第三章 ~『訪問した剣道部』~


 汗の匂いが充満し、男たちの奇声が響く道場に僕は訪れていた。我が校は部活動が全体的に弱小なのだが、剣道部だけは唯一、県内ベスト四に入れる実力を備えているため、部員の数は多い。


「ごめんください」


 道場に入ると、部員たちの視線が一斉に突き刺さるが、すぐに興味を失くしたように自分の練習に戻り始める。ただ一人だけ僕に興味を持つ男がいた。


「俺は杉田。剣道部の副部長だ。お前は?」

「入部希望者の才谷です」

「才谷……どこかで聞いた覚えのある名前だな……まぁいい。剣道はやったことがあるようだな」

「ええ」


 杉田は僕の手に持つ防具袋と竹刀を見て、剣道経験者だと察する。僕の目的のためにも経験者だと知られた方が話は早い。


「剣道部に所属していないということは、どこかの道場出身か?」

「小中で習っていたんです。それに千葉道場にも通っていました」


 坂本龍馬の記憶で稽古を積んでいるため嘘ではない。強さをアピールするためにも、道場経験者だと伝えると、彼は知らない道場名に首を傾げる。


「千葉? 引っ越してきたのか?」

「そういうわけでは……」

「ふ~ん、まぁいいか。詳しくは入部が決定してから聞くことにする。でないと時間を無駄にする可能性もあるからな」

「入部が決定?」

「知っての通り、我が校の剣道部は強豪だ。誰でも入部できるわけではない。剣道部に入部したければ試験を突破してもらう必要がある」

「まさか筆記試験だなんて言わないですよね?」

「もちろん。対人戦で実力を測る」

「そういうの、分かりやすくていいですね」


 剣道部を大会で優勝させて、花火を打ち上げさせるには、まず参加資格を勝ち取る必要がある。試験内容が実技試験であることは、僕の実力をアピールする絶好の機会だ。こんなところで躓くわけにはいかないと、口元に笑みを浮かべる。


「さて、実力を測るためにも同じ実力の相手をぶつけたい。自己申告でいい。どの程度の強さか教えてくれ」

「強さですか……」


 何と答えるべきか悩む。謙遜してもいいが、それだと実力のアピールに繋がらない。強豪校なら多少反感を買っても、強く出るべきだ。


「おそらく僕に匹敵する人はこの部活にいませんね」


 喧嘩を売るに等しい宣言に、道場が静まり返る。先輩の中には眉を釣り上げる者もいたが、対面している杉田は上機嫌だ。


「大きく出たな。なら部活の外でもいい。誰かいないか?」

「坂本龍馬なら僕と対等に渡り合えるでしょうね」

「面白い冗談だが、ここで坂本龍馬の名前を出すということは、龍馬記念杯に参加するつもりなのか?」

「龍馬記念杯?」

「地元の企業が協賛している剣道大会だ。大規模な大会だから、それ狙いで入部を希望してきたのかと思ってな」

「…………」


 目当ての大会にも龍馬の名前が冠されていたことに嫌気がさす。あいつはどこまで人に崇められれば気が済むのか。ますます嫌いになりそうだ。


「冗談はさておき、龍馬以外でお前と互角に戦える奴はいないのか?」


 僕とまともに戦える相手。脳裏に浮かんだのは京都で見た男の顔だった。


「海王高校の藤田。あいつなら僕と互角の勝負ができると思います」

「……それは本気で口にしているのか?」

「はい」


 杉田は目を細める。思案した後、道場に視線を巡らせ、一人の男に声をかける。


「……大崎、来てくれるか?」


 大崎と呼ばれた男が僕たちの元へと駆けてくる。優しい顔付きの好青年だ。僕の方を観察するようにジッと見つめる。


「もしかして新入部員かな?」

「まだ希望者止まりですが……」

「つまりテスト役に私は呼ばれたわけだね……だけど試験官としてなら私よりもっと適任がいるよ」

「適任?」

「君と同学年の一年生だけど実力は本物さ」


 二年と三年でも僕に勝てる人はいないだろう。それなのに一年生を試験官に提案され、不満で口角が僅かに下がる。


「一年生ですか……」

「不満かな?」

「僕の実力を証明するには役不足ですから」

「その心配は無用さ。彼相手に勝利することができれば実力は証明される。なにせその一年は、部長に次ぐ実力者だからね」


 剣道部期待のエースだと、大崎は続ける。実力をアピールするなら絶好の標的だと認識を改めた。


「おーい、小泉。ちょっと来てくれ」

「小泉?」


 名前を聞き、まさかと思ったが、そのまさかだった。やってきたのは友人の小泉である。彼は僕の顔を見て驚いたのか、ギョッとした目を向けてくる。


「才谷も剣道をやるのかよ!?」

「入部することにしたんだ。それで僕の試金石が君というわけだ」

「なるほど……そういうことか……」


 入部試験には慣れているのか、すべてを理解したと、彼がニンマリと笑うと、杉田が反応する。


「小泉は才谷と友達なのか?」

「はい、最近ダチになりました。でも俺はこいつのことが嫌いだから手加減はしませんよ」

「なんだそりゃ」


 杉田が僕の台詞を代弁してくれる。小泉の僕に対する距離感はいまだ分からず仕舞いだ。


「まぁいい。とにかく手は抜くなよ。才谷もだ」


 杉田に念押しされるが、僕も手を手加減するつもりはない。


 道場の中央に移動した僕は、用意していた防具を身に着け、鉄面越しに小泉を見つめる。


「最初に謝っておくよ。君にはすまないことをする」

「おいおい、どうしたよ、いきなり」

「君のプライドを傷つけないために手加減してあげたいんだけどね。どうしても実力を見せる必要があるんだ。悪いけど、本気でやらせてもらうよ」


 試合前の礼を終えて、主審役の杉田が開始の合図を告げると、僕と小泉は竹刀の切先を互いに向けあう。


 中段に構える彼の立ち姿は、幕末の剣豪たちと比べると遥かに劣るが、それでも剣士特有の圧力があった。


 緊張感で空気が張り詰めていく。時間の感覚がゆっくりと流れていくのを感じながら、僕の竹刀は高速の一撃を放った。


「面!」


 その一撃は小泉の鉄面を打ち抜いた。目で追うことさえ難しい打突は激しい音を響かせ、道場を静まり返らせた。


「な、なんだ、いまの!」

「早すぎて見えなかったぞ!」


 観客の部員たちが僕の一撃でざわめき始める。僕のことを強者だと認める空気が流れ始め、小泉もまた鉄面を脱ぎ捨てる。


「無理。俺じゃ絶対勝てない」

「諦めるのは早いよ。まだもう一試合残っているじゃないか」


 剣道は公式試合なら二本先取制だ。しかし彼は首を横に振る。


「これはただの入部テストだ。才谷の実力は十分理解できたし、反対する奴なんているもんか」

「でも……」

「とにかく俺は戦わない。恥を掻くだけの試合なんて御免だからな」


 小泉は逃げるように僕と戦うことを拒否する。彼は本能で僕に勝てるはずがないと理解したのだ。


「なら小泉の代わりに、俺が相手をしよう」

「部長!」


 小泉は僕の背後にいる誰かに驚く。振り返るとそこには見知った顔――眼鏡をかけた剣道部の部長、立川が立っていた。

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