第16話 黒幕

 翌日は、生憎の曇り空だった。雨が今にも降り出しそうな匂いがして、半太郎の気持ちは静かに波打っていた。


「今日は赤髪の男……ワクム、いや、ショーマンか。ややこしいから、ワクムにしよう、その家を訊ねる」

「それで、黒幕のことを聞き出すんだね?」

「あぁ、そして保安隊との繋がりまで引き出せたなら、大収穫だ」


 二人は朝早くに集まって、揃って町へと向かった。

 ワクムの住所は町の外れの山の麓にあった。昔はニュータウンとして栄えていたが、現在は高齢化が進み、人通りも少なくなっている場所だった。

 適当な所に車を停めてワクムの家に近づいていく。だが、間もなく二人が目にしたのは大量の保安官の姿と、規制線越しに佇む古いアパートだった。


「しまった」


 呟いたのはクリスである。

 急いで駆け寄って、保安官にここで何があったのかを訊ねた。


「ああ、すみませんお騒がせして。実はここで殺人が起こりまして、規制させていただいています」

「それって、誰が殺されたんですか?」

「ここの住人の男性ですよ。赤髪の、若い人です。お知り合いでしたか?」


 その言葉に、半太郎達は絶句した。今日、このタイミングでの殺人事件。悪い偶然が重なった可能性は低いだろう。

 一瞬、半太郎は考えた。ここにいるのは元同僚だ。事情を話せば、事件のことを聞き出せるのではないだろうか。

 しかし、踏み出そうとした瞬間、クリスに腕を掴まれて我に返った。

 振り返ると、ジッと半太郎の目を見るクリスがゆっくりと首を横に振る。撤退の合図だ。


「いえ、ありがとうございました」


 二人は車に戻った。クリスが悔しそうにハンドルを叩く。


「あと一歩だった! 先を越された! クソ!」

「落ち着きなよ」

「落ち着いていられるかよ! やられた。狙われてたんだ。当たり前だった。もう少し考えればわかっただろうに……」


 悔しがるクリスに対して、半太郎は眉をひそめた。


「調査したいのは山々だけど、保安隊は信用ならない。何か他の手を考えないと……」

「オマエが」


 クリスが問う。


「中に潜入したり出来ないのか?」

「……難しいかな。上手く行って保安隊に戻ったとしても、捜査には加われない。自分の担当以外の事件はほとんど何も教えてもらえないから」


 しばらく二人で腕を組んで黙っていると、半太郎が良いことを思いついた。


「ボクたちとしては、遺体を検分することと、現場を調べることが出来ればいいんだよね?」

「まぁ、そうだな。どっちも出来れば文句ない」

「現場に関しては少し難しいかもしれないけど、遺体を調べるだけならなんとかなるかもしれない」


 神妙な面持ちで指を立てる半太郎にクリスが怪訝そうな目を向ける。


「……というのは?」

「先生だよ。昨日、病院に入った時も思ったんだけど、あの人、もしかしたら相当凄い先生なんじゃないかな? だったら、保安隊の検査に立ち会うことも不可能じゃないかも知れない」

「それはそうかもだけどよ。なんで凄い先生かもって思うんだ? アタシはそうは思わなかったぜ?」

「根拠、というには薄弱だけど、病院のことを知っていたり、石化病が誤診だと言った時の自信とか。そもそも、並の医者が山奥に研究所を建てて、そこに籠もって研究に没頭できるとは到底思えない」


 権力があるかは、正直なところ賭けだ。だが、なんとなく、あの先生は尋常じゃない人物である気が、半太郎にはしていた。

 クリスも半太郎の説明を受けて不承不承に頷く。


「そんじゃあ、先生に連絡するか。協力してもらえるかはわからねぇけど、ダメ元ってやつだな」


 そう言ってクリスは携帯を取り出すと、慣れた様子で先生に電話をかけたのだった。



「わかりました。進言してみましょう」


 先生があっさりとそう言ったので、電話口のクリスも、横で会話を聞いていた半太郎も、目を点にして驚いてしまった。

 息を吸って、クリスが確認する。


「本当に出来るのか? ぶっちゃけ、無理だと思って頼んでるんだが?」

「見くびって貰っては困ります。私は、こう見えても医学界にそこそこの影響力を持っていますからね」


 あのひ弱そうな先生にある程度の権威があるなど、半太郎にはとてもじゃないが信じられない。だが、本人が任せろと言っている以上、二人には任せるしかないのが事実だった。


「それよりも」


 先生が言う。


「あなた達はどうするのですか? なにも手を打たずに、ただ私の帰りを待ちますか?」


 先生はそう嫌みったらしく訊ねた。クリスは一瞬、ムッと鼻がしらに皺を寄せたが、チラリと半太郎を見て、それから首を横に振った。


「アタシらは、別の所に行く。心当たりがある人物がいるんだ。上手くいきゃあ、今度こそ、黒幕の尻尾を掴めるかもしれねぇ」

「ほう……、なるほど。まぁ、そちらの話は私には関係のないこと。応援していますよ」


 クリスと先生はその後、他愛もないやりとりを形式的に済ませると、すぐに電話を切った。

 半太郎は首をかしげてクリスに尋ねる。


「心当たりって、先生に言ってたけど、いったい誰のことを指してるの?」


 クリスは携帯をポケットにしまって言った。


「オマエのことを診察した医者だ。こないだの病院の、院長だな」

「ボク、院長に診察されたんだっけ……?」

「知らねぇよ。アタシそのあたり詳しく聞いてないし。じゃなくて、なんらかの人物があの病院に圧力をかけているなら、院長に話を聞けばわかるだろ?」

「だけど」


 半太郎はその意見には反対である。


「話を聞きに行って、そうですって話を聞かせてくれるとは思えない。何か手を考えないと」


 クリスは少し考えると、腰に手を当てて指を立てた。


「良い考えがある」

「信じていいやつ? 拷問とかは、倫理的にじゃなくて、体力的や時間的に無理だと思うけど」

「そんなんじゃねぇよ。近いことは、するかもしれないが」


 そうしてクリスが出したのは紙の束である。見覚えのないそれがなんかのか、半太郎はわからない。


「何それ?」

「何、見ての通りただの書類だぜ。アイツの書斎から、昨日掻っ払ってきたやつだがな」


 はらりと手渡された書類に目を通す半太郎。それらは、確かに、病院の会計や患者のカルテといった重要書類たちであった。


「アタシには詳しいことはわからねぇよ。けど、昨日先生はこの書類を見て、不正があると断言してたんだ。然るべきところにだせば、バレる類の不正が。なら、それを材料に脅せば、院長様の口も軽くなるんじゃないかと思ってな」


 したり顔で笑うクリスは、書類を半太郎からひったくると鞄にしまってタープを出る。


「行くぜ。お仕事だ」


 半太郎は不安を半分胸に隠して、クリスの背中を追いかけた。



 病院の院長の顔は、すぐに調べられた。

 従業員出入り口の前で数時間張り込んでいると、昼下がり小腹が空いてきた頃に、院長が顔を出した。

 二人は顔を見合わせると、徐に院長の前に立ち塞がる。

 オドオドする半太郎と対照的に胸を張って自信満々なクリスが、院長の近くに歩み寄った。


「こんにちは、院長先生。ご帰宅ですか?」


 院長は、突如現れた二人組を訝しみ身構える。


「失礼ですが、病院の入り口はこちらではありませんよ」

「承知ですとも。今日は院長さんに話があったんだ」

「それなら、事前にアポイントを取ってもらわねばならない。私だって忙しいんで——」

「落とし物」


 院長の言葉を遮って、クリスが言う。


「されましたよね? 改竄されたカルテをいくつか。あなたに直接お渡しした方が良いと思ったのですが、他の方にお渡しした方が良いですか? そう例えば……、保安隊とか」


 クリスが暗に言わんとしていることが伝わったのだろう。院長は目を素早く左右に動かすと、二人をジッと睨んで嘆息した。


「院長室で、お話しましょう」


 こうして二人は院長に連れられて、病院の中へ入っていった。

 昨夜も訪れた院長室に入る。院長は椅子に腰掛けて、二人は机越しに院長と向かい合っていた。


「それで、何を聞きたいのですか?」

「話が早くて助かるね。アンタが保安隊からの圧力でカルテを改竄したことはわかってる。アタシ達が聞きたいのは、誰からの圧力だってことさ。答えて貰うぜ。コイツが保安隊の手に渡れば、困るのはアンタだろ?」


 クリスは強気にそう責めた。

 だが、院長は一向に口を割ろうとしない。


「……申し訳ありません。それだけは、私には」

「おいおい、冗談言ってるわけじゃねぇぜ。言えないってのはどういう」

「申し訳ありません。申し訳……。違う、違うんです……。本当に」

「クリス、なんだか、様子が変じゃない?」

「お許しください。申し訳ありません……。でも……」


 院長は頭を抱えて明らかに狼狽しだした。その様子を見て、半太郎は後ずさる。狂気的なその姿は、何かに怯えているように見えた。


「しっかりしろ! どうしたんだ? 何にそんなに怯えてるんだ!」

「……世の中にはぁ!」


 院長はクリスの肩を掴んで大声で叫ぶ。


「触れてはいけないことがあるんだ。禁忌的なものが。決して踏み越えてはいけない所があるんだよ……。キミたちはそこに触れようとしている! あぁ、私は違うのに……。違うんだ……」


 その迫力に気圧されて、クリスすら息を飲み込んだ。

 しかし、すぐに弾かれたように動き出す。クリスは院長の肩を掴み返して揺さぶった。


「アタシ達も、そこに踏み入れる覚悟は出来てる! 教えろ! 誰が黒幕だ?」


 やがて院長は糸の切れた人形のようにその場に力なく座り込んで、静かに呟いたのだ。


「私に圧力をかけてきたのは、――副総監のコードリィだ」

「なっ――!?」


 絶句する。

 副総監が黒幕だったなんて、半太郎には信じられなかった。


「保安隊の副総監が、麻薬の黒幕で病院に圧力をかけてまでウイルステロを目論んでるとはな。しゃっべぇ展開になってきやがった……」

「私は終わりだ……。もう……」


 頭を抱えて蹲る院長に、クリスがもう一つ尋ねる。


「おい。やつはウイルステロを目論んでる。そのウイルスってやつの性質、でオマエが知ってることはないのか?」

「知らない……。未知のウイルスだった。だが、あれは、細胞を破壊するウイルスの形に酷似している。もし、性質が同じなら、かなり危険なものだ。命の危険もある」


 そう言った途端。院長は派手に椅子から転げ落ちた。

 勢いよく院長の右頬が、半太郎に殴りつけたからだった。

 目を白黒させる院長。肩を大きく上下させる半太郎の背中にクリスが手を添えた。


「時間がねぇ。帰るぞ」


 二人はへたり込む院長に背を向けて、集落へと戻るのだった。

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