第5話 視点「空腹の空き巣」

「おはよう」


 翌朝、あくびをしながら起きてきたキョウカちゃんに声をかけた。

 目を丸くして驚いている様子のキョウカちゃんに、俺はしたり顔になる。


「よく説得できたね」

「説得? ははっ、まさか。殺したんだよ。そのほうが手っ取り早いだろ?」


 言いながら凶器となった果物ナイフを見せびらかす。

 さっき台所で軽く洗ったが、まだ少し血のあとが残っていた。


「この暑さだ、匂いが酷くてさ。昨日の夜は大丈夫だったけど、今朝は臭すぎて目が覚めちゃって。死体ってあんな匂いがするのな、学校のプールみたいな」


 無表情のまま聞き入っているキョウカちゃんに、俺はこれからの話をする。


「それで、隠し切れそうにないし、今日山に埋めに行く。キョウカちゃんもおいで。うまく行ったら帰りにラブホにでも行こうよ。そうだな、夏だし、水着プレイがしたい。いいだろ?」

「いいよ」


 ほんの少し笑って、キョウカちゃんはうなずいた。

 まぁ、断る権利なんてあるわけがないのだが。


 近所で盗んだ車の後ろに死体を押し込み近くの山へと走らせていると、渋滞に引っかかった。


「ちっ、んだよ。こんなだだっ広い場所で」


 そこは普段渋滞になっていることなんてない、見通しのいい道幅の広い道路だった。


 何かがおかしい。


 窓を開けて頭を出すと、渋滞の先にパトカーが止まっているのが見えた。


「マジかよ」


 かぎつけたのだろうか。

 そんなはずはない。


 検問か、そうでなくとも事故か何かあったに違いない。

 このまま呑気に渋滞に捕まっているのはまずい。


 俺はバックさせて車の首を曲げ、強引に渋滞を抜けて左に曲がった。

 あせっていたせいで急発進気味になってしまい、タイヤが擦れて大げさな音が立った。

 曲がった先でバックミラーを確認すると警察でこそなかったが、通行人が驚いた様子でこちらを見ているのがわかった。


 ほどなくしてサイレンが鳴り出し、その音がぐんぐん近づいてくる。


「クソッ!」


 俺はアクセルを目一杯踏み込んで急加速し、山道へ向かう。

 道の整備された住宅街でカーチェイスなんてしようもんなら、あっという間に回り込まれてしまう。


 俺はそのまま法定速度を軽く超えたスピードで山奥へ突っ込んだ。



 山奥の深い森の中。

 車を乗り捨て、俺はキョウカちゃんの腕を引っ張ってなんとかここまで来た。遠くから追いかけてくる足音が聞こえる。

 木の枝を踏み折って走る音があちこちからする。俺自身も何本もの枝を折っているが、そのたびに心臓が止まる思いだった。


「っ!?」


 太い木の根につまづいて、慌てて振り切って少しの距離を走る。

 足を止めたら捕まるような気がしたからだ。


 しかしすぐにキョウカちゃんの腕を離してしまったことに気がついて振り返る。


「……なんだよ?」


 キョウカちゃんは、その場で立ち尽くしたまま静かに笑っていた。

 そんな場合じゃないとわかっているのに、その顔を殴りたくなる。


 四方から響く足音が近づいてくる気がして、止まっているのが怖くなった。


「クソ、クソ、クソッッ!!」


 逃げる気のないこの女は足手まといだ。

 俺はあきらめて一人で走り出した。

 猛スピードで迫る木の幹をかわし、邪魔な枝をしゃがんで避けながら奥へ奥へと登っていく。


「うぉっ!?」


 一際大きい木の幹を避けると、急な下り坂に足をすべらせ、転がり落ちてしまった。

 急に視界が開けたので何かと思えばそこは湖だった。


 濁った暗い緑色をしていたが、警察どもを振り切るには好都合だ。


「はっ、こんなんで俺を追いつめたつもりか? これでも元水泳部だぞ?」


 服を脱いで上裸になり、俺は湖に飛び込む。

 浮上しながらクロールで水面をかきわけ、さらに奥へ突き進んでいった。


 しかし、久々の水泳だからか、それともこの湖の水質のせいか、かきわける水が重くねばついたものに感じられ、どんどん体力が奪われていく。


 息継ぎもうまくいかず、時折顔を無理やり突き上げて呼吸しなければまともに泳ぎ続けられなかった。


「そうだよ、どうせ女子の水着姿が見たかっただけの幽霊部員だ、畜生っ!」


 ただでさえ疲れているのに、立ち止まってばしっと水面を叩いてしまった。


「あぁ……」


 途端に体がいよいよ鉛のように重くなり、水の底へ引っ張られていく。

 泳ごうにも腕が言うことを聞かない。

 間違いなく俺の肩から生えているのに、自分のものじゃないみたいだ。


 振り返っても、見渡しても、岸が遠い。

 俺は今更のように青ざめる。


「マジかよ……」


 ツンと鼻をつくのは、殺した死体と同じ、あの匂い。

 見学ばかりしていたプールで染み付いた、あの塩素臭い独特の香り。


 直立したまま水中に沈んでいく。いつまでも、足はつかない。

 息ができなくて、包み込む水も、四肢も鉄みたいに重くて。

 俺はぐんぐん沈んでいった。


 見上げると、木漏れ日に当てられた水面がゆらゆらと揺れながら鈍く光っている。


「ははっ」


 乾いたその笑い声が、口からこぼれ出た最後の泡だった。



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