■Q3. サロン・デュ・ショコラってなんなの? / A3. チョコレートの展示見本市

 年が明けて、数日。

 正月休みで鈍った身体を引きずって午前中を乗り切った木乃香このかは、食堂でしゅんを見つけて隣に腰を下ろした。


「お疲れさま、旬」

「はい、お疲れさま。……何か疲れ切ってない?」

「連休の後はスイッチ入れるのに時間かかるのー」

「さようですか」


 まだどこか浮ついた雰囲気が残る一月の社内で、旬はいつも通りにスープを含む。

 その様子をじっと見つめてから、木乃香は鞄の中の小箱を取り出す。

 きらきらとしたパッケージの紙箱だ。


「はい、これ」

「Melty Kiss? くれるの?」

「うん、差し入れ。……年末年始にアドバイス通り調べてたんだけどさ。どれも美味しそうで……いっそ行きたいと思い始めて……お願い、旬せんせ。サロン・デュ・ショコラについても教えてください!」

「ふぅん……差し入れは要らないよ。気持ちだけもらっておく」

「うぇ。嫌いだった?」

「違う違う。今、チョコ断ち(※8)してるから」

「……チョコ断ち?」


 きょとんという音がしそうな仕草で、木乃香が首を傾げる。大きな疑問符を向けられた旬は、少々気恥ずかしげに咳払いをしてから答えた。


「仰る通り、もうすぐサロン・デュ・ショコラがあるでしょう。そこでたっぷりチョコレートを楽しむから……それまで、一月はチョコレートを食べないようにしてるの」

「へー……そこまでするんだ。本気ガチじゃん」

「一年に一回だしね。で、そのことが知りたい、と。えーっと……概要は知ってる?」

「チョコレートのお祭りだってことくらいは知ってる。新宿でやるんだよね」

「そう。大本は、フランス、パリで行われる見本市兼お祭りみたいなイベントね」


 旬がスマホを取り出して、軽く手繰る。知らないのではなく、誤りのない知識を伝えるために、いくつかの情報を呼び出した。


「日本では伊勢丹がフランス貿易投資庁の後援を得て毎年一月末に開いてる。新宿本店の後、札幌、仙台、京都、広島、福岡でも開催される」

「結構大きいイベントなんだ?」

「いわゆる百貨店の物産展よりは二段階くらい大きい……かな。海外からショコラティエを招いたり、特別なイートインがあったり。日本にはショップのないブランドも多く出るから、高級チョコレート好きとしては見逃せない」

「ふんふん。入場は何か必要なの? チョコレート検定有段者のみとか」

「なにそれ。普通に……整理券方式だから、行けば入れるよ。ただ……」


 旬の表情が少し曇る。言葉を選ぶ時間が数秒。


「とにかく、混むの。激混み。長い時は三時間以上待った。前に並んでたカップルの会話が少なくなっていくのがいたたまれなかった」

「うーわ……」

「今は整理券方式になっていて、そこまで長時間並ぶ必要はなくなったけれど。人出は多いし、会計で並ぶことも多いから、時間には余裕を持った方がいいかな」

「ハードそうだねー……」

「それだけファンが多いイベントって証拠ではある。空輸、チルド、っていう関係で在庫が潤沢にあるわけでもないから、結構売り切れも多いしね。初日の朝一番で売り切れて以降入荷なし、とかザラ」

「あああ機会損失が」

「そっちか……。一月初旬から通販が先にスタートするから、欲しい商品は通販で確保しておくのも大事」

「あ、通販あるんだ?」

「ええ、全国から狙われて一瞬で売り切れたりするけれど」

「日本人、そんなにチョコレート好きかぁ」

「少なくとも私は大好きね」


 苦笑しながらも、むしろ誇らしいというような旬の笑顔。

 木乃香もつられて微笑み、少しだけ、沈黙が二人の間を満たした。


「会期も長いし、別にルールがあるわけじゃない。形式としては普通の物産展と同じだから。とにかく有給でも取って行ってみるのがいいと思うよ」

「そっか。ありがと。チェックしておいた方がいいブランドとか……旬が好きなブランドとか、ある?」

「んー……そうね」


 旬の指が木之香のスマホを指し、メモを取れ、と軽く示す。旬自身も、スマホのメモを呼び出した。

 そこに書かれているのは、彼女が味わったチョコレートの履歴だ。


「豪華な素材のタブレットが美味しい、ベルナシオン。イートインをやってることも多いジャン=ポール・エヴァン。美しいデザインが目を引くパトリック・ロジェ。果実のコンフィチュールが最高のクリスティーヌ・フェルベール。この辺りは毎年大行列で、行列がはけた時にはほとんど売り切れ。欲しいなら覚悟が必要ね。色々試したいならサロン・デュ・ショコラ限定の複数ブランドのアソートもある」

「ま、待って」

「まだまだ。個人の好みで言うと、キャラメルといえばブルーノ・ルデルフ。チョコレートそのものにこだわって楽しむならブノワ・ニアン。日本のブランドならプレスキル・ショコラトリー。ちょっと変わったところだと、ボナイユートの『古代チョコレート』は食感が楽しくて好き」

「待ってってばぁ」

「後でまとめて送ってあげる。とにかく、サロン・デュ・ショコラに出るレベルなら好み以外で外れはないから、気になったのを試すのがまずは一番」

「はーい。結局はそうなるよね……どうせなら美味しいのを贈りたいし」

「ああ、でもひとつだけ注意があって」


 旬は言葉を切って人差し指を立てる。


「もしバレンタインデーに贈るなら、商品を吟味した方がいい。賞味期限が二月十四日までもたない商品もあるし、個包装されてないものの方が多い」

「おー……ロックだね」

「ロック?」

「こだわってる、くらいの意味」

「そうかも。……普通のチョコレート展なら期限を意識する必要はないだろうから、一応ね。もちろん、全てが短いわけじゃないし」

「要確認、と。……うん! ありがとう、旬。やっぱり興味あるし、行けたら行ってみるよ」

「是非。もしサロン・デュ・ショコラが難しければ、高島屋のアムール・デュ・ショコラとか、色々な百貨店もチョコレート展を開いているから。規模と希少性という点では一歩譲っても、品質は同じくらい確かだよ」


 そう言うと、机に置かれたままだったお菓子の箱を、旬がそっと撫でた。丁寧な手つきでパッケージを開け、個包装のチョコレートをひとつ摘まむ。


「チョコ断ち中じゃないの?」

「……話してたら食べたくなっちゃった。一粒くらいは、いいかな」

「っふふ。経理課の金城鉄壁もチョコには弱いか」

「私は別に硬くない」


 儚くとろけるチョコレートを、二人で味わい、小さく笑った。



※8 一時的にチョコレートを断つこと。特にサロン・デュ・ショコラの直前に行われる場合、チョコレートへの欲求を高めると同時に、日常に浸透したチョコレートを再発見しチョコレートに対する”””感謝”””を新たにすることを目的とする。筆者以外に実施している方がいるかは不明。


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