第三章 ~『小泉の粘り』~
試合は立川の予想通りの展開で進んだ。海王高校は藤田以外、目立った選手はおらず、小泉一人で大将を引っ張りだした。
四勝零敗の圧倒的有利な状況だが、浮かれている者は誰もいない。最強の男を倒さなければ勝利を得られないと皆が知っているからだ。
「小泉、頑張れよ」
僕が声援を投げかけると、「任せとけ」と親指を立て、藤田と向き合う。
小泉はスクールカーストの頂点に位置し、どんなことでも卒なくこなし、常に人の輪の中心にいるような人物だった。そんな彼が絶対に敵わない知りながらも、藤田と剣を交えるのだ。鉄面の下で、彼は唇を噛みしめていた。
「才谷くんは小泉の剣が藤田に通じると思うか?」
「無理でしょうね」
「やはりそうか……」
「ですが、それは過去の小泉です。今の彼ならばあるいは……」
大会で実戦経験を積んできた小泉なら可能性は残されている。審判から試合開始の合図が告げられ、その可能性が試される。
藤田が高速の面打ちを放つ。しかし、それを小泉はきちんと防ぎきった。
「小泉、やるなー」
「なにせ僕の友達ですから」
以前の小泉は僕の初撃を受け止めることさえできなかった。しかし今の彼は藤田の猛撃をきちんと捌いている。
「試合経験もそうだが、小泉の奴も才谷くんに敗れたことで変わったんだろうな」
「変わった?」
「小泉はプライドの高さが欠点に繋がっていた。自分が打たれることはないと攻撃の練習しかしてこなかったんだ。しかし君の存在が彼の考え方を変えた。この一週間、防御の練習だけを必死にやり続けた彼は別人だ」
通りで防御が上手いわけだと納得するが、そのせいで攻撃力は落ちている。小泉は藤田の攻撃に防戦一方になっていた。すべての剣戟を防いではいるが、攻めることもできずにいたのだ。
「才谷くん、分かるか。これこそが小泉の一番の変化だ。あいつはチームのためにプライドを捨てたんだ」
「チームのため?」
「小泉は引き分けを狙っているんだ」
剣道の試合は大会ごとにルールが異なるが、今回の大会では一試合三分の二本先取制となっている。三分を超えたら引き分けとなり、どちらも敗北という扱いになるのだ。
つまり試合が終わるまで逃げに徹することで、小泉は藤田を倒そうとしていたのだ。
「小泉は成長した。あいつは立派な剣士だ」
「……僕も彼のことを再評価しないといけませんね」
浮ついた性格だと思っていたが、仲間のために辛い練習をし、引き分けを目指すことは、やれと命令されて簡単にできることではない。自分を犠牲にする行為は美しささえ感じさせた。
「立川さん、このまま進めば本当に引き分けにできるかもしれませんよ」
「だな」
小泉は藤田と鍔迫り合いを繰り広げるが互いに一歩も引かない。拮抗できているのは互いの意識の違いからだ。小泉は相手の邪魔をすることに徹すればいいが、藤田は攻めるために有利な態勢を作らなければならない。
「もう少しで試合終了ですよ」
「小泉の奴、よくやった。戻ってきたら褒めてやらないとな」
流れていく時間に勝利の可能性が見えてくる。しかし藤田は鉄面の下で微笑を浮かべた。雰囲気が変わったことを場にいる誰もが察する。
「藤田がギアを上げましたね」
体力を温存する闘い方を止め、藤田は技の精度を上げる。幾度か剣を交えると、鍔迫り合いから一歩後ろに下がって、流れるように面を打ち込んだ。審判が藤田の一本を宣言すると、割れるような歓声が響いた。
「見事な引き面ですね」
「さすがは最強の剣士だな」
引き面は後ろに下がることで攻撃するスペースを作り出す技で、鍔迫り合いから面打ちまでの動きは一流の剣士のそれだった。
二戦目も、ギアを上げた藤田相手では、小泉にできることがなかった。圧倒的な実力を前に敗北を喫する。
だが彼の奮闘は無駄ではない。鉄面の下からでも分かるほど、藤田の息遣いが荒れていたからだ。
試合を終えた小泉が僕らの元へとやってくる。鉄面を外した彼はどこか申し訳なさそうであった。
「すいません、先輩……才谷もすまん。あんなこと言っときながら負けるなんて恥ずかしいよな?」
僕は首を横に振る。
「君は十分に頑張ったよ。藤田相手にあれだけ戦えればたいしたものだ」
「才谷、お前のことを誤解していたぜ。案外、良いところもあるんだな」
「僕も人並みに優しさくらいあるよ!」
僕は申し訳なさそうにしている小泉の背中をドンと叩く。結果、負けてしまったが、体力を削ることはできたのだから。
「後は先輩たちに任せよう」
「だな」
次鋒の大崎が闘いに赴く。僕らは健闘を祈るように、応援の声を届けるのだった。
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