第二章 ~『楢崎龍のお墓』~
僕らは次の休日を利用して、龍馬が妻の楢崎龍を愛していたのかを調べるために、東京駅で待ち合わせをしていた。
東京駅は世界でもトップクラスの乗車人数だと聞いた覚えがあるが、納得できるほどに、周囲は人だらけである。
カジュアルな格好の若者より、案外、背広姿のサラリーマンが多い。休日なのにご苦労様だ。僕なら絶対に休日は働きたくないので、心の中で労っておく。
「それにしても坂本さん、遅いなぁ……」
道に迷っていないかと心配になり、何度もスマホを確認する。時刻は待ち合わせの三分前だ。三十分前に到着していた僕が馬鹿みたいである。
「メッセージを送るにしても遅刻しているわけじゃないからなぁ」
催促するようで申し訳ないし、時刻ギリギリまで待つことに決める。すると、見知った顔が僕の元へと駆け寄ってきた。
「お待たせ、才谷くん! 服選びに迷っていたら、時刻ギリギリになっちゃった」
坂本は普段の制服とは違い、愛らしいワンピース姿だった。ピンクのハンドバックもよく似合っている。純金のネックレスが胸元で輝いていた。
「今日の私はどうかな? 可愛い?」
「客観的に見るとそうだね」
「ふふふ、素直じゃないなぁ」
嬉しそうに坂本が笑うのは、僕が照れくささで目を逸らしてしまったからだ。妹や母親以外と一緒にお出かけをしたことのない僕には刺激が強すぎたのだ。
「私、男の子と一緒にデートするなんて初めての経験だよ」
「これ、デートなの?」
「男女で遊びに行くんだよ。デートに決まっているよ!」
「決まっているんだ……」
「才谷くんは他の女の子とデートしたことあるの?」
「僕にあると思う?」
「ならお互い初めてのデートだね」
「その初めてが僕なんかで申し訳ないけどね」
「うふふ、私は才谷くんで満足だよ」
「ありがとう。心遣いだけは受け取っておくよ」
坂本のことだ。きっとデートの誘いはあったはずだ。龍馬の愛の謎を解き明かすためとはいえ、彼女の初めての相手になれたことを光栄だと思うおくことにした。
「じゃあ、乗り過ごさない内に電車に乗ろうか」
「賛成!」
僕らの目的地は東京駅から電車で約一時間半の距離にある横須賀だ。そこには楢崎龍のお墓があるのだ。
二人は揺れる車内で、楢崎龍についての情報を整理する。彼女は龍馬が亡くなった後、西村ツルと名前を変えて、横須賀で暮らすことになる。その足取りを追うことで、龍馬が楢崎龍を愛していたかどうかの謎を探るのが、今回のデートの目的だった。
「私のルーツがこんな近い場所にあって助かったね」
「遠いと移動するだけで大変だからね」
「まぁ、私は遠出でも大丈夫だけどね」
「そうなったら両親が心配するでしょ」
「心配しないよ。だって私は……」
「私は?」
「ううん、何でもない。暗い話をしちゃったね。前向きで明るいのが私の長所なのにね」
両親との間に何か問題でもあるのだろうか。だがさすがに家庭問題について踏み込んで訊ねることはできない。
僕は話題を変えるために、楢崎龍の話に強引に戻す。
「そういえば、僕の調べた書籍によると、楢崎龍のお墓は信楽寺にあるそうだよ」
「知っている。私の読んでいた『龍馬の聖地巡礼』にも書いてあったよ」
「そんな本まで出版されているんだね」
さすがは龍馬。大人気だ。
「楢崎龍を扱ったページ数は少ないけどね。でも、私は思うの。お墓はその人が最後を迎えた場所だから。きっと作者さんはここを紹介してくれたんだろうなって……」
心臓病を患っている坂本だからこそ、死と関連するお墓を意識してしまうのだろう。彼女の表情もどこか悲しげだった。
その後、僕らは電車に揺られ、信楽寺の最寄り駅に辿り着く。お世辞にも都会とは呼べない長閑な場所だった。
「私、こういう雰囲気の場所って好きなんだー」
「意外だね。坂本さんは都会じゃないと暮らせないタイプかと思っていたよ」
「都会は都会で楽しいよ。カラオケも映画もショッピングも。楽しい場所は数えきれないほどあるからね。でもその分、時間の流れを早く感じちゃう。ほら、私、心臓に病があるでしょ。だから田舎ののんびりとした時間も素敵だなって」
大きな病を持つ者だからこそ、残された時間を意識するのだろう。僕は慰めの言葉を返すことさえできず、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
「しんみりさせちゃったね。でも私は騒がしいところも好きだからさ。才谷くんさえよければ、近くに横浜や中華街もあるし。帰りに寄っていかない?」
「用事もないし、止めとこうかな」
「えー、女の子が誘っているんだよ」
「ならちょっとだけだよ」
「やったー、才谷くんが優しい人でよかった♪」
僕も甘くなったものだ。とはいえ、神奈川に来る機会はそう多くない。折角なら観光地を楽しんでいきたい想いがあったのも事実だ。
「えへへ、私、中華街なら小籠包が食べたいな」
「肉汁が飛び出るんだよね。以前、テレビで見たよ」
「そう! 口の中に火傷しそうなほど、熱々な肉汁がじゅわっと広がるの……って、梨花が言っていたから」
「人聞きの情報なの⁉」
てっきり体験談かと思った。
「梨花って、山崎さんのことだよね? 仲良いんだね」
「長い付き合いだからね」
「だから一緒にいるのを頻繁に見かけるんだね」
友人がいなかった僕には、素直に羨ましい関係性だ。
「実は梨花にも才谷くんとお出かけすることを話したの。そしたら、色々とデートスポットを探してくれて……ほら、小籠包もその一つ」
坂本は手帳サイズの観光案内本を取りだし、貸してくれる。本にはびっしりと付箋が貼られており、僕はその内の1ページを試しに開いてみた。そこに記されていたのは、京都の観光案内だった。
「神奈川以外にも付箋が貼られているんだね」
「私が気に入りそうなスポットを日本全国で探してくれたの」
「へぇ~、山崎さんって親切だね」
「でしょ。私の自慢の友達だから」
誰とでも仲良くなれる坂本なら珍しい関係性でもないのだろうが、それでも二人の仲の良さが十分に伝わってきた。
「予定もできたし、用事も早く済ませてしまおう」
僕らは少しだけ早足で信楽寺へと向かう。石階段を登って、墓地に入ると、すぐに楢崎龍のお墓がどれだか分かった。一際大きい墓碑には、「坂本龍馬の妻の墓」と刻まれていたからだ。
「才谷くん、お墓を訪れた感想はどうかな?」
「他のお墓と比べてもやっぱり目立つね。偉大な人だったと伝わってくるよ」
極端な例だが、ピラミットしかり、古墳しかり、お墓の大きさは、その人物の功績を示す一つの指標になる。綺麗に手入れされていることからも、愛されてきた人なのだと理解できた。
「なんたって私の高祖母ですから! 毎年、秋になると、おりょうさん祭りも開催されるんだよ。凄いでしょ?」
「異論の余地がないほどにね」
「でも偉大であると同時に苦労人でもあったの。横須賀に来てからの暮らしは貧しかったそうだよ」
「確か、坂本龍馬と死別してから、呉服商と結婚したんだよね」
「その人とも離婚しちゃったけどね」
「改めて再婚はしなかったのかな?」
「美人だから再婚話は数多く舞い込んできたらしいの。でも全部断ったみたい。きっと龍馬のことが忘れられなかったんだと思うの」
死別しても忘れられないほどに、龍馬の魅力は輝いていたのだ。だからこそ楢崎龍は貧しくとも再婚しなかった。
「記録には残っていないけど、この横須賀の地で、私のおばあちゃんを育ててくれた。そして私のお母さんが生まれ、私に命が繋がれたの……命のバトンを繋げられないのは残念だけどね」
「諦めるのは早いよ。きっと結婚するまでは生きていられるさ。なにせ君はモテる。楢崎龍と同じで結婚相手に困ることはないからね」
「私も高祖母譲りで、結婚相手は才谷くんじゃなきゃ嫌だよ」
「その冗談、僕以外には絶対に言わないほうが良いよ。間違いなく誤解されるから」
「冗談じゃないのに……」
小さな声で坂本は続けるが、僕が勘違いすることはない。映画や小説の世界ではないのだ。クラス一の人気者である彼女が僕に好意を抱くなど、断じてあり得ない。友人として冗談を向けられただけだ。
「でも心臓病で先の短い人生でも、私は生まれてきて良かった。なにせ才谷くんと会うことができたからね。その点は感謝しないと」
坂本はお墓の前で手を合わせる。何かを祈るように、小声で呟いていた。僕も彼女に倣って、お祈りを捧げる。
意識を集中させ、記憶の追体験できないかと試してみる。しかし結果は失敗に終わった。二度、三度、試しても答えは同じである。
「才谷くん、どうかしたの?」
「実は、僕の能力が発動しない。たぶん横須賀に龍馬はいなかったからだ」
楢崎龍が横須賀に引っ越してきたのは、龍馬と死別してからだ。つまり彼女のお墓は、トリガーとしての役目を果たせなかったのだ。
「ここに龍馬との思い出に繋がるものがあれば、また違ったんだけどね」
「坂本龍馬との思い出かぁ……そうだ、私に考えがあるの。才谷くんはこの土日に予定とかあるかな?」
「強いて挙げるなら、君との中華街や横浜観光くらいだね」
「残念だけど、今回は中止で。才谷くんはこれから私と一緒に京都に行きましょう」
「きょ、京都!?」
あまりに突発的な旅のプランに面食らう。だが彼女の口元に浮かんだ不敵な笑みを、止める術を僕は知らなかった。
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