第三章 ~『龍馬の新婚旅行』~
僕が目を覚ますと、隣には楢崎龍がいた。手には拳銃が握られ、周囲は緑あふれる森の中。周囲の状況と温泉の匂いが漂っていることから、ここが龍馬の新婚旅行先である鹿児島の塩浸温泉だと知る。
「なかなか上手くはいきませんね」
「上手くいかない?」
「射撃ですよ。やはり空を飛ぶ鳥を落とすのは難しいものですね」
「…………」
僕は龍馬が新婚旅行先で山登りや温泉、そして射撃を楽しんだことを思い出した。
「龍馬さんなら命中させられますか?」
「僕でも無理だと思うよ」
楢崎龍から拳銃を受け取り、試しに狙い打ちしてみる。掌に反動が広がるが、予想した通り、銃弾が命中することはなかった。
「ほらね。やっぱり僕じゃ無理だった」
「ふふふ、なるほど。そういうことですか」
「どうかしたの?」
「龍馬さんはワザと外したのですね。あなたは優しい人ですが、鳥にも慈悲を与えるなんて優しすぎますよ」
何と言う好意的な解釈だろう。愛は盲目。ただの失敗が彼女の目には慈悲に映るのだから驚きである。
「龍馬さん、この先を進むと温泉ですよ♪」
塩浸温泉は鶴が傷を癒していたことから鶴の湯とも云われてきた温泉で、斬り傷に効能があるとされてきた。
龍馬が新婚旅行で訪れた時には知る人ぞ知る秘湯であったが、これから一年後の戊辰戦争で負傷兵の傷を癒したことから、戦の絶えない薩摩藩士に人気のスポットへと大変身することになる。現代でも龍馬人気にあやかって人の絶えない観光地になっていた。
「ささ、龍馬さん。一緒に入りましょう」
「それはさすがに……」
「なにを気にしているのですか。私たちは夫婦ではありませんか。それに何より、あなたは私の裸を見るのが初めてではないでしょう」
「それはそうだけど……」
寺田屋事件の時に一度裸を見ているが、あれは伏見奉行が襲ってくる記憶が強く残るせいで、裸の光景はぼんやりとしか覚えていない。
僕は極力、楢崎龍を見ないようにしながら、一緒に温泉に浸かる。暖かいお湯が僕の全身を包み込み、日頃の疲れを癒してくれる。
「お隣、失礼しますね」
楢崎龍は僕の隣に寄り添うと、肩に頭を乗せる。その仕草は彼女の子孫である坂本そっくりで、血は争えないものだと、口元に笑みを浮かべてしまう。
「あら? 何か可笑しいことでもありましたか?」
「たいしたことじゃないよ。ただ知り合いの女性と君がそっくりだと思っただけさ」
「女性ですか……」
「気になる?」
「気にならないといえば嘘になります……ただそれよりも……」
楢崎龍は悲しそうな顔で小さく俯く。
「聞きたくて聞けなかったことを聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「私、もしかして龍馬さんのお邪魔でしょうか?」
「どういう意味かな?」
「龍馬さんが大きなことをやろうとしているのは知っています。そのために頑張っていることも傍で見ているので知っています」
「…………」
「龍馬さんの頑張る姿を見ていると、私、邪魔をしていないか不安になるんです……」
「邪魔なんかじゃないさ。だからこそ君と結婚したのだから」
「その結婚についてですが……龍馬さんは私のことを本当に愛していますか?」
楢崎龍が手紙に記した不安を、はっきりと龍馬に問う。僕は彼女の目を見据えて、真剣に答える。
「もちろん君のことは愛しているよ。でないと結婚なんてしないさ」
「ですが龍馬さんは優しい人ですから……刀を持って悪人の屋敷に乗り込むような変な女だと馬鹿にされていた私ですから。憐れんで、一緒になってくれたのではないですか?」
「それは違うよ。僕は憐れみなんかで結婚したりしない」
「なら私があなたの命を救った恩義から結婚してくれたのではないですか?」
「それは……」
僕に龍馬の心は分からない。しかし不安そうな表情を浮かべる楢崎龍を拒絶することはできない。はっきりと愛を伝えてやるべきだと決意する。
「僕は君のことを心の底から――」
言葉尻を遮るように頭に強い痛みが奔る。視界は湯気に遮られるように白く染まっていった。僕は元の世界へと移動したのだった。
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