第18話 尾行せよ
夜。闇の中に浮かぶ保安隊の庁舎から、一台のスポーツカーが出た。スカーレットのハイマシン。コードリィの愛車である。
車が十分距離をとれたことを確認して、半太郎はアクセルを踏んだ。
二人はコードリィの足取りを追うために尾行をすることにしたのだ。
「ここからは長期戦だぜ。粘ったもん勝ちだ。トイレは行ったか?」
「済ませてきたよ。それにしても」
半太郎は言葉を切ると、カーナビの画面をジッと見つめる。そこには町の地図の上に赤い点と緑の点が浮かんでいた。
「発信器なんて、よく持ってたね。犯罪にでも使うつもりだったの?」
コードリィの車には、クリスが持っていた発信器が取り付けられている。赤い点が、コードリィの車の所在地を示していた。
「なんだよ、仕事で使うんだ。元保安官様は、潔癖だから気になるのか? チマチマ堅いこと言いっこなしだぜ。アタシに品行方正を求めんな」
「そういう意味じゃないよ。助かった。ありがとう」
「礼を言うのはまだ早いぜ。まだ最終章に突入してもいないんだからな」
二人はそう下らないことを言い合ったが、実際、尾行は困難を極めたのだった。
コードリィの毎日は実に単調であった。家を出て、スーパーに寄り、出勤する。帰りはその逆を辿るだけ。時々書店や小さな薬局に寄ったこともあったが、どこか特別な場所に行く雰囲気はない。
こうしてなんの情報も得られないまま、もどかしい思いを日に日に募らせながらも、粘り強く尾行を続けた。
そして時間は二週間が経過した。
「おい見ろよ。また不審死だとよ。いよいよ、増えて来やがった」
クリスはコンビニで買ってきた新聞に目を通しながら、ブリトーに齧りついた。
ここ数日の間に、不審死の数は驚くほど増えていた。きっとこれもウイルスの仕業なのであろう。思い返してみれば、保安隊を退職してすぐ病院に行った際、待合室には人の数が多くあった。黒幕にどのような目的があったのかは明確ではないが、保安隊だけでなく、市中にも保菌者が多くいたのだろう。
「クリスは、そういえば、依頼人からは連絡来てるの?」
「ん? あぁ、もちろん。経過報告はしてる。が……」
「が? どうしたの。問題でもあったの?」
苦い表情を浮かべたクリスは言葉を渋って、やがて嘆息した。
「なんだか、先方の調子も悪いみたいでな。こりゃひょっとすると、向こうもウイルスに犯されてんのかもしれない」
大きな声を出したのは半太郎。眉を上げた彼に、クリスは手をひらひらと振った。
「時間がないが、そうなっちゃ仕方ねぇ。むしろ、奴さんだけ平気ってのも道理が通らねぇしな。オマエが気にすることじゃないし、オマエが気に病んでもどうにもならねぇ。目の前のことを、しっかりするだけだぜ」
クリスは半太郎に余計な心配をかけまいとそう言ったが、しかし半太郎はそことはまったく別のことを気にしていた。
すなわち、依頼人が撤退すれば、クリスもまたこの事件から手を引いてしまうのではないかという点である。クリスがこの事件に取り組んでいるのは、あくまで仕事だからだ。依頼人が死んでしまったら、依頼に取り組む意味がなくなってしまう。半太郎一人では何も出来ないのだ。クリスに撤退されるわけにはいかない。
だが、だからといって何か出来ることがあるわけではなく、半太郎はなるべくそのことを考えないように、別のことを頭に浮かべるようにした。
この日もコードリィには変化は見られなかった。
コードリィが動いたのは、尾行を初めて三週間が立とうとした日だった。
その日も、いつも通り出社したコードリィだったが、帰路についた彼を追っていた半太郎が早々に気がついた。
「……ねぇクリス。これ、副長の車、明後日の方向に向かって進んでないかな?」
初めクリスは半太郎の言っている意味がわからなかった。大方またどこかへの寄り道ではないのかと疑っていたのだ。しかし、半太郎には確信があった。なぜなら、いつもの寄り道はあくまで帰路から派生した場所への移動であったことに対して、この日は明らかに家のある方向とは反対に向かって走っていたからである。
「間違いないのか? オマエの期待しすぎってことはないのか?」
「あるかもしれない。その可能性は、むしろ高いかも知れない。でも、今回は、もしかしたら、もしかするかもしれない!!」
自然、ハンドルを握る手に力が入る。
クリスも、フロントボックスに投げ出していた足を引っ込めて、身構えた。
コードリィの車はそのまま大通りを西へと進むと、途中で支線を右に曲がり、そのまま人気の少ない工場地帯へと進んでいった。
気がつかれないように、慎重に慎重を期して進む二人。
やがて発信器の反応は、ある工場の前で止まった。
半太郎はブレーキを上げて、クリスの目を見やった。
「ここからは降りよう。慎重に近づきたい」
「わかった」
二人は路肩に車を停めて、コードリィの車目がけて慎重に歩を進めた。
彼の車は工場の敷地の中にあった。外からうかがった様子では人気のない工場だったが、入り口は固く閉ざされている。大きなサイロが三つ建ち並んで、その間をむき出しになった配管が繋いでいる。サイロの壁には『御室鉄鋼』の文字が躍っていた。
「この国で一二を争う大企業様じゃねぇか。んなところに、どうしてヤツは来たって言うんだ?」
「それは……、きっと中に答えがあるはずだよ。どこか、入れる場所がないか探そう」
二人は周囲をぐるりと伺った。
しかし、抜けられそうな穴はない。仕方なく、二人は工場の西側に回り込むと、持っていたニッパーでフェンスに穴を開けた。
「怒られるぞ」
クリスは茶化したが、半太郎は至って身剣に答えた。
「言ってる場合じゃないよ。ほら、急ごう」
人が一人通れる程の穴を作って、二人はそこから中へと侵入する。
人の目を気にしながらコードリィの車まで戻った。そこには誰の気配もなく、実に綺麗な車が残されているだけだった。
「本人はどこにいったんだ?」
半太郎が辺りを見回していると、クリスが小さく声を上げた。
「おい。見て見ろよ。こっちに靴の跡がある。昨日は雨だったからな。多分、これコードリィのもんだろ?」
見てみると、そこには確かに大人の男性程に見られる靴跡が残っていた。その足跡は迷いなく工場の奥へと続いている。
「どうする? 足跡を追うか?」
「もちろん。追わなきゃ始まらない」
「……」
クリスはジッと半太郎の顔を覗くと、静かに問うた。
「追って、オマエ、どうするつもりだ?」
「どうって……」
「アタシは、追いかけて工場を見つけても引き返すぜ」
クリスはハッキリとそう断じて、それに半太郎は目を見開いて驚いた。
「どうして! 目の前に敵がいるのに逃げる必要があるのさ!」
「逃げるんじゃねぇよ。ただ、体勢を整える必要があるって話だ。バカ正直に条件反射で入ってみろ。そこは敵のホームだぞ。何があるかわからない。少しでもこちらの条件を良くしなければ、勝てるもんも勝てなくなる」
「……ボクは反対だ。こうしてる間にも、ウイルスに蝕まれている人は多くなってるんだ。出来るなら、一秒でも早く止めなきゃダメだと思う」
「同感だな。一秒でも早く止めなきゃならねぇっていうのは正しいよ。出来ればだがな」
クリスは指を一つ立てて釘を刺した。
「オマエに出来るのか? たった二人。敵の数もわからない。強さも、厄介さも、何もかもわからない状態で。保安隊の副長に上り詰めた男を。ここまで私達に尻尾すら掴ませなかった男の身柄を、準備も無しに一発で捕らえることが。本当にオマエに出来るのか? 出来るほど有能なのか? 出来るならオマエの言ってることに文句はねぇよ。ただ、出来もしないのに正義感とか使命感とかで飛び出そうとしてるのならば、それはただの愚行だ。最も恥ずべきことだ。わかるか?」
半太郎は鬼の形相で、二の句が継げずにいた。クリスの言うことがもっともだと、頭でしっかりと理解出来てしまうからだ。
何度か自分を押さえ込むように深く呼吸を繰り返して、半太郎は折れた。
「わかった。見つけても、引き返そう」
こうして二人は、コードリィの足跡を辿ることにした。
足跡は大きな建物の影の、小さな物置に続いていた。
クリスがまず近づき、見つかる危険がないことを確認した後、半太郎も近づく。
中は簡素な倉庫だった。掃除用具やロープなどの雑具が散らばっている。しばらく探索していた二人だったが、クリスが倉庫の隅に、地下に降りる穴があることに気がついた。
「こっからは細心の注意を払え」
二人は順番に地下へと降りていく。
降りきった場所は四畳ほどのスペースがあって、そこから奥へと古びた廊下が延びていた。廊下は鉄板が敷かれており、左右には扉が並んでいる。白熱電球が吊されていて、どこか貨物船のような雰囲気があった。
恐る恐る、奥へと進む。耳を澄ませて、自分達以外の足音を慎重に聞き分けながら。
やがて建物の最奥にやってきた二人が目にしたのは、信じられないような光景だった。
二人が辿り着いたところは野球スタジアムほどの広さの空洞で、その中に、所狭しと円柱型のガラス容器が並んでいる。中には液体が張られていて、中には人間らしき影が沈んでいる。人体実験、という言葉が二人の頭の中に浮かんだ。
「ドラマでしかみたことがないよ、こんなの……」
「だが、これで間違いないな。ここがコードリィの拠点で、オレ達が追っていたウイルスの培養ルームだ」
「あ! クリス見て!」
半太郎が身を屈めながら前方を指さした。
クリスもまた身を屈めて、半太郎が指さした方を見る。
そこにいたのは、ぎゃあぎゃあと話し合う大柄な男――これはコードリィだ。それと、小柄な老人だった。
二人はしばらく言い争っていたが、やがてコードリィが踵を返してどこかへ立ち去ってしまった。
クリスと半太郎は互いに顔を見合わせる。
「なんだったんだ? あれ」
「どう思う?」
「どう思うも、ここの関係者だろ。片方はコードリィだから……、博士か?」
「そうかな。ボクには、上司と部下に見えたけどな」
「行ってる場合かよ。ともかく戻ろう。場所はハッキリしたんだ。後は、準備をするだけさ」
半太郎はクリスの言葉に頷いて、ゆっくりとその場を後にする。
その視界にジッとこの場所を焼き付けて。
次に来るときは、決戦の時だと、半太郎は決意を新たにしたのだった。
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