第56話




 急に思い出し笑いをして口角を持ち上げたニコラウスを見て、クラウディアは眉間に皺を寄せる。

「ネロ、気持ち悪いわ」

 歯に衣着せぬ物言いは、ニコラウスが好むクラウディアの美点だが、さすがに今回は喜べない。

「え、気持ち悪いって……」

 ニコラウスが素直に傷付いた顔をする。


「一般的に思い出し笑いは気持ち悪いものと認識されておりますので、仕方が無いかと」

 いつから見ていたのか、イサベレがニコラウスへと告げる。

「え?」

 ニコラウスの無表情な顔がイサベレへと向く。声だけは、驚いている。

「え? 無自覚ですか」

 驚いたニコラウスにイサベレも驚く。

 どうやらニコラウスは、自分が笑っていた事に気付いてなかったらしい。


「何か嫌な事でも思い出しましたか?」

 バリエリーン侯爵がクスクスと笑いながら問い掛けると、今度は三人の怪訝に歪んだ顔がバリエリーン侯爵へと向いた。

「なぜ笑顔なのに嫌な事なのよ」

 少し呆れた声で言ったのは、娘であるイサベレだ。


「えぇ!? あの笑顔はそういう時の笑顔でしょう?」

 バリエリーン侯爵が反論するが、イサベレとクラウディアは益々表情が歪む。

 言葉にするならば「何言ってんだ、コイツ」だろうか。

 ニコラウスだけは、片眉を器用に上げた。




「冗談は置いておいて、どうしましょうかねえ」

 先程まで娘相手に泣き真似をしていたとは思えない涼し気な顔でバリエリーン侯爵が話し出す。


 そう。先程イサベレとクラウディアに引かれたバリエリーン侯爵は、「酷い」と言って泣き真似をして場を凍らせたのだ。

 可愛い女の子がやれば慰めようと思う行動も、国の重鎮である宰相補佐がやると戸惑いしか生まない。


 二人が困って顔を見合わせたところで、バリエリーン侯爵は顔を上げ、話を進めたのだ。

 因みにニコラウスは、我関せずで読み終わった書類を纏めていた。



「もしカミラ妃が泣き真似しても、今の私を思い出してくださいね」

 バリエリーン侯爵がハッハッハッと笑う。

 しかしその目は笑っていない。

 どうやら泣き真似は、カミラの常套手段のようである。


「ほんの少しでも申し訳無いとか、可哀想だとか、思ってはいけませんよ」

 バリエリーン侯爵の視線の先は、娘のイサベレだ。

 クラウディアやニコラウスには、カミラに同情する要素は微塵も無いと判断したのだろう。


「これは確証が無いので書類には載っておりませんが」

 そう前置きをしてバリエリーン侯爵が話し始めたのは、彼個人が予想しているカミラの能力発動条件だった。



 魅了魔法は感情に作用するもの、と考えられている。その為、同情や好意、そして罪悪感を持つと魅了に掛かりやすくなる、というものだった。

 王女達から宝飾品を盗んだメイドは、カミラの数少ない宝飾品である髪留めを落として壊したらしい。

 バリエリーン侯爵は、それ自体をカミラの策略だとみている。


 男性陣は、カミラの顔や体、特に胸を強調されればすぐになびくようだ。

「胸元を必要以上に開け、胸が大きくなって閉まらないから男性の力で留めて欲しい、と迫るそうですよ」

「まぁ! はしたない」

 イサベレはいきどおるが、クラウディアは目を細めだだけである。

 ニコラウスに至っては、たかが脂肪の塊、と呟いていた。


「ネロはお胸よりもお尻が好きなの?」

 クラウディアが隣に座るニコラウスを上目遣いで見る。

 これが計算ではなく天然なのだから、周りは苦笑するしかない。

「そうですね。私は部位ではなく本体が重要なので、ディディが好きです」

 こちらも計算ではなく、素で答えている。


「婚約破棄したばかりの私に……いえ、もう何でも良いですわ」

 イサベレが緩く首を振りながら言うのを、隣の父はそっと肩に手を添えて頷いて見せた。




 それからは何事もなく、日々が過ぎていった。

 イサベレが婚約者ではなくなったので、学園内でヨエル第二王子に絡まれる事も無くなった。

 同じ王宮内に居るのでカミラから離す事も出来ず、魅了は悪化しているように見える。が、それはクラウディアやニコラウスには関係無い事なので放置されている。


 学園に来ても自席で呆けている事が殆どであり、王太子から外れた事で側近候補だった生徒も離れて行った。

 昼食も取らずに席に座っているのだが、朝と晩は王宮でしっかりと食事をしているので、特にやつれる事も無い。


 第二王子である事、既に第一王子に男児が居る事、他に未婚の王女がまだおり、後継者の心配が無い事をかんがみると、このまま婚約者を決めずに生涯を独身で過ごす可能性が高い。


 変にクラウディアに固執こしつしなければ、彼には違う未来があったかもしれない。

 なぜなら、彼は前回には居なかった人物なのだから。



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