第14話 クリスの話

 半太郎はモーリーから資料を受け取り、その場で資料を読み込むと足早に庁舎を後にした。


「もう行くのかよ。夜ご飯でも行かないか?」


 モーリーはそう誘ってくれたが、半太郎はクリスの元へ一刻も早くも向かわなければならなかった。


「ごめんな。また今度!」


 粗雑にそう言って、まっすぐ電話口で指定された場所へと駆け出したのだった。

 クリスが指定してきたのは、駅前の広場だった。

 半太郎が広場に着く頃には、日もだいぶ傾いてきてオレンジ色の光が風景を包み込んでいた。


「あ、おい! こっちだ」


 喧噪の中、キョロキョロとあたりを伺っていると、ロータリーの隅の方から声がかかる。振り返ればそこにはクリスと、もう1人の影があった。

 誰だろうかと目を凝らしながら近づいていくと、それがオシノビ診療所で半太郎立ちを出迎えた若い見た目の先生だということがわかった。

 先生は半太郎をニコニコと出迎えると、片手を振って声をかける。


「やぁ、お久しぶりです。その説はどうも」

「お久しぶりです……。クリス、なんでこの人が?」

「話があるからだよ。……ここで立ち話もなんだ、とりあえず帰るぜ。時間がない」


 クリスは腰に手を当て足を絶えず揺すっている。その落ち着きがないような理由を半太郎は訊ねたかったが、クリスが話を聞くより先に歩き出したので、集落に戻ってから話せば良いかと飲み込んだ。

 3人はクリスが乗ってきた車でまっすぐ集落に戻る。車中、誰も一言も発さなかったことが、かえって不気味に思えた。

 集落に戻った3人は、すぐにクリスのタープへと入った。クリスは供えてある飲用の水を腹に収めると、口元を拭い切り出す。


「悪かったな。急がせちまった」

「いや、別にそれはいいけど。どうしたの? 落ち着きがないように見えるけれど……。それに、町の人をぶっ殺すってどういうことなの?」

「ああ、説明しないといけないが……。ところで、そっちの首尾はどうだったんだ?」


 クリスが訊ねたのは、赤髪の男に関してだろう。半太郎は「あぁ」とポケットを探り簡単なメモを取り出した。


「男の住所と名前はわかったよ。本名がショーマンと言って、住んでるのは工場のあたりだった。以前から暴行や万引でよく保安隊に目をつけられてたみたいだった」


 男の家は工場からさほど遠くない場所にあった。調べようと思えば、すぐに調べられるだろう。

 クリスはそれを聞くと「なるほどな」と呟いたが、続く言葉は謝罪だった。


「ありがとう。だが、悪いが調べるのは後回しにしてくれ。それよりも大変なことがわかったんでな」

「大変なこと? それは、今日の調査でわかったことなの?」


 半太郎はクリスに質問するも、それに答えたのはにこやかな笑みを浮かべて動向を見守っていた先生だった。


「そうだとも言えるし、違うとも言えますね。色々わかったことが多く、説明しなければならないことも多いので」

「はぁ……。ボクにとっては、どうして先生がこの場にいるのかも不思議なのですが」

「事件に関わりがあるかもしれないからだよ」

「えぇそうです」


 クリスのフォローを受けて、先生は首を縦に振る。


「とにかく、少し難しい話で、事件の根幹に関わる話でもあります。出来るだけ噛み砕いて解説しますが、ちゃんと頭を働かせて下さいね」


 相変わらず人を自然と見下している人だ、と感じつつ、半太郎は素直に頷いて聞く姿勢を取った。


「聞かせて下さい」

「……わかりました。そうですね、では、一旦事件のことを整理しましょうか。クリスさん、ボードを」


 先生はホワイトボードの前に立つと、そこに文字を書いていく。


「キミたちが追っている事件は、一ヶ月程前から発生している連続不審死事件です。数日前に亡くなっているはずの人間が、なぜか二度目の死を迎えているというもの。そしてキミたちはその事件が、麻薬組織の流通させている麻薬によって成されていると考え、その麻薬組織の尻尾を掴もうとしていました」


 クリスの方をチラリと見ると、ふいとそっぽを向かれた。クリスが先生に事件のことを話したのは何らかの理由があってのことなのだろう。それを責められると思ったからそっぽを向いたのだ。


「で、どうして先生がボクたちの事件のことをご存じなんですか? 秘密にしていたはずなのですが」

「はは、それは、私の研究についてお話しなければならないね」

「研究? なんですか、あんな山奥で研究をしてたんですか?」

「むしろ、研究くらいしかすることがないだろあんなところ……」


 先生はコホンと咳払いをする。


「私の研究というのは、ある謎のウイルスについてです。それは、近頃町中で急激に増えているものでね。私も集落の中で原因不明の高熱に悩まされていた人を診察した時に、たまたま見つけたんだ。正体も不明でコレまで見たことのない組成をしていたそれに、私は強い興味を引かれてね。以来ずっと、そのウイルスについて研究していた」

「……はぁ。それが、事件とどう関わりが?」

「順を追って説明します。実はね、私がクリスくんに声をかけたのは、キミの身体について聞きたかったからなんです」

「ボクの身体?」


 そこで半太郎は思い出す。そう言えば、以前診療所に出向いた際に、半太郎の身体を調べたいと先生が行ってきたことがあった。


「あれで、なにかわかったんですか?」

「わかったどころの騒ぎじゃないよ。キミの身体を調べたんだが、キミの身体はある一点を除けば至って健康体そのものだった」


 ある一点。それには心当たりがあった。

 それは、半太郎が保安隊を辞めさせられた理由でもある。そう、石化病だ。

 しかし、先生が次に口にした言葉はそう考える半太郎のまったく予期しない言葉だった。


「ある一点とは、キミの身体の中に謎のウイルスに対するがあったことだよ」

「……え?」


 思わず、素っ頓狂な声が漏れる。半太郎は立ち上がり、先生の両肩を掴んだ。


「抗体? 石化病じゃなくて?」

「石化病? んな古い病気を引っ張り出してどうしたんだ。そんなもの、キミの身体の中には影も形も見当たりませんでしたよ」

「そんなバカな……。だってボクは、それが原因で保安隊を首になったんだ」

「知らないよそんなの。誤診じゃないのかな?」

「誤診なもんか。言われたんだ、病院の先生に! 確かにボクは石化病だって。先生こそ、間違ってるんじゃないですか?」


 そうだ。山奥に住んでいる素っ頓狂な医者など信頼に値しない。間違いに決まっている。そうでなければ、どうして半太郎は職を失わなければならなかったというのだ。

 しかし先生は心外といった様子で頬を膨らませ腕を組み、


「私が誤診するはずないでしょう! 間違いないよ。キミの身体には石化病なんてない!」


 言い切られて、半太郎は動きを止めた。へろへろとその場に崩れるように尻餅をつく。


「そんな……。だって……、ボクは、そのせいで……」

「おい、大丈夫かよ」


 クリスが慌ててしゃがみ込み半太郎の顔を覗き込んだ。


「どっか辛いのか? 平気か?」

「……ごめん。少し、混乱しただけで」

「ほら、水だぜ。飲みな」


 クリスからコップを受け取り、ゆっくりと口へと運ぶ。


「全部飲めよ。ゆっくりな」


 一方、先生は自分顎を撫でながら明後日の方向を見つめて何かを呟いていた。ボソボソと聞き取りづらいが「やはり病院が怪しいか……」と言っていたように半太郎は思った。

 クリスに礼を言って深呼吸をする。


「無理そうなら休んどけよ」


 クリスは優しく言ってくれるが、半太郎としても何が起こっているのかを知りたいという気持ちが強かった。


「続けて下さい。それで、抗体がどうしたんですか?」

「ふふん。いいでしょう。キミは抗体がどうやって出来るか知っていますか?」

「えっと……。確か、元々身体に備わってて、それがウイルスをやっつけるんですよね」

「大まかにはそうです」


 先生はそう言うと、ボードに二つのマルを描いて、片一方にA、もう片方にBと書き込む。


「いま言ったのは自然免疫と呼ばれるものです。ただ、それだけでは対処仕切れない場合もあります。そう言った時に、自然免疫では倒しきれなかったウイルスや病原菌を排除するために生成される物質のことを抗体と呼び、こうした病気にかかってから獲得する免疫のことを獲得免疫と言います」

「はぁ……、獲得?」


 クリスは少し難しい話になるとまったくついていけないようで、頭の上にクエスチョンを浮かべている。


「そして、半太郎くんの身体には謎のウイルスに対する抗体があった。つまり、裏を返せば、半太郎くんは謎のウイルスに一度罹ったことがあるということなのです!」

「えっ! ボクがですか??」


 半太郎は自分の身体を隈無く眺めて、


「全然覚えがないですけど」

「自覚症状がなくとも免疫を獲得する場合があります。弱いウイルスに罹ったのかもしれません。まぁ、ワクチン以外で、自然に弱いウイルスに罹るのか疑問ではありますが」


 つまり、半太郎の身体には先生が目をつけていたウイルスの正体を解明するための手がかりがあったということになる。なるほど、これは先生が半太郎に声をかけたくなる理由ではあるだろう。


「でも、事件とは関係ないですよね?」

「えぇ、そうです。ここまでなら、事件とウイルスはまったく関係がなかった。しかし、クリスさんと少しお話をしていると、面白いことがわかりました」


 先生に水を向けられたクリスは、頷いて続きを話し始めた。


「アタシが先生に連絡をしたのは、実は、麻薬の売人のバイタルを調べて貰ってたからなんだ。麻薬の売人は、こっそりとクスリをくすねていることがある。もしかしたら、なんか出るかもって思ってな。そしたら、どうなったと思う?」

「もったいぶらないでよ」

「なんと、その売人からも謎のウイルスが見つかったんだ。これは、何かあるかも知れないって思うだろ?」


 クリスの話を聞いて、ようやく繋がった。

 つまり2人が言いたいのは、謎のウイルスこそが、不審死事件の原因かも知れないということなのだ。少なくとも、二つの事件にこうして接点があった以上、関連があった可能性は非常に高い。


「って、待って。なら、ボクの身体には、ゾンビ事件の原因かも知れないウイルスの抗体があるってこと?」

「ああ、そういうことだ」


 クリスはよっこらしょと立ち上がると、先生からペンを受け取りボードに文字を書き始めた。


「つまりアタシ達はオマエの身体になんらかの秘密があると見た。オマエが以前ウイルスに罹っていたんだ、保安隊の他の連中も罹っている可能性は大いにあり得る。感染経路の特定という意味でも、売人の正体を探るためにも次に打つ手は一つしかねぇ」

「その一つって……」


 半太郎の呟きはクリスのボードを叩く音にかき消された。

 そこに書かれていたことを、クリスは強い語気で口にした。


「病院潜入。オマエのカルテを盗み出す」 

「なっ……。盗むって、不法侵入するの?」

「それと窃盗だな。見つかれば前科付きだ。やったな」

「やったなじゃないよ! 許されるわけないでしょ! 犯罪だよ!」

「今更だろ? それに、そんな悠長な手を取っていられる雰囲気でもなくなってきた。やるなら今夜だ。アタシは行くぜ」


 クリスの言葉に先生も乗っかる。


「もちろん、同行しますよ」


 恭しく胸に手を当てて頭を下げたその姿が、いまは非常に腹立たしい。

 だが、半太郎は何も言えない。言えずに、ただ拳を強く握りしめている。

 その様子を見て、クリスは息を吐く。


「……これは仕事だ。割り切れよ。っつっても、元保安官様には難しいんだろ。猶予をやる。今夜までだ。決意が定まったならこのタープに来い。よく考えろよ」

「そんな、今夜って急じゃ……」

「わかったら、解散だ。ほれほれ」


 クリスはそう言い残すと、自分だけさっさとどこかへ行ってしまった。

 半太郎は葛藤の中で力なく自分の膝を叩いたのだった。

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