第三章 ~『沖田総司の出会い』~


 視界が移り変わり、京都の色鮮やかな街並みが広がる。全身が僅かに痛むため、寺田屋事件で龍馬が京都奉行に襲われた直後だと推察できる。


 龍馬は寺田屋事件の負傷で薩摩藩邸に匿われることになるが、その後、安全のために鹿児島へ移動し、そこで以前経験した新婚旅行を楢崎龍と楽しむことになるが、それまでの空白期間こそが今である。


「僕にとっては好都合なタイミングだ。この周囲には沖田総司の通っていた診療所があったはずだし、運は僕に味方している」


 沖田総司は結核を患っており、定期的に掛かり付けの医者に診て貰っていた。今年の秋頃になると彼は病気で戦うことができなくなるが、現時点ならまだ剣を振るうことができる。


 僕は本で読んだ記憶を頼りに診療所へと向かう。その道中、袖口に山形の模様が描かれた白と水の羽織を着た男と擦れ違った。透けるように白い肌と、整った顔はまるで女性のようであるが、全身から放たれる剣豪の雰囲気が彼を男性であると知らしめている。


 目当ての人物だと確信し、僕は振り返る。背中には誠の文字が刻まれていた。


「沖田総司さんですね?」

「君は?」

「僕は……才谷といいます」


 龍馬という名前は指名手配されている可能性もあるため、沖田にあえて本名を名乗ると、彼は怪訝そうに僕のことをジッと見つめる。


「何か用かな?」

「あなたにお願いがあります」

「お願い?」

「僕に稽古を付けてくれませんか?」


 僕は勢いよく頭を下げると、沖田は小さく笑みを零す。予想外の反応だった。


「驚いたな。てっきり私を殺しに来た刺客だと思ったよ」

「新選組相手にそんな命知らずなことしませんよ」

「私が新選組だとも知っているのか……なら馬鹿な真似はやめなさい。稽古といっても怪我をする可能性は十分にある」

「それでも、あなたにお願いしたいんです!」

「意思は固いか……分かった。ただし条件がある」

「条件?」

「もし私が勝ったら君の本名を教えてくれ」


 どうやら僕が噂の坂本龍馬だと疑っているようだ。ただ犯罪者が役人である新選組に稽古を頼みに来ることが理解できず、確信には至っていないようである。


「勝負は一瞬だ。すぐに決着が付く」


 沖田は腰の剣を抜くと中段に構える。合わせるように僕も剣を抜いて上段に構えた。二人の剣と視線は交差する。


 沖田総司は天然理心流の達人である。天然理心流は剣術、居合術、柔術、棒術など実戦で利用できるモノは何でも利用する武術だった。


 天然理心流が実践的なのはその訓練方法からしてもそうだ。現代の剣道は竹刀を振るって練習するが、それでは持ち上げるだけでも腕力を必要とする真剣の重みに耐えられない。そのため練習では強いのに、実践では弱いということが起こりえてしまうのだ。


 しかし天然理心流は剣の重さの違いまできちんと計算に入れており、現代の剣道で使用されている竹刀より何倍も重い竹刀を利用して練習をする。さらに実践を想定しているが故に天然理心流は他の流派以上に連続技を重視していた。


 竹刀だと込めた力が弱いと相手にダメージを与えることができないが、真剣であれば、軽い一撃だったとしても、日本刀の切れ味だけで致命傷を与えることができる。故に天然理心流では連続技をベースに技の組み立てを行う。


 沖田総司の代名詞ともいえる三段突きも、一度の踏み込みで三度の突きを放つほどに早い連続技で、一撃ごとの突きの威力はそれぞれ低下するものの、真剣での殺傷力のおかげでまさしく必殺技となっていた。


「もう一度確認だが君は殺し合いではなく、稽古がしたいんだよな?」

「はい」

「なら峰打ちで勘弁してやろう」


 沖田は踏み込みと同時に面打ちを放つ。さすがは天才剣士。その一撃は僕の面打ちに匹敵するほどに早い。


 だが同じ速さで動ける僕なら、その剣を躱すことができる。沖田の剣の軌道をずらすと、彼は目を見開いた。


「驚いた……私の一撃を躱すなんて」

「僕も、あなたが思っていた以上の強者で嬉しいです」


 確認するように沖田は再び面打ちを放つが、同じ軌道、同じ個所の一撃が命中するはずもなく、簡単に受け流すことができる。しかし彼の剣は先ほどと違い、一撃では止まらない。そのまま胴打ちへの二撃目に繋がる。ほとんど隙のない連撃は藤田の剣によく似ていた。だからこそ僕なら躱せる。


「ははは、凄いな。私の二連撃を躱すなんて……」

「もっと強力な連撃をお願いします」

「望むところだ」


 沖田は一歩踏み込むと、面打ちと胴打ち、そして三打目の逆胴打ちを流れるように放つ。隙の与えない自然な剣戟を僕は順番に受け流していく。


 一撃目、二撃目は防御することに成功する。しかし三撃目は軌道を逸らすことには成功しても、完全に勢いを殺しきるには至らず、僅かに剣が胴に触れる。剣道の試合なら僕はこれで負けていた。


「先ほどの一撃は練習なら私の勝ちだが、真剣なら君はまだ生きている。降参するつもりはあるか?」

「いいえ、諦めません」

「なら完膚なきまでに叩き潰して、私の勝ちを認めさせる」


 沖田は面打ちと小手、そして逆小手を組み合わせた三連撃を放つ。しかし先ほどとは違い、僕の目は彼の剣に追いつけるようになっていた。すべての一撃を華麗に受け流す。


「……素晴らしい。君は私の剣が見えているのか?」

「一度見ましたからね」

「ははは、ならこれはどうかな?」


 沖田は腰を落として突きを放つ姿勢を作る。彼の代名詞である三段突きの気配を感じ、僕は口元に笑みを浮かべる。


「いくぞ」


 沖田は一歩踏み込むと同時に、三つの突きを放つ。まるで一度に三本の刀が襲ってくると錯覚するほどに早いが、僕にはいままで戦ってきた強敵たちとの戦闘経験と、彼の連撃に目が慣れている強みがある。ギリギリのところで剣の軌道をずらし、逆に彼の首元に剣を突き立てた。


「僕の勝ちですね」

「これが練習でも真剣でもな」


 僕は剣を鞘に納めると、沖田も合わせるように剣を納める。


「才谷くんといったか、君、どこの藩士だ?」

「僕は……」

「いや、言いたくないなら言わなくてもいい。ただ君さえ良ければ新選組に入らないか? 君の実力なら私と同じ隊長になることも可能だろう」

「…………」


 新選組の隊長の座。それは現代なら警察の幹部になるに等しい誘いだ。しかし僕は首を横に振る。僕は藤田と戦わなければならないし、龍馬は維新を成功させねばならないからだ。


「今日は訓練ありがとうございました。あなたのおかげで僕は大切な人に思い出をあげられそうです」

「私も良い腕試しができた……どういう事情か知らないが、ガンバレよ、少年!!」


 沖田はそう言い残して去っていく。その言葉は三十台の龍馬に向けられたものではなく、まだ十代の才谷という男に向けられたものだった。


「視界が白く……」


 成すべきことは成したのだ。世界は再び元の場所へと戻り始める。ギュッと力を込めた拳には、沖田から与えられた自信がしっかりと握られていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る