第15話 カルテをさがせ!

 夜の7時前。クリスは自身のタープの中でジッとその時が来るのを待っている。傍らにはオシノビ診療所の先生が、呑気に編み物をしていた。

 時計の秒針がカチカチと時間を刻み、そして12の文字を指す。


「行くか」


 その一言とともに、2人は立ち上がってまっすぐタープの外に出た。


(アイツは、来なかったか……)


 クリスの愛車があるのは集落から離れた山中だ。振り返ると集落の中心に広がる野原と、その中央でたき火をする住人達の姿が伺えた。

 舌を鳴らしそれらにふいと視線を逸らして、クリスは真っ暗な森の中へと進んでいった。

 しばらく木々の間を進むと、やがて踏みならされた道が現れる。ここが町と集落を繋ぐ唯一の脈だ。その傍らに止めてある愛車の前に、クリスは人影を見た。半太郎だ。


「あ、待ってたよ」


 半太郎は車の傍らに蹲っていたが、クリス達の姿を見つけると立ち上がってお尻についた土を払った。


「おい、なんでオマエがここにいるんだよ」

「なんでって、そりゃ、ボクだって調査に行くからね」

「集合はウチの前のはずだろ?」

「ギリギリになっちゃって。ごめん」


 半太郎のあっけらかんとした物言いに、毒気が抜かれる。とにもかくにも、ここにいるということはだ。


「覚悟は決めてきたんだな」


 クリスの問いかけに半太郎はしかし首を横に振った。


「やっぱり、勝手に入るのは間違ってるし、悪いことだ。保安隊だったボクは、やるべきでないと思ってる」

「…………なら」

「でも」


 クリスが話す前に、半太郎が続けた。


「正しさでお腹は膨れないからね」


 その言葉は力強く、そしてクリスを納得させるには十分だった。

 クリスは車のボンネットを叩くと、鍵をほいと半太郎に投げる。


「運転は任せた」


 助手席に乗り込んだクリスに向かって大きく頷き、半太郎はすぐに運転席へと乗り込んだのだった。



 集落から車を二十分走らせたところで、北側に大きな白い建物の姿が見えてきた。あれが、この町一番の病院であり、半太郎が健康診断を受けた場所でもあった。

 半太郎は少し離れた場所に車を止めると、そこから歩いて病院の裏手の門から敷地に侵入した。

 クリスが慣れた手つきで鍵を開ける。「アタシに開けられない鍵はねぇよ」とはクリスの談。

 夜の病院は人の気配が少なく、昼間とは打って変わっておぞましい雰囲気を醸し出していた。


「懐かしいですね。若い頃を思い出します」


 これは先生の言葉。


「若いときって、先生いまおいくつなんですか?」

「キミよりも年上とだけ。あとは企業秘密です」

「無駄口叩いてねぇで、行くぞ」


 クリスを戦闘に先生、半太郎と続く。茂みに身体を隠しながら、職員用の入り口に張り付いた。そっと中に聞き耳を立てるが、足音はしない。


「ここからは、絶対に勝手な行動は厳禁だぜ」


 クリスが最後に忠告して、3人は病院の中へと足を踏み込んだ。

 院内は夜らしく、常夜灯以外真っ暗で少しの物音が異常に大きく聞こえる。ひんやりとしたゴムの手触りを頼りに、ゆっくりと慎重に院内を進む。


「まずは事務室に行こう。カルテがあれば良いし、なくても見取り図がある」


 クリスの言葉で一行は事務室に忍び込んだ。

 スイングドアを押し開けて、中へと身体を滑り込ませる。事前の打ち合わせで、カルテの場所を調べるのは半太郎と先生の仕事に決まっていた。

 雑多にバラバラと書類を調べるが、カルテらしきものは出てこない。


「やはりここにはないですね。別の場所に保管されているんだと思います」

「別の場所って、どこだと思います?」

「そうですねぇ。より厳重に警備してある場所だから、院長室? か、一般職員が立ち入れない閉鎖書架ですかね」


 見取り図を見ると、この病院には院長室と閉鎖書架が同じフロアにあるみたいだった。


「どうでもいいけどよ。移動するならさっさとしようぜ。他のヤツがくると鬱陶しい」


 2人の話を横で聞いていたクリスが言った。その声かけに頷いて、3人は閉鎖書架があるフロアに向かったのだった。



「ここにもないな……」


 書架の棚を閉めて呟く。真っ暗な広い部屋の中、目的のカルテは見つからない。


「残すは隣の部屋だけだな……」


 クリスはポケットからタバコを取り出して一本咥えたが、ふと天井を仰いで火をつけずにしまった。


「隣の部屋って?」

「院長室です」


 院長の管理する部屋。執務室のようなものだろうだとイメージしていたが、カルテもあるのだろうかと首を捻る。


「病院のボスの基地だろ? とんでもないトラップがあるかもな?」


 冗談めかして笑うクリスに先生が手を振って返す。


「そんな、アニメみたいな病院あるわけないじゃないですか」

「あの……、あなたの病院……、まぁ、いいか……」


 書架を出て、院長室の前に来る。観音開きの扉は木製だが重厚感があった。鍵を弄るクリスが呟く。


「ここの鍵、他よりも厳重だな。造りがややこしい」

「開けられない?」

「まさか。楽勝だぜ」


 半太郎は不安げに鍵穴を見つめたが、間もなくカチリと高い音と共に鍵が開いた。

 音を立てないようにゆっくりと扉を開くと、真っ暗な室内が廊下の常夜灯によって照らし出される。そこには壁際に並んだ本棚とロッカー、部屋の中央にどっしりと構えたカシミアの机があった。

 中に入り、素早く扉を閉める。


「んじゃ、ちゃちゃっと調べてくれや。アタシも手伝うからよ」


 懐中電灯の明かりを頼りに、半太郎達は捜索をはじめた。

 手分けして探していると、机を調べていた先生が「お」という声を出す。


「見つかったか!?」

「えぇ、ありましたよ。半太郎くんの名前も……、ほら、ある」


 先生は取り出した数十枚のカルテから、半太郎にその一枚を手渡した。

 なるほど、確かにそこには「創里半太郎」の名前がある。

 中を読んでもわからないので、2人は先生が読み終わるのを待った。


「にしても、変な病院だぜ」


 ロッカーの引き出しにある書類を睨めつけるクリスがボソリと呟く。


「……変ていうのは?」

「ここのセキュリティ、院長室だけがずば抜けてキツい感じだった。なのに、人の気配は、この部屋の回りだけ異様に少ない。まるで、ここに誰も近づけたくないみたいだ」


 他の職員にも近づかれたくない、院長だけの秘密。それが、このカルテに隠されているのだろうか。ゴクリと唾を飲み込んだ。

 やがて、先生が立ち上がると半太郎は敏感に反応する。


「先生! なにかわかりました?」

「うん。やっぱり思っていたとおりだった。あくまでカルテだから断定的なことは言えないけれどね。このカルテから読み取るに、キミの身体に抗体があったように、その他の保安官の身体には――逆に、ウイルスが見つかった」


 半太郎は驚いて絶句した。


「それは、どういうことだ?」

「断定的なことは言えないよ。でも、偶然が重なったとしても、1人も漏れなく感染しているというのはあまりに不自然だ。いや、漏れはあったか」


 そう言って先生は半太郎を横目に見やる。


「……不自然だったらなんなんですか? 何が起こってるって言うんですか?」

「つまりだね、あくまで推察だが、保安隊はウイルスの培養のために使われていた可能性がある。下手をすれば、全員、既にゾンビだ」

「なるほどな」


 先生の言葉に、続いたのはクリスだった。


「それで、だいぶ黒幕の姿は見えてきたぜ」


 振り返るとクリスは書類の中のいくつかをジッと眺めている。


「管理が不用心だよな。シュレッダーにかけるなり、燃やすなりした方がよかった。こいつの棚の中には、あるところからの手紙が厳重に保管してあったぜ。差出人は無記名だったが、見覚えのある隊印が押されている」


 クリスがヒラヒラと取り上げたそれに示されていたのは、保安隊のエンブレムだ。


「内容はカルテの改竄要求。おそらくウイルスについて先生がカルテから読み取れたのは、それに関しての調査をそもそも要求されてたのかもしれないな」

「そしてキミが首にされたのも、抗体を持つキミが邪魔だったのかもしれないね。……再就職に関して、キミを取らないよう圧力がかかってたと考えれば、クリスくんの所まで降りてきたのも」

「降りるってなんだよ」


 半太郎の脳裏に過ぎったのは、恐ろしい予感だった。すなわち、保安隊の上層部が事件の黒幕であり、保安隊とクスリの二面でバイオテロを目論んでいるのではないかというものだ。

 しかし、ゆっくりしている時間はない。


「おい、おい! 半太郎、ずらかるぞ。長居しても危険だ」

「……あ、ああ、ごめん」


 クリスに促されるまま半太郎は病院を跡にしたのだった。

 振り返ると、病院の向こう側に保安隊の庁舎が見えて、憂鬱な気分になった。

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