第41話




「まず、婚約者に確認していただけますか?」


 いつも脱兎のごとく教室を後にするクラウディアが、珍しくゆっくりと帰り支度をしていた。

 これ幸いと第二王子が学園内のカフェへと誘ったのだが、返ってきた答えは「婚約者」という破壊力抜群の単語を含んでいた。


「こん、やく、しゃ?」

 信じられない物を見たかのように目を見開いた第二王子。

 それに対するクラウディアは、幸せいっぱいの満面の笑みだ。

「はい。この度、ヘルストランド侯爵閣下と婚約を結びましたの」

 学園内では派手な装飾品は嫌厭けんえんされるが、婚約指輪は例外である。


 婚約前に貰っていた大粒の紅玉ルビーの指輪。今までは学園に来る時間と、湯浴みや就寝時のみ外していた。

 湯浴みと就寝時は今まで通り外すが、今日からは学園内では外す必要が無い。

 クラウディアは指輪のはまった左手を、自らの顔の横へと並べる。

 無論、指輪を見せつける為だ。


「親子ほど年の離れた相手と婚約したのか!? いや、その前に侯爵は既婚者だろうが。公爵令嬢ともあろう者が第二夫人になるつもりか!」

 第二王子が叫ぶのを、クラウディアは冷めた目で見つめた。



 クラウディアとニコラウスの婚約発表は昨日である。

 昨夜から王宮では、その噂で持ち切りのはずだろうに。それを知らないという事は、疎外されているのか、くびられているのか。


 前回存在していないし、今回は接触を避けていたので、為人ひととなりをよく知らない第二王子。

 しかしあの王宮で育ったのである。残念ながらまともには育たなかったようだ。

 いきなり女性を怒鳴りつけるなど、紳士的では無い。


「何がおっしゃりたいのか意味不明ですが、とりあえず衆人環視の中でおとしめられるような覚えはございませんわね」

 クラウディアが荷物を纏め終わるのとほぼ同時に、ニコラウスがクラウディアの席まで来る。

「ディディ、行こうか」

 ニコラウスがクラウディアへ手を差し伸べた。



「お前! 俺が話しているのが見えないのか!」

 第二王子の存在を完全に無視しているニコラウスへ、無視された第二王子が怒鳴りつけた。

 言葉の中には、明らかに「不敬だ」という気持ちが含まれている。


「婚約者に不躾な態度を取る男を尊重する必要は無いでしょう」

 第二王子の態度を鼻で笑うか、逆に至極丁寧に接するか悩み、結局ニコラウスは後者を選んだ。

 背筋を伸ばして抑揚なく声を発し、ともすれば執事のようである。


「婚約者だと? お前は婚約者の息子だろうが!」

 第二王子は、まだ勘違いをしていた。

 クラウディアの婚約者がニコラウスの父親であると。

 ニコラウスがクラウディアへ顔を向けると、クラウディアもニコラウスを見上げていた。


 視線が合うと、二人はクスリと笑う。

 その様子がとても仲が良さそうに見え、他の生徒達は羨ましくもねたましく思い、第二王子には自分を馬鹿にしているように見えた。

「何が可笑おかしい!!」

 激昂した第二王子が叫ぶと、教室内からもの音が消えた。




「わかったぞ。侯爵と婚約しておいて、実はその男と不貞行為をするつもりなんだな!」

 第二王子が得意満面で素っ頓狂な事を言い出した。

 はぁ、と大きく息を吐き出す音が響く。

 呆れを含んだその音は、クラウディアの口から聞こえた。


「そのような事をして、私達にどのような利点が? 普通に婚約出来るのに?」

 クラウディアは敢えて、婚約の相手がニコラウスである事を言わずに話を続けた。

 おそらく第二王子以外の生徒達は、クラウディアの婚約者がニコラウスだと気付いている。

 頭に血が上っている第二王子だけが、状況を見誤っていた。



「ネロ、さすがに行かないと予約時間になってしまうわ。第二王子殿下、御前おんまえ失礼します」

 クラウディアが席を立つ。

 いつまで誤解したままなのか、放置して様子見をする事にしたので、早々に立ち去る事にしたのだ。


 予約の時間が迫っているのも嘘では無かった。

 昨日の今日ではあるが、人気のカフェに予約がしてある……はずである。

 公爵家令嬢からの予約なので取れていないとは思えないが、朝一でメイドが予約に行っていた。

 もしも予約が取れなかった場合は、馭者に連絡が入り、予定変更になる手筈になっている。


 ニコラウスが差し出す腕に、クラウディアは自然な動作で腕を組む。

 婚約者になる前からクラウディアのエスコートはニコラウスの役目だった。

「口の端のクリームは」

 歩きながらニコラウスが話す。

「舐めないし、ネロが舐めるのも駄目ですよ」

 そもそも口の端にクリームを付けるような食べ方を、貴族は普通しませんからね、とクラウディアが話を終わらせた。



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