第44話




「こちらでは初めまして、ルキフェル殿。そして初めましてクラウディア王太子妃殿下」

 深々と頭を下げた男性に、敵意は感じない。

 りとて、好意も感じないが。

「前回は王家の影、今回は宰相補佐をしております」

 敢えて名前は名乗りませんね、と笑った男性は、思った以上に大物だったようである。


「先日のカフェでの事件ですが、偶然私も居たのですよ」

 フフフ、と笑ってはいるが、目には一切の感情が無い。

「モンス第一王子殿下は、王太子ではなくなりました」

 クラウディアが驚き目を見開くと、男性の視線がキョロリと動く。



「王太子妃はご存知無いでしょうが、あの後王国は滅んでいるのですよ。議会にも何人か記憶持ちが居て、話が早くて助かりました」

 衝撃の事実に、クラウディアだけでなくニコラウスも驚く。


「大抵あの馬鹿……おっと失礼、第一王子が側妃と出会った頃に記憶が戻ったようですね。私は、第一王子が生まれた時に戻りましたよ」

 男性の瞳から光が消えた。

 まるで昔のニコラウスのようである。


「王家の影は、王制が無くなった時にされましてね。王太子が産まれた時に殺しておけば良かったと後悔したものです」

 王家が無ければ、影は存在出来ない。

 社会主義国家に生まれ変わった国には、邪魔な存在だったのだろう。




 男性は自分が言いたい事だけを告げると、さっさと去って行った。

 男性が消えてすぐ、微かに馬の蹄鉄の音と馬車の車輪の音がニコラウスの耳に届く。

 張り詰めていた神経を、ようやく緩める事が出来た。

 深呼吸するニコラウスを見て、クラウディアも体の力を抜く。


「王太子では無くなったので、リンデル伯爵令嬢と婚約出来たのですね」

 クラウディアが確認するように口にする。その声は明るい。

「議会の決定ならば、くつがえる事は無いだろうね。しかも前回の記憶持ちが議会内に複数人……ふふっ。二人の未来に幸多からん事を」

 ニコラウスにいつもの調子が戻ったようだ。



「私を第二王子の妻に、という事は無いのかしら?」

 クラウディアの問いに、ニコラウスの顔が曇る。

 議会の総意としては、そういう事だろう。なぜなら彼は、クラウディアを王太子妃と敬称を付けて呼んでいた。


「その心配……というか、忠告という意味も込めて、今日来たのだと思う」

 前回の記憶持ちが居るのならば、余計に有りそうな話である。なにせ、クラウディアには王太子妃としての実績が既に有るのだ。


 そして厄介な事に、王家側も議会と同じ考えなのである。

 邪魔者ライバルが居なくなったと思っている第二王子は、尚更クラウディアへと接触してくるだろう。

 本当の邪魔者は婚約者のニコラウスなのだが、王族絶対主義なのでそこは何とかなると思っている。


 そもそもクラウディアの婚約者がニコラウスの叔父だと勘違いしているので、第二王子はおかしな行動をして自滅してくれそうではある。

 それよりも問題なのは、第二王子のである。

 議会に記憶持ちが居るのならば、第二王子の傍にも居るだろう。


 クラウディアと同い年の第二王子がその確たる証拠だ。

 面倒臭い……やっと王太子妃という呪縛から解放されたのに。

 そう考えたクラウディアを、誰も責める事は出来ないだろう。

 しかしその考えが杞憂だったと知るのは、わずか数日後である。




「初めまして、ヘルストランド侯爵閣下、アッペルマン公爵令嬢。イサベレ・バリエリーンと申します。父は宰相補佐を務めさせていただいております」

 裏庭でゆったりと過ごしていた二人のもとに、一人の令嬢が訪ねて来た。

 最近留学先から帰って来たという令嬢は、同じクラスだが挨拶程度しか付き合いの無かった女生徒である。


「父からお二人に挨拶するように言われましたの」

 お邪魔してすみません、と改めて頭を下げる令嬢に、クラウディアは隣の席をすすめた。



「父は夢見がちな方でして」

 そう言いながら話し始めたのは、クラウディアとニコラウスも知っている前回の話だった。

「本屋に並んでいる小説よりも、余程れつでしょう?」

 ころころと笑った令嬢は、本当にそう思っているようである。


「だから王太子……いえ、第一王子殿下には国を任せられないと。私に第二王子殿下と婚約するようにと命令しますのよ」

 はぁ、と溜め息を吐き出した令嬢は、どう見ても第二王子に好意を持ってはいない。

「私も貴族の娘なので、努力はしますけどね」

 カップを持ち上げ、紅茶を一口飲む。

 幼い頃から王太子妃になるように教育されてきたらしい令嬢は、さすがに美しい所作をしていた。



 それから間もなく、第二王子殿下とイサベレ・バリエリーン侯爵令嬢との婚約が発表された。

 イサベレ・バリエリーン侯爵令嬢は、6才から多数の国へ留学していた才女である。

 ポッと出の婚約者だが、その経歴と父親の威光もあり、どこからも反対意見は出なかった。



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