第二章 ~『温泉から外に出ていた僕』~
視界が次第に鮮明になり、蛍光灯の光が目に飛び込んでくる。人工的な天井が現代に戻ったのだと教えてくれる。
「おはよう、才谷くん」
「おはよう、坂本さん……僕は風呂場にいたのに、なぜ脱衣所に移動しているの?」
「私が運んだからだよ。あのままお風呂に入っていると、のぼせちゃうでしょ」
「そうだね、ありがとう……あれ?」
お風呂に入っていた時は裸だったのに、今の自分が服を着ていることを認識する。無意識で服を着替えられるはずもなく、僕はジッと坂本を見つめる。
「まさか坂本さんが着替えさせてくれたの?」
「そうだよ。死ぬ前に男の子の裸を見ることができて、眼福でした」
「えー」
さすがにクラスメイトの女子に裸を見られて喜ぶような性癖は持ち合わせていないため、羞恥で顔が真っ赤に染まる。
「才谷くんも私の裸を心眼で見たんだからお互い様だね」
「それ見てないのと同義だよ」
なんだか納得いかないが、坂本の嬉しそうにクスクスと笑う顔を見ていると、どうでも良くなってくる。
「それで寺田屋事件は経験できた」
「十二分にね……危うく死ぬところだった」
「だ、大丈夫だったの?」
「うん。史実通り、龍馬はこんなところで死なないからね。僕は無事生きて帰ったよ」
「なら良かった……それで龍馬が楢崎龍をどう思っていたかは分かった?」
「それは分からず仕舞いだった。けど君の高祖母が龍馬のことを愛していたのは間違いないよ」
命がけで薩摩藩邸へ助けを呼びに行ったこと、三日三晩寝ずに看病したことから、深い愛情を抱いているのは間違いなかった。
「寺田屋事件の時、楢崎龍は二七歳だよね。前回から何か変化はあった?」
「……坂本さんにより雰囲気が近づいたかも」
「それってどういう意味かな?」
「以前見た時より可愛くなっていた」
「ふふふ、さすがに面と向かって可愛いと言われると照れちゃうね」
君が言わせたのだろうとはもちろん口にしない。僕は空気を読める男なのだ。
「楢崎龍との間に何かイベントはなかったの?」
「イベントかぁ……何かというほどのことでもないけど、軽く頬にキスされたよ」
「え~、ずるい! 私だってまだ才谷くんとしたことないのに!」
「そりゃそうでしょ」
「まさか高祖母と浮気されるとは夢にも思わなかったよ!」
「浮気も何も僕と君は恋仲でも何でもないよ。それに何よりキスされたのは僕じゃない。龍馬だ」
「龍馬の身体か……ならこの浮気は許します。才谷くんの身体はいまだ綺麗なままだもんね」
「なんだか馬鹿にされているように感じるけど納得して貰えたなら良かったよ」
坂本は僕がまだ女性経験がないことに安心したようにほっと息を吐く。しかし次の瞬間、彼女は急に咳き込み始めた。
「ごほっ……こほっ……っ……」
「坂本さん、どうしたの!?」
「さ、才谷くん、薬を」
僕は坂本に求められるがままに鞄から薬とペットボトルの水を取り出し、それを彼女に手渡す。彼女は勢いよく薬を呑み込むと、ふぅっと息を吐いた。
「才谷くん、ありがとう。おかげで助かったよ」
「……薬の量、随分と多いんだね」
坂本は落ち着いた後も追加で薬を飲み続け、数十種類を超える薬物を摂取していた。
「私、不治の病だからね。たくさん薬を飲まないと、まともに生きることさえできないの」
「……もう病院に帰った方がよくないかな?」
「大丈夫だよ。私、まだまだ才谷くんと行きたいところがいっぱいあるんだもん」
「坂本さん……」
「残りの人生、折角だから楽しまないとね」
坂本は僕の手を引く。彼女の手は死人のように冷たかった。
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