第63話




 鮮血で染まっていた台所の床は、イーリスを確保した王宮の衛兵隊の厚意で掃除がされた。

 しかし古い木の床に染みた血が完全に落ちるはずもなく、2ヶ所の大きな赤褐色があの日の惨劇を思い出させる。


 カミラに嵌められていた魔道具は、宰相の言った通り高額で引き取られた。

 それでもモンスが死ぬまで衣食に困らない程度であり、床の張替えにお金を回す事は躊躇とまどわれる金額だった。

 回収に来たのはあのメイド二人で、「首切りじゃないのか、残念」と言っていたのが妙にモンスの耳に残った。



 あの日のメモ書きは、カミラの血で赤黒く染まっていたが何とか読み取る事が出来た。

 破れたのを、パズルのように貼り合わせた。

 地図を頼りに何度か往復して道を覚えた後、庭に埋めてひっそりと『カミラの墓』とした。

 本当のカミラの墓は、金の無い者が葬られる共同墓地だ。


 ヨエルの墓は、第二王妃が私費でこっそりと実家の墓地に建てたらしい。

 イーリスは心の病気を患ったとして、実家へ返された。

 鉄格子の嵌った部屋に監禁されているらしい。おそらく一生出て来る事は無いだろう。

 遠い王宮での話なので、今のモンスには真偽を確かめるすべは無い。


 しかし、貴族が平民二人を殺害したとしても、何も罪には問われないので、イーリスが生きているのは間違い無いだろう。

 それが貴族社会なのだと、モンスは今更ながらに実感した。

 今、モンスはその殺される側に立っている。



 何をしても肯定され、守られている立場は終わっている。

 前回よりも、今回の方が酷い終わり方だった。

「俺の何が悪かったんだ……」

 記憶が戻った時から、元王太子妃だったクラウディアをモンスなりに大切にしようと思っていた。

 しかし、当のクラウディアが前回の記憶のせいかモンスを避けるので、とりあえずまずは妻の座に据えようと色々と頑張った。


 クラウディアを王太子妃として大切にし、今回は王宮内で王族と同列に扱うように手配するつもりだった。

 カミラと同等に、夜の相手もしてやるつもりだった。

 王太子妃という光栄な立場に置き、今度は後継者を産ませてやるつもりだった。

 だから周りにもそう宣言して、クラウディアが嫁いでくるように……。

 そこまで考えて、モンスの思考が止まる。



「私に記憶が有るとして、なぜ貴方と再び婚姻しなければいけないのでしょう?」



 クラウディアとの最後の会話がモンスの脳裏によみがえる。

「ははっ、嫌われていたのだったな」

 まだ心のどこかで、クラウディアは自分を愛している、と、そう思っていた事に気付き、モンスは前髪をくしゃりと握り込んだ。


「一度も……前回も愛してなどいなかったと、そう言われたのに」

 前髪を掴んだ手をそのまま額に当て、俯いた。

 視界がじわりと滲み、一瞬鮮明になるが、またすぐに滲む。

 太腿が暖かくなり、すぐに外気に冷やされ冷たく変わる。


 クラウディアが本当に笑った顔を、モンスは知らなかった。

 愛しい者を見つめる視線が、モンスを見ていたものとは全然違った。

 頬を染めたり、喜んだり、普通の令嬢と同じような反応をするのだと、他の男と居る姿で初めて知った。




「どこで間違えたのだろう」

 何度も自問自答した事が、口から零れ落ちる。

 それに答えてくれる者は、当然居ない。

 今日も独りで、瑕疵かしの付いた家で過ごす。


 カミラと結婚しなければ、彼女はまだ生きていたのだろうか。

 なぜカミラは前回は発現しなかった魔法が使えたのだろうか。

 異母弟を必要以上に警戒し、避けたのが悪かったのだろうか。


 何が原因だったとしても、もう遅い、とモンスは大きく息を吐き出した。

 濡れた太腿が冷たく、モンスを嫌でも現実へと引き戻す。

 前髪から手を離し、天井を見上げた。

 何があるわけでもなく、ただ薄汚れたはりが見えるだけだ。



「あぁ、そうか。もうやり直しの出来ない前回になど拘らずに、今回の人生と真摯に向き合えば良かったのか」

 モンスは天井を見上げたまま呟いた。

 カミラと惰性で付き合っておいて、クラウディアを婚約者にしようとしたのは、前回をなぞっていたからだ、と無意識の愚行に気付く。


「クラウディアは、前回と決別したから幸せなのか……」

 新しい婚約者は、王族に平気で殺気を飛ばしてくるほどクラウディアを愛している。

「前回の記憶がある俺が……神に選ばれたのだと思っていたのに」

 やり直しの機会を貰った特別な存在だと、モンスはずっと思っていた。



「ヨエルともっと交流すれば良かった」

 後継者争いもあり、必要以上にヨエルを避けていた。なぜかヨエルもクラウディアに執着していたので、記憶が戻ってからは、尚更避けた。

 執着の理由は、つい最近判明した。

 あのイーリスという殺人犯は、叫んでいたのだ。「全てを知っている自分が国を救う」と。


「俺の今回の人生は、何なのだろう」

 誰も居ない、寂しい冷たい家で独り、死ぬまで過ごすのだろうか。

 止まったと思った涙が、また溢れて流れ落ち、床を濡らす。

 暗い天井は、涙で滲んでも暗いままだった。



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