第54話
「お前との婚約を破棄する!」
広い食堂の隅々にまで響き渡る大きな声で婚約破棄を叫んだのは、ヨエル王太子その人である。
そして彼が指差す先に居るのは、友人と楽しく食事をしていたイサベレ・バリエリーン侯爵令嬢。
周りの生徒達は、あぁついに……としか思わなかった。
ヨエル王太子がとある公爵令嬢に執着懸想しているのは有名だったからだ。
そしてその公爵令嬢は、婚約破棄を宣言された侯爵令嬢と同じテーブルを囲んでいるクラウディア・アッペルマンである。
その為、その後に続いたヨエル王太子の言葉に、
「俺様の真実の愛の相手は、可愛いカミラだったのだ! 彼女には兄と別れてもらい、王太子妃になってもらう!」
色々と突っ込みどころ満載である。
まず、ヨエル第二王子が王太子なのはイサベレとの婚約が条件なので、破棄した時点で王太子では無くなる。
次に、カミラはモンス第一王子と離婚出来無い。本来婚姻後には王家の秘密も知らされる為、そう易々と離婚出来無いのだ。
カミラは全然何も教育されていないが、だからといって「いいよ!」と簡単にはいかない。
「カミラ妃が産んだのは、男児でしたわね?」
クラウディアの問いに、イサベレが頷く。
ニコラウスも含め、三人の頭の中には「王太子交代」の文字が浮かんだ。
当のヨエル王太子は気付いていないようで、まだ何やら楽しい事を話し続けている。
「俺様の隣に並ぶには、やはりカミラくらい若くて可愛いのが似合うのだ!」
既に人妻であり、一児の母である。
「王家に嫁ぐほどの器量もある!」
そのせいで第一王子が継承権を剥奪された事は、もう忘れているらしい。
「それにお前と違って乳もデカイからな」
執拗いようだが、一児の母である。しかも授乳中の。
「なぜ胸の大きさを知っていらっしゃるのですか?」
イサベレが無表情で問う。答えは予想出来ているが、敢えて聞いたのだ。
「直接見たからに決まっているだろうが、馬鹿め!」
馬鹿はお前だ。
おそらく、食堂内の全員、ヨエル王太子以外の意見が一致した瞬間である。
翌日、ヨエル第二王子有責での婚約破棄が発表された。
当然、王太子の地位は剥奪された。
王太子の座はしばらく空位になるだろう。
どうやらカミラの産んだ子を教育するか、未婚の王女に婿を迎えて、生まれた男児に教育するかで、議会の意見が分かれているらしい。
「第一王子の18才の愛人はどうなりましたの?」
クラウディアの問いに、ニコラウスの顔が曇る。
「王宮の平民の下働きと姦通して、実家を勘当されて娼館へ行った。娼館へ行った途端に正気になって王子妃に命令されたから下働きを誘惑した、と言い張っている」
今は地下室で薬漬けだ、と最後に付け足された。
ニコラウスの説明に、クラウディアの表情も歪んだ。
「魅了の魔法は、性別関係無いのでしょうか」
例え本当に平民の下働きに想いを寄せていたとしても、王宮で働くメイドが、しかも第一王子の愛人である者が、その地位を捨ててまで姦通はしないだろう。
正常な精神状態ならば。
それを言ったら、ヘルストランド侯爵家に突撃してきたあの伯爵令嬢達も、である。
伯爵家の執事があのような愚行を
「今、王宮は魔の
「まぁ王宮など、いつでも
ニコラウスの返しに、クラウディアが「そうだけど、そうじゃないの」と拗ねて見せる。
いつもならここで仲の良い
二人が居る場所は、アッペルマン公爵家でも、ヘルストランド侯爵家でもない。
「婚約破棄したばかりの私への配慮は無いのかしら?」
テーブルを挟んだ向かいのソファに座るイサベレが頬に手を当て、小首を傾げる。
「いや、お前、喜んでいただろう」
その横でイサベレの言葉を真っ向から否定したのは、父親である宰相補佐だ。
そう。二人が居るのは、バリエリーン侯爵家の応接室だった。
ニコラウスが見る事が出来るのは、夜の王宮だけである。
人々が活動している昼間に忍び込めないわけでは無いが、今から見てもおかしいのか通常通りなのかの判断が出来無い。
その判断が出来、尚且つ魅了の話も出来る相手として選ばれたのが、イサベレの父だった。
先触れとして、前日の夜中にニコラウスが執務室を急襲し、互いの喉元にナイフを当てて笑いあった事など、勿論クラウディアは知らない。
「腕は落ちてないようですね」
「そちらこそ、復帰するなら仕事はいくらでもありますよ」
そう言って、お互いに口端だけを持ち上げた黒い微笑みを浮かべたのだった。
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