第二章 ~『西郷との会合』~


 薩摩藩邸に辿り着いた僕は、勝海舟の部下だと名乗り、西郷のいる部屋まで案内される。通された小さな和室には老齢の男と、体格の良い男が座っていた。


 老齢の男は坂本龍馬の師匠であり、日本海軍を作るために人生を費やした勝海舟である。そして体格の良い男は薩摩藩士を率いる西郷隆盛であった。


「よく来たな、龍馬。ここに座れ」


 勝海舟が尻を動かし、スペースを作ってくれる。僕は素直に従い、そこに腰を下ろした。


 この場に三人が集まったのは薩摩が長州を滅ぼさないように西郷を説得するためである。そのことを聞き及んでいるのか、彼は腕を組んで、僕が話し始めるのを待っている。


 弱い言葉では駄目だ。インパクトの大きな一言で、主導権を握る必要がある。


「西郷さん、もし長州を滅ぼすと、薩摩が滅びますよ」

「どういうことでごわす、龍馬さん⁉」


 西郷は酷い薩摩訛りだが、良いリアクションを返してくれる。掴みは上々だ。


「では現在の力関係を整理しましょう」


 徳川幕府が治める江戸時代の日本は約250藩に分断されていたが、その中でも軍事力に優れているのが薩摩と長州であり、唯一、まともに幕府と戦える存在でもあった。


「もし長州が滅びると、徳川幕府一強の時代になります。そうなれば反乱の目を摘もうと薩摩を潰すために徳川は動くでしょう」

「じゃっどん、幕府が薩摩を滅ぼすなど……」

「僕が徳川慶喜ならそうしますけどね」


 徳川慶喜は実質的な幕府の支配者であり、聡明で有名な男だった。幕府に対する危険の目が少しでもあるのなら、薩摩を排除するために動くことも十分に考えられる。


「そもそも西郷さんを長州討伐の司令官にしたこともおかしいと思いませんか?」

「どういうことでごわすか?」

「幕府は旗本の藩士を何人も抱えているんですよ。いくら戦上手だからといっても、わざわざ外様である薩摩藩士を長州征伐の司令官にしますかね?」

「そいは薩摩藩がまっこと幕府からの信頼が厚いからで……」

「僕の見解は違います。幕府が薩摩と長州を戦わせることで、互いの戦力を削ろうとしたのではと推測しています」

「こげな馬鹿なことが……」


 西郷は信じられないという顔をするも、心のどこかで思い当たる節があったのか、煮え切らない表情を浮かべている。


「将来、薩摩藩は幕府と戦う日がきます。その時、薩摩の力だけで幕府に勝つことはできません」

「じゃっで、長州藩でごわすか……」

「合理的に考えれば分かることです。長州藩を潰して得をするのは幕府だけなのです。長州を許すのが、薩摩にとって最良の選択になるでしょう」

「…………」


 西郷はどうすべきか思案を巡らせる。机上の計算なら取るべき行動は明らかなのだ。その彼の行動を阻害しているのは、計算以外の何か、すなわち感情である。


「龍馬さん、じゃっどん長州を許すことは難しい。禁門の変で薩摩藩士が長州によって大勢殺され、恨んでいる者も数えきれん。こげな状況では、互いが手を結ぶなど不可能でごわす」

「くだらない。感情の衝突で何が得られると?」

「…………ッ」

「それよりも日本が外国と対等に渡り合える国となるには、外国に媚び売る幕府を滅ぼさなければなりません。そうは思いませんか?」

「龍馬さんは薩摩に討幕しろと?」

「その通りです」

「こげな馬鹿な話はなか」

「しかし長州と手を組めば戦力的には幕府を上回ります。十分に倒せるはずです」

「じゃっどん、幕府は官軍で、我らは賊軍。戦えば薩摩は悪党になりもす」

「なら搦手を使えばいい」

「搦手?」

「大政奉還ですよ」


 僕の言葉に、西郷はゴクリと息を呑む。その恐ろしい提案に彼は心を震わせる。


「龍馬さんは徳川が権力を放棄すると考えもすか?」

「ええ。薩摩と長州が手を組めば、武力で圧倒的な優位に立てる。そこで武力を脅しの道具とし、大政奉還を要求するんです」


 その無茶ともいえる構想に、西郷は黙りこんで思案を深める。代わりに勝海舟が問いを投げかけた。


「確かに大政奉還が上手くいけば、徳川は数いる大名の一つになる。徳川の権威も大きく削れるだろうよ。しかし幕府は要求を呑むのか?」

「間違いなく。なぜなら断れば、負ける戦いを強いられる羽目になりますから。それに幕府は僕らが思っている以上に政権に固執しないと思いますよ」

「なぜそう言い切れるんだ?」

「幕府は政をできるのは自分たちだけだという自負があるからです。後から朝廷が泣きついてくるのだから、政権を手放すのは一時的。なら薩摩と長州との戦争を避けるためにも、大政奉還の要求を呑むはずです」


 政府を維持するためには武力だけでは難しい。税務や教育など文官のノウハウが多く必要となる。そのノウハウを長年政治から遠ざかっていた朝廷が持っているはずもない。


「ですが統治のノウハウなら徳川に及ばなくとも薩摩長州は十二分に持っているし、何なら徳川からの引き抜き工作をしてもいい。朝廷を傀儡にして、裏から支配すればいいのです」

「龍馬さんはまっこと恐ろしいことを考えもすな」


 江戸時代において朝廷とは絶対的な権威であり、その権力を裏から操るなど、恐れ多くて易々と口にできるものではない。しかし僕は現代人だ。空気もしがらみも無視して、効率だけを優先することができるし、それに何より僕の提案は妄言ではなく、実際に明治政府がやっていたことをそのまま提案しているだけなのだから、実現への説得力も十二分に伴っている。


「裏から支配という言葉に抵抗があるなら、朝廷と協調して政を行えばいいのです。薩摩と長州の武力があれば逆らう者はいません。僕の提案は理にかなっていると思いますが、いかがです?」

「龍馬さんの提案はまっこと素晴らしい……新しい時代を感じさせるような内容でもす。じゃっどん、最後に一つ、大きな問題がありもす」

「問題?」

「大政奉還を成し遂げるには長州の力が必要でごわす。じゃっどん、薩摩が長州を恨んでいるのと同様に、長州も我ら薩摩を恨んでいもす。手を結ぶことに同意するとは……」

「長州は朝敵として幕府から狙われているんです。危機を脱する手段があるなら藁にもすがるはずですよ」

「じゃどん、ただの口約束だけでは長州も信頼せんのでは?」

「だから一つ策を考えました」

「策でもすか?」

「長州がいま一番欲しているモノはなんだと思いますか?」

「それは……武器でごわすか?」

「その通りです」


 長州は幕府の妨害により海外から武器を買うことができなくなっていた。人はどれだけ士気が高くとも、どれだけ練度が高くとも、武器がなければ戦うことはできない。だからこそ武器を得る手段を彼らは欲しているはずなのだ。


「まさか薩摩から武器を提供すると?」

「その通りです」

「龍馬さん、そのような金、薩摩には……」

「勘違いしないでください。僕が提案する方法なら薩摩の金銭的な負担はありません」

「そげんな方法が……」

「買い付けを薩摩が行い、金は長州に用意させる。この方法なら長州は武器が手に入り、薩摩は長州からの信頼が手に入ります」


 長州は多くの米が採れる領地なので、経済的に豊かな藩だ。金はあるのだから、武器を買うルートを提供するだけで、長州は満足するはずである。


「薩摩は幕府側。海外との貿易も自由。実現性はありもすな……龍馬さん、あなたはまっこと凄い御人ですな」


 武器の供給を薩摩が手伝うという行為は、供給先を強くすることに繋がるため、相手のことを信頼していないとできないことだ。これをされてはさすがの長州も薩摩を信頼せずにはいられなくなる。


 僕の提案が響いたのか、西郷の表情が柔らかくなる。上手くいったと確信した瞬間だった。


「龍馬さんの提案に乗りもうす」

「ありがとうございます」


 役目は無事に果たした。記憶だけの追体験だとしても達成感に心が揺さぶられる。


「じゃっどん、話は変わりもすが、龍馬さんがよければ薩摩で働きもさぬか?」

「薩摩でですか……いますぐ答えは……」

「悩む必要はなか。薩摩はいいところでごわすから。その素晴らしさの一端を実感するためにも楽しんで頂きもす」

「楽しむ?」

「龍馬さんはいままで泣かした女の数が百を超える大の女好きだと聞きもうした。じゃっけん、上質の女子を用意しておりもす」

「そういうことですか……」


 龍馬は異性にモテるため、いつも彼の傍には女性がいた。その噂は西郷の耳にまで届いていたのだ。


 これだけ大勢の女性と関係を持つ彼が、本当に楢崎龍のことを愛していたのか疑わしいものだと眉根を潜めていると、急に頭痛が響いた。視界は真っ白に染まり、西郷と勝海舟の心配そうな声が僕の脳裏に刻まれるのだった。

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