6.とぐろ巻く脅威


 地下水路をたどって地上へと向かう。河口と潮が混ざっているときの独特の匂い。


「はぁ……。死ぬかと思ったわ」


 何にしろ怪物の正体は看破した。クエレブレ。固い鱗をもった巨大な海蛇シーサーペントだ。


 神は言っている。あんなやつにかなうはずが無いじゃないかと。私たちは一介の冒険者に過ぎないのだから。


「汽水域ってやつですね〜」

「貝でも採って帰りましょうか」

 マルシャとゼクシアは歩きながら水路を眺めている。ジェーンは少しうつむいて。ルルカは唇を噛み締めて。


 まあまあ、よくやったじゃないか。

 †エンドゲーム†は危険を冒して、神殿からの依頼の半分は達成した。これ以上何を望む?


 私は。とルルカは考える。

 私は私は私は。

 何がしたくて冒険者になったのだろう。


 人助けのため? 違うね。

 一攫千金? 間違ってはないけど正解でもない。


「あの巨体相手だし……しかも凶暴みたいだし……四人じゃ厳しいわよね……」

 考えながら喋る。口から出た言葉は思ったより弱気なものだった。


 安全で確実な仕事のため? そんなわけない。

 スリルを求めて? 悪くはないけど好きでもない。


 ルルカは他三人の会話を聞き流す。

「船倉や港の倉庫、商店が壊されてたのは合点がいきました。お腹がすいてたんじゃないでしょうか?」

「クエレブレって鯨を食べるんですか?」

「ああ、そういえば酒場でも聞いたことがありますよ。鯨漁の途中でクエレブレに横取りされた話とか」


 好きなのはそう、風の精霊が運んでくる擾乱の気配だ。

 何が起こるかわからない。けれど何かは起こるだろう。風が運んでくる。今までのすべてを変えてしまうような何かを。


「鯨を囮に使えば罠にかけることはできるかもしれませんね」

「でもそれだけじゃ……今のわたしたちだけじゃ難しいと思います……」

「……意外とたいしたことなかったですよ」

「もう、マルシャ。ゼクシアさんの防護魔術プロテクションがなかったらどうなってたかわからないよ」


 退屈を吹き飛ばすような風。

 それを望んでルルカは冒険者になったのだ。


「……やるわ。私たちでやってみせる」

「え、ルルカさん」


「あっ、ち、違うわよ! できるだけのことを……ね」

「はあ」

「皆を危険にさらすつもりはないし……、でも私たちでもね、やれるだけのことをやろうじゃない。ほら、せっかく罠だって作ったし……」


 三対の眼がルルカを見つめる。


 期待に満ちたジェーン。

 本当にそれでいいのかというゼクシア。

 マルシャは……ぼんやりしててよくわかんないけど、やる気はありそうだ。


「ちょ……、あの。あのねえ。あなた達ねぇ! 私はギルドリーダーとして、皆の安全を第一に……っ」


「やりたいんですよね?」

 ゼクシアが最後の追い打ちをかけた。


「く……ぅう……」


 ルルカが拳を握りしめる。

 それからゆっくりと天を仰いだ。ライラック色の髪がなびいて。


「あ、アイツを……、絶対……、」


「――潰す!」


 わーわー、という皆の歓声。

 それには風の精霊とか、ブリガンティアかみさまとかアエマかみさまとかも加わっていたとかいないとか。


「あのマストの恨みも……!」


 それは見当違いです。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 まず村人たちに頼み、漁に出てもらう。鯨をすぐに捕らえることは難しいから、網と銛を総動員して雑魚から大型の魚までできる限りの漁をして罠に仕掛け、夜になるとそれらの血を海蝕洞に向けて流す。


 続けること三日。


 雨の夜に動きがあった。


 潮と波の向こうにうねる巨体が見える。


 弩砲の射手を務めるのはジェーンだった。固唾を飲んで海を見守る。巨体は濡れて光り、ゆうゆうと動いているのがわかる。ジェーンはクエレブレを見つめながら自分の運命を見つめた。故郷でやり残してきたことを。


 前衛はウォーリアのマルシャ。

 じっとロングソードを見つめる。ゼクシアの防護魔術があったとはいえ、あの鱗を引き裂いたのが信じられない。信じられないが――もう一度確かめるチャンスはすぐそこに迫っている。


 若い二人は別に望んだわけではないけれど、生きていればきっとこういう瞬間があるのだろうと予感していた。


 クエレブレは落とし穴の罠に仕掛けられた餌にまでまっすぐ進んでいく。警戒心は皆無。


 ゼクシアはたいまつに点火する準備をした。クエレブレが罠にかかったらたいまつを周辺に投げる手筈だ。

 これはゼクシアにとってはルルカの”ツキ”を確かめる機会。


 ルルカは――ただ自分を信じて。


 クエレブレの巨体はもうほとんど罠の上だ。

「総員、」

 

 ジェーンが狙いをつけるために息を止める。マルシャが剣を抜く。ゼクシアはたいまつに点火した。


「――――――――!!」

 クエレブレが落とし穴に落ち、悲鳴を上げた。穴底の銛で貫かれたのだ。


「攻撃! 一気に仕留めるわよ!」


 ゼクシアがたいまつを投げる。

 罠にかかってのたうつクエレブレの巨体が夜闇の中に浮かび上がった。


 ジェーンは構えた弩砲のトリガーを引いた。


 ガシュッ!


「――――――――!!」

 命中した後の一瞬の間。それから悲鳴がもう一度。弩砲の矢弾の重みでクエレブレが完全にバランスを崩した。


「死ね!」

 後ろから聞こえてきた途方もなくシンプルなルルカの罵りにマルシャは笑った。

「くちわる」

 言いながら盾を構えて突っ込む。


 そして探す。何を?

 もちろん尾の傷だ。三日前に自分がつけたはず。


 銛と弩砲の痛みにのたうちながらクエレブレは罠にかけられたことを理解した。

 怒りと恨みをぶつける。

 誰に?

 ひときわ目立ち、風が周囲で渦巻いている気配に。ライラック色の髪の、直立不動で詠唱しているルルカに。


「――――ッ!」

「させないっ!」

 クエレブレの咆哮がルルカに向かおうとした瞬間、ジェーンの狙いすました投げナイフインタラプトがクエレブレの舌を顎に縫い付けた。


「ジェーン! 助かるわ!」


 皆の動きを見ながらゼクシアはため息をついた。

 こりゃもうダメだ。逃げるどころじゃない。やるかやられるかの戦いになってしまった。

 ねえ神様、見てますよね? 私たちの戦いは、努力はどう見えますか? 私たちであってましたか? 選んだのはあなた達の責任ですよ。


「《プロテクション》」


 旋回する尾。クエレブレの足元にまとわりついているマルシャに直撃するが、防護魔術のおかげで飛ばされるだけで済む。


「っ、《エアリアルスラッシュ》!」


 続いてルルカも魔法を放つ。だが浅く入ったそれは鱗に半ば弾かれる。


(うそ……! でも、焦りすぎてた、かも……!)


 落ち着け。失敗は失敗だ。大事なのは次にどうするかで。


 クエレブレのぬらぬらと輝く両目がルルカの姿を捉える。

「……!」


 ルルカの喉は一気に干上がった。脚がすくむ。

 しかし他の三人はそれを見て確信した。


 ――風の魔法は効く。


「ルルカさん、こっちへ!」

「え、え!?」

 ゼクシアがルルカをかばう。杖をかざして防護魔術の準備をする。

「ば……、危ないわよ! 死ぬ気なの!?」

「死にたくないからこうしてるんですけど」

「――――」

「さっさと次の詠唱してくださ――」


 言い終わる前にクエレブレが大きく口を開け、びりびりと空気を震わせた。

「来ます! 《プロテクション》!」

「くあ、あああぁ!?」

 鋭い水流のブレスがゼクシアとルルカを襲い、全身を切り裂いていく。


 のたうつ尾で飛ばされたのはもう三度目。マルシャはやっと自分が傷をつけた鱗を見つけた。

 ただ受け流すのももう限界だ。後衛の二人が水流をもろに食らったのも見ている。


 どうするべきか――。

「マルシャ!」

 呼ばれて振り向くと、ジェーンがもう一度弩砲を構えていた。


 ――おかしい。弩砲の矢弾は一発しかないはず。

「マルシャっ!!」

 ジェーンがもう一度叫ぶ。あらん限りの声量だった。


 それに気付いてクエレブレが鎌首をもたげ、ジェーンを見た。弩砲を構えている彼女を見た。


 そして――死にもの狂いで尾を翻らせる。


 マルシャは悟った。

 弩砲の矢弾がもう無いのをクエレブレは知らない。

 ――ジェーンは囮になっている。


 尾の動きを横目で捉えながらマルシャは駆け出した。

 うねる動き。


 大丈夫だ。もうはっきりと見た動きだ。

 自分をなぞり描きトレースしろ。


 ゆっくりとしたうねり。だが近づくと急速に。

 マルシャはまず盾を構え、その上に剣を重ね置く。

 うん、知ってる。ここだ。

 下書きがあるなら模写すれば良い。

 プロテクションは必要ない。なぜなら相手は既に傷を受けている。


 このまま尾に飛ばされればマルシャは致命傷を受けるだろう。だから仲間を信じるしかない。ジェーンみたいに。


「っ、ルルカさん!」

 

雪辱の切り札リゼントメント!」


 尾。傷ついた鱗。裂け目。

 マルシャが構えた盾と剣が食い込んで、僅かに鱗の裂け目を広げた。そこにルルカの風魔法が炸裂する。


 運命フェイトよ、とゼクシアは珍しく神に祈った。


 あるものが、あるべき場所に収まりますように。


 鱗の裂け目に風が入り込み、麻布を切り裂くように尾からクエレブレを分断していく――。風は千々に乱れながらも巨蛇を内側からすり潰した。



次回、『エピローグ』

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