとずっと後悔していたの。本当に会えて嬉しいよ」

「僕もだよ。君に会えて嬉しい」

「本当に?」

「本当だとも」


 坂本に会いたい気持ちに嘘はない。僕は堂々と迷うことなく、彼女にそう告げる。


「やっぱり体調は悪いの?」


 僕は坂本に刺さった点滴に視線を送りながら訊ねる。


「かなり悪いね……なにせ私、もうベッドから動くことができないからね」

「…………ッ」

「それだけじゃないよ。胃が食べ物を消化するだけで負担になっちゃうからご飯も食べられないし、眠りもどんどん浅くなっているの。まさか睡眠さえ楽しめない身体になるなんて驚きだよね」


 人間の三大欲求、それも日々の楽しみである食事と睡眠を楽しめないのは、僕ならきっと耐えられない。


 そんな彼女を少しでも励ますために、僕は用意していたとっておきを切り出す。


「実は仲直りするために、坂本にプレゼントを用意したんだ」

「プレゼント?」

「なんだと思う?」

「才谷くんのセンスだから期待はしてないよ」

「酷いこと言うなぁ」

「ふふふ、冗談だよ。才谷くんの贈り物なら何でも嬉しいよ」

「それなら安心して渡せるよ……君に贈りたいものは打ち上げ花火なんだ」


 僕は村田から坂本が花火を見たいと漏らしていたと聞いたことや、剣道大会で優勝したことで花火が打ちあがることを説明する。すると彼女は嬉しそうに口角を吊り上げた。


「私のために優勝してくれたんだね?」

「ああ」

「うぅ……これは嬉しいね。人生最大のサプライズプレゼントだよ」


 坂本は嬉しさで白い顔を耳まで真っ赤にする。ベッドの上で足をバタバタと動かし、本当に喜んでくれているのだと伝わってきた。


「私と一緒にいてくれたのは、憐れみじゃなかったんだね……」

「誰が憐れみで優勝までするもんか」

「ふふふ、そうだよね。才谷くんは私と一緒にいたくて、いてくれたんだもんね」


 坂本の僕を見る目から不安が消えていく。仲直りできたことが嬉しくて、僕は大会で優勝できた喜びを今になって噛みしめていた。


「花火が打ちあがるのは申請から一か月後らしいから、一緒に見よう」

「一か月後か……」

「どうかしたの?」

「私、それまで生きてられるかな……」

「坂本さん?」

「生きていたいなぁ」


 坂本は窓の外を流れる雲をジッと見つめる。その視線には彼女の生きたいという気持ちが強く込められていた。


「坂本さん、僕は……」


 言葉を最後まで紡ぐことができないまま、僕は病室を後にする。坂本の死が迫っていることを実感し、心臓が早鐘を打つのが分かる。


 ショックで覚束ない足取りになりながらも廊下を進むと、坂本の担当看護師である村田と顔を合わせた。僕の青ざめた顔を見て、すべてを察したのか、彼女はすっと息を吐いた。


「牡丹ちゃんと話したのね?」

「はい」

「本来なら家族でもないあなたにこんなことを教えるのは職務違反だと思うけど、実はあの子、もう長くないの」

「聞きました……一か月後にはもう生きていないかもって」

「一か月どころか、三日後に生きているかさえ分からないわ」

「そんなに……」


 坂本と三日後には会えなくなっているかもしれない恐怖で膝が震える。額には玉の汗も浮かんでいた。


「牡丹ちゃんとの時間、一分一秒を大事にしてあげてね。あの娘、本当にあなたのことが好きみたいだから」

「僕なんかが……」

「あの娘ね、あなたと喧嘩してから、病室でずっとあなたの写真を見ていたのよ。龍馬の掛け軸を挟んでのツーショット写真。覚えがあるでしょ?」

「はい」


 京都旅行で寺田屋に行ったときに撮影した写真だ。


「牡丹ちゃん、あなたのことを私にすっごく自慢するの。こんなに素敵で優しい人はいないって語る姿は、私が焼いちゃうくらいだったわ」

「坂本さんは人を見る目がないんですよ」


 僕は素敵でもなければ優しくもない。坂本龍馬のような男にはなれないのが僕という人間なのだ。


「才谷君、あなたにお願いがあるの?」

「お願い?」

「あの娘のことが好きでなくても構わない。牡丹ちゃんが生きている間だけでいいの。好きだと気持ちを偽って貰えないかしら」


 村田は勢いよく頭を下げる。彼女の坂本を思う気持ちが痛いほどに伝わってきた。しかし僕は首を横に振る。


「その願いは聞けません」

「ど、どうして!?」

「だって気持ちを偽る必要がありませんから」


 僕はそう言い残して病院を後にする。その足取りに一片の迷いもなかった。


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