第17話 決意

「おい、いい加減切り替えろ。怒ってても、なんも状況は変わんねぇだろ」


 クリスは片手で握ったハンドルを規則的に指で叩いた。タバコをふかそうとして、空になっていることに気がつき助手席に声をかける。


「なぁ、そこのコンビニでカーマイン一箱買ってきてくれよ」


 しかし半太郎はジッと黙って虚空を見つめたままだ。にっちもさっちも行かず、クリスは運転席を降りて力強くドアを叩き閉めた。

 半太郎は助手席の中で微動だにせずに、ズボンを握りしめていた。くしゃくしゃにズボンに皺を寄せて、半太郎の頭の中で浮かんでいたのは保安隊の仲間達の顔だった。

 許せない。命に関わるような凶悪なウイルスを、まして仲間達の身体で勝手に培養させていたのだろうか。どんな目的であろうと、許せないことだった。

 ……このままで良いはずがない。ウイルスを無毒化するための薬はないのだろうか。一刻も早く薬を手に入れて仲間達に渡さなければ、彼らは死んでしまう。それだけは防がなければならない。


「降りろボケ! ついたぞ!」


 後頭部に強い衝撃をもらって、半太郎は気を取り戻した。そこはすでに集落の麓で、クリスはもう車から降りていた。


「作戦立てるんだろうが。しっかりしろ」

「ご、ごめん……」


 半太郎は慌てて助手席から降りる。振り向きもせずにズンズン進んでいくクリスの後ろを追いかけた。

 二人が集落の入り口に差し掛かった辺りで、クリスのタープの前に誰かが立っているのを見つけた。彼は二人に気がつくと、大きく手を振りながら呼びかける。


「おーい! 待ってましたよ! おかえりなさいー!」

「……先生じゃねえか」


 そこにいたのは、遺体の検体に行っていた先生だった。成功するかどうか怪しいと本人は言っていたが、満面の笑みを浮かべる様子から、どうやら上手く行ったらしい。

 先生は少し疲れた様子だったが、坂を登って集落に戻ってきた二人を見ると、軽やかに手をあげた。


「遅かったですね。待ってましたよ」

「先生……。遺体の調査はどうだったんだ?」

「バッチリですよ。そのご報告もしたかったので、ここでお待ちしていました。中で話しませんか?」


 先生はそれだけ言うと、自分はさっさとタープへと入ってしまう。二人は顔を見合わせて、苦い顔をしながらタープへと入っていった。

 タープは少し蒸し暑かった。椅子に腰掛けてクリスが口を開く。


「悪いな先生。今、ちょっとこっちはささくれ立ってるんだ。手短に頼むぜ」

「あら、そうですか。私としては、もう私はこんなに頑張ったんだぞというのを、お二人に存分にアピールしなければならないと考えていたんですがね」


 肩をおどけた様子で竦める。二人はもどかしかったが、調査をお願いしているしている手前、先生が話し出すのを待った。


「……さて。それで、あなた達の方ではどのくらいのことがわかったのでしょうか? あのウイルスが、人体に悪影響をもたらすことは?」

「それくらいは。でも、具体的なことは何もわからないです」

「なるほどなるほど。さもありなん、あれは、少し勉強した程度では理解出来ない、極めて高度なウイルス兵器と呼べますからね」


 ウイルス兵器。なんて嫌な響きだろうか。半太郎は胃の奥からすっぱいものが逆流する感じがした。


「で、私の方ですがね。私がいかにして調査の現場に立ち入ったのかは…………、今日は割愛しましょう。求められていなさそうだ」

「もったい付けるのはやめろ。結論だけ話してくれればいいんだよ」

「そうですか。失礼をば。む、用法あってたかな? まぁ、いいや。それで、そうそう、結論でしたよね。結論だけを述べるとすれば――――保安隊の人達は、まもなく全員死にます」


 椅子が倒れた。半太郎が立ち上がったからだ。息を荒だたせて、ジッと先生を見つめる。しかし、先生は動じないで、半太郎を見つめ返す。


「そう熱い目で見ないで。座りなさいよ」

「……全員死ぬって、どうして」


 先生には半太郎の言葉は右から左へ流れるだけで、芯を喰ってこない。ため息をついてから、首を鳴らす。


「遺体の中からウイルスが検出されたんですがね、これは人のタンパク質を徐々に崩壊させる性質があるんですね。人間の身体はタンパク質で出来ていますから。つまり、このウイルスを放置しておくといずれ保菌者は肉体が崩れて、死に至ります。時間は人によって様々ですがね。遅かれ早かれ、絶対です」

「………………」

「どうしますか? このまま歯ぎしりして立ち尽くしていますか? いいんじゃないですか? それもそれで」

「おい、煽るなよ」


 クリスが嗜める。先生は軽く頭を下げて引き下がった。

 ウイルスの保菌者は全員死ぬ。ぐるぐると頭の中で言葉が渦巻いていく。

 その驚くほど静かな様子とは裏腹に、半太郎の腑は激しく煮えくり返っていた。


「……クリス」


 震える声で呼びかける。


「なんだ」


 静かに答える。


「どうすればいい」

「……」

「ボクは、どうすればいい。正面から、戦えっていうのか? でも、ボクら二人で何が出来る。何も、何も出来ない。ボクは何も出来ない! ボクは、自分の無力が恨めしい!!」


 半太郎のキツく握りしめた右手からは血が流れていた。それは床にポタリと落ちると、静かに蒸発した。


「欲しい情報は一つだ。奴らのウイルスの研究所の場所。それさえわかれば、ウイルスの解毒薬なんかも、もしかしたらあるかもしれない」

「どこなのさ! それは、いったいどこにあるっていうんだ? 手がかりなんてない! 病院の院長の時とは違う。あの人は、コードリィさんは、あんな手じゃ崩せない!」

「怒鳴るな! 怒鳴ってどうにかなるのかよ」


 クリスに声を荒げられて、半太郎は押し黙る。

 しばし無言の時間が流れ、やがてクリスが空になったタバコの箱を握りつぶした。


「……コードリィの後を付けよう」

「え?」

「尾行だよ。粘り強く張るんだ。ヤツが研究所に立ち寄るまで。アイツだって、黒幕なら必ずいずれはそこに行くはずだからな」

「で、でも、そんなすぐに行ってくれるとは限らないだろ?」

「そうだな。明日かもしれないし、一年後かもしれない」

「ダメだ!」


 半太郎は顔を歪めた。


「それじゃあ、間に合わない……」

「だったら焦って行動すれば良い結果に繋がるとでも言いたいのかよ」


 半太郎をジロリと睨むその瞳からは、光が消えていて、ただ静かな暗闇だけが浮かび上がっている。


「オマエ、自分がヒーローにでもなったつもりか? オマエは何にも出来ないんだよ。脅威に対して知識も、力も足りないんだ。出来ることすっとばして、気持ちだけで駆けつけて、めでたしめでたしな結末に辿り着くってのは、さすがに都合が良すぎるだろうが。それとも何か、オマエに考えがあるのか?」


 悔しいがその通りだった。半太郎には何かを成す力がない。悔しさを押し殺して、スリ潰れそうになった心を奮い立たせて、半太郎は言った。


「やるなら、いつ?」

「――今夜だ。やるなら、すぐが良い」

「今夜……」


 クリスの考えでは、敵もまたクリス達の影に気づいている可能性があった。何か決定的な対策を打たれる前に行動したい。尾行は早ければ早いほうが良い。

 だが、半太郎には酷な決断だろう。蘇るのは数日前、病院に潜入する際の姿だった。


「混乱する気持ちもわかる。だからすぐに決めなくても良い。今夜までに決断してくれればそれで間に合う」


 しかし、半太郎は間髪入れずに答えを出した。


「行くよ。やろう」


 クリスの見つめる半太郎に、あの日のためらいなど、一つもない。

 あるのはただまっすぐな情念だ。


「お前……」

「早く行こう。そんで副長を倒して、捕まえて、みんなを治す方法を聞き出すんだ」

「助ける方法など」


 先生が意地悪に笑って口を挟む。


「ないかもしれんよ」

「そんなわけあるもんか。俺は信じてるし、何か手はあるはずなんだ」


 決意に満ちた目は、もう揺らぐことはないように思えた。

 クリスはそんな半太郎の様子を見て、勢いよく手を打った。


「そうと決まれば、やることは一つ! 今夜、黒幕との対決と行くぜ!

 アタシは依頼の遂行、つまりウイルスを作ったやつを捕まえるため。半太郎は、保安隊の奴らを助けるために。力合わせて、やってやろう!」


 こうして、二人は夜に備えることにしたのだった。

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