第三章 ~『藤田との激突』~
次鋒の大崎、中堅の杉田も藤田を前にして敗れた。しかし瞬殺ではない。小泉と同じように体力を削る闘いに徹し、十分な成果を得た。
「次は俺の番だな」
副将の立川が竹刀を手にして、闘いへと赴く。立川は藤田より二回り以上身長が高い。この身長差こそ、勝敗のカギを握る。
「立川さん、小手と胴には気をつけてください」
剣道というスポーツは基本的に身長が高いほど有利である。それは竹刀を上から振り下ろした方が威力は高くなることと、手が長い方がリーチは長いためだ。
なら身長が低いと剣道に勝てないのかと問われればそうではない。足でひっかきまわして、小手と胴で一本を取っていく戦術を採用するなら、間合いに入るに有利な小柄な体の方が有効に働くこともある。
藤田がどう戦うのか、御手並拝見だ。
「メエエェン!」
試合開始の合図と同時に、先手を打ったのは立川だ。放たれた一撃は円弧を描き、藤田へと振り下ろされる。しかしその剣は受け流され、藤田が間合いに入ろうと足を前に出す。
しかし立川は接近を許さない。自分のリーチを活かしきれる距離を保ちながら、面打ちを放ち続ける。何度も繰り返される面打ち。これは彼なりの戦術だった。
「才谷から見て、部長の闘いはどうだ?」
「悪くないね。確実に相手の体力を削れる闘い方だし、もしかしたら勝利もありうるかも」
立川は藤田と距離を取るために、動き続けており、その運動量は少なくないはずだが、平然とした表情をしている。
一方、藤田は今までの闘いも含めて、体力を大幅に奪われている。剣の実力に差があっても、体力がその実力差を埋めることは十分に起こりうる。
「実は部長にはスタミナの問題があったんだ。けど才谷に迷惑をかけたくないと、放課後に三時間のランニングをして持久力を上げたんだぜ」
「それは凄いね」
立川は息を乱していない。僕が入部してから一週間しか経っていないとはいえ、三時間もランニングすれば持久力は上昇する。また走り切ったという自信も彼の体力の後押しをしているのだろう。
「どうだ? 先輩たちもなかなか頼りになるだろ?」
「だね」
僕に任せっきりのチームでは強豪の名が泣く。仲間と戦えているという実感をしっかりと噛みしめる。
「でも、そろそろ藤田も身長差に慣れてきたころだね」
間合いに入れさえすれば、リーチの差は埋まる。藤田は立川の剣に慣れたのか、強引に間合いに入り込むと、鍔迫り合いに持ち込む。
剣道の鍔迫り合いは間合いの奪い合いである。相手の剣を振るうスペースを潰し、逆に自分は剣を振れるようにする。
剣士の中にはそんな鍔迫り合いでの攻防を得意とする者もいる、こういうタイプは自分の距離にさえ入れば無類の強さを誇る。
藤田もまたそんな一人であった。彼は立川の身体を押して距離を作ると、そのまま高速の面を彼の頭に叩き込む。
「一本!」
鮮やかな勝利に歓声が沸く。続く二試合目も、立川の戦術が破られた状況ではどうしようもなかった。部長の彼も、天才の前に敗北を喫する。
鉄面を外し、僕らの元へと戻ってくる立川は、勢いよく頭を下げた。
「すまん。負けてしまった」
「気にしないでください。立川さんは立派に役目を果たしました」
藤田は肩で息をしていた。四人の奮闘が、僕に有利な状況を作り上げてくれたのだ。
「最後は僕が必ず勝ちます」
「期待しているよ、才谷くん!」
仲間たちの声援を背中に受けながら、僕は戦いの舞台へと向かう。
高校最強の剣士と称された男が僕の前に立つ。高い身長と筋肉質な肉体は、僕の嫌いな龍馬を思い出す風貌だ。
鉄面越しに僕は対峙する藤田を見据える。彼の瞳には強い敵意が含まれており、今すぐにでも襲い掛かってきそうな雰囲気を放っていた。
「才谷、俺はお前と戦えること待ち望んでいた。いままでの俺は天才と呼ばれても王座には座っていなかった。どんな大会に優勝しても才谷が脳裏にチラついたからだ。だがその幻想も今日消え去る。俺が本物の王座に座る」
「……素晴らしい望みだね」
僕のような自己顕示欲の小さい人間からすれば、頂点に立っていると証明することに意欲は湧き立てられない。そういった感情が浮かべた笑みに含まれていたからか、彼は眉をギュッと吊り上げた。
「才谷は何を望んで剣道をやっている?」
「別に何も……僕はただ大切な人に贈り物がしたいんだ……」
「なんだそれは?」
「分からなくていいよ。とにかく僕は優勝し、打ち上げ花火を贈りたい。それだけが目的だ」
鉄面越しに藤田の顔がしっかりと見える。闘争本能を剥き出しにして、僕を睨みつけている。まるで虎のような恐ろしい顔は常人なら恐怖を抱くだろう。だが幕末志士たちは彼よりももっと恐ろしかった。
「始まるぞ」
「ああ、始まるね」
向き合う二人に、審判が開始の合図を告げる。僕は高速の面打ちを放つが、合わせるように藤田も同じ軌道同じ速度で面打ちを放つ。二人の竹刀は衝突し、破裂音を響かせた。
「最初の斬り合いは互角だね」
「いいや、俺の負けだ。僅かだか才谷の方が一打の重さは上だ。だが……意識していれば防ぐことは不可能ではない。その驚異的な力は距離があるからこそ発揮できるからだ」
藤田は僕の間合いに入ると、鍔迫り合いを挑んでくる。鉄面越しに息のかかる距離まで近づいた。
「この距離なら俺は誰にも負けない。才谷にもだ!」
「それはどうかな?」
近接戦を挑まれたことに、僕は感謝する。
僕は中・遠距離も得意だが、鍔迫り合いをするような近距離も苦手ではない。そもそも龍馬の時代では武士と衝突する時、剣道の試合のように広いスペースで戦えないことも多かった。細い路地などではどうしても鍔迫り合いの技術が求められる。
僕は流れるような動作で左足と右足を交差させて攻撃をするための空間を作り出す。その空間を利用し、高速の面打ちを叩きこんだ。藤田は何が起きたかも分からないままに、審判の「一本!」という宣言を耳にする。
会場に大きな歓声が広がった。この大会で初めて、彼から一本を奪ったのだから当然の反応だった。
「まさか俺が鍔迫り合いで負けるとはな……」
「上には上がいるものさ」
「だが二戦目はこうはいかない。俺にはまだ連撃がある」
主審が二戦目の開始を告げる。二本先取のため、もう一本を取れば僕の勝ちだ。追い込まれた藤田に手加減する余裕はない。
藤田は剣打の回転を上げて、高速の面打ちを二度放つ。隙の無い二連撃だが僕相手には通じない。しっかりと防御する。
「完成度の高い技だけど、一度見ているからね」
「ははは、さすがは才谷だ。ならこちらも出し惜しみなしだ」
藤田は準決勝で一条を倒した時のように中段に構える。高速の三連撃が飛んでくることを察し、僕は剣筋を見逃さないように、しっかりと目を見開く。
「くる……っ」
放たれたのはまずは面打ちだ。恐ろしく早い一打を僕はしっかりと受け止める。次に飛んできた二打目は胴打ち。これもまた反射神経を駆動させ、何とか反応させる。そして本命の三打目、逆胴打ちは初見だと躱せない。しかし僕は藤田の放つ技を見たことがあり、さらには沖田の剣を体験している。
「僕なら捌ける!」
沖田総司が与えてくれた経験が僕の反応を高速化させ、動きを機敏にする。三打目をギリギリのところで受け止めると、藤田は目を見開いて驚愕する。
「ば、馬鹿な。俺の三連撃を止められるはずが……」
「止められるさ。君が戦っている相手は僕なんだからね」
藤田は改めて僕を自分の好敵手だと認めたのか、口角を吊り上げて笑う。
「さすがだ。さすがは才谷だ。だが俺はまだ終わったわけではない」
藤田は再び三連打を放つ。今度は面と小手を組み合わせた連撃だが、そのすべてを回避する。
それから藤田は三連打を続けるが、そのすべてを僕は躱しきる。藤田の額には玉の汗がジッと浮かんでいた。
「な、なぜだ。なぜ躱せるんだ?」
「経験の差かな」
「け、経験だと! 馬鹿な。お前は剣道から長らく退いていた。経験を積めるはずがない。それに俺以上の連撃の使い手がいるはず……」
「いるんだよ。いや、正確にはいたかな」
「いた?」
「君以上の天才が過去にはいたんだよ。その偉人が僕に経験を与えてくれたんだ」
僕は沖田総司という偉大な男から稽古を受けた。もし彼と戦った経験がなければ藤田の三連撃で僕は敗れていただろう。
「なら最後だ。俺の奥の手で試合を終わらせてやる」
藤田は再び三連撃を放つ。最初は胴打ち。これは軽々と防御する。次に流れるように面打ちが放たれる。これもまた僕なら追い付ける。
三打目。最後の一撃は再び面でくるか、胴でくるか、それとも小手でくるかと待ち構えていると、彼は竹刀を引いて突きの構えを作る。
面打ちからの突きは、意表を突いた一撃だ。普通なら躱すどころか反応することさえ難しい。しかしその技はかつて岡田以蔵が僕に仕掛けてきた技だ。一度経験した技を僕が食らうはずもない。
藤田の放った突きを紙一重で躱す。そこで彼は体力が尽きたのか、体勢を崩した。
仲間たちが削ってくれた体力がここで活かされたのだ。僕は流れるように彼の頭に高速の面打ちを叩きこんだ。
「一本!」
主審が僕の勝利を告げる。二本先取し、僕たちが大会優勝を果たした瞬間だ。挨拶を終え、鉄面を外すと、部員たちが僕に駆け寄ってくる。皆、満面の笑みを浮かべていた。
「才谷、やったな、優勝だぞ」
「やったね、才谷くん」
杉田と大崎は涙目を浮かべながら、僕の身体に抱き着いた。
「さすがは俺のダチだぜ」
小泉も優勝が嬉しいからか、僕の肩をパンパンと叩く。
「才谷くんがいたから我が校の宿願は果たされた。ありがとう」
「立川さん、僕の力だけじゃありませんよ。皆がいたから優勝できたんです」
もしこの四人がいなければ、対決前に体力を消耗しておらず、最後の一撃も決められなかったかもしれない。ここまで来られたのは、皆の頑張りがあったおかげだ。
「才谷、負けたよ」
祝福ムードに浸っていると、藤田が僕の元へとやってくる。彼は鉄面を外すと、涙を浮かべていた。僕を倒すことを夢見ていた彼の願いは、打ち砕かれたのだ。悔しがるのも当然だ。
「才谷、教えて欲しいことがある。なぜお前はそれほどまでに強いんだ?」
「…………」
「才能や練習だとは言わせないぞ。才能なら俺も持っているし、練習は誰よりも積んできた。俺に何が足りなかった」
「答えは簡単だよ。実戦経験さ」
「それなら俺は誰にも負けない。俺は多くの大会に出場し、多くの剣士を倒してきた。俺以上に強敵と戦った経験を持つ者はいるはずがない」
「部活の剣道ならそうだろうね。だけどね、僕は本物の剣豪と戦ってきたんだ」
沖田総司の剣は早かった。岡田以蔵の剣は怖かった。千葉重太郎の剣は華麗だった。過去の剣豪たちは剣に命を賭け、剣のために生きてきたのだ。現代剣道とは違う、人生すべてを剣にだけ捧げてきた彼らは強く、そんな彼らに稽古を付けて貰った僕が負けるはずもなかった。
「ありがとう。君との戦いは楽しかったよ。それに僕の願いは叶った」
僕は坂本のことを思い浮かべる。彼女はきっと贈り物を喜んでくれる。そう確信して、拳をギュッと握りしめるのだった。
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