第10話 半太郎の初仕事
「それじゃあ、早速仕事の話をしようか」
「もう!? 本当に早速だね」
最終試験を終えて、二人で一通り笑い終えると、クリスがスッと立ち上がって半太郎に教鞭を向けた。
採用、即就労の経験が半太郎にはなかったため、驚きが隠せない。そんな彼には触れずにクリスは説明を始める。
「私は今、ある事件の調査をしている。詳しい事の経緯は割愛するが、これがどうにもきな臭い上に、私一人の手に余るんだ。そこで、オマエの力を借りたい。出来るよな?」
「もちろんだ」
間髪入れずに、半太郎が答えると、クリスはふふっと微笑する。
「頼もしい限りだな、おい」
「それで、事件の概要は?」
「……始まりは、町のある家庭で起きた事件だ。場所は町の中心部にあるファミリーマンション。被害者は30代の男性で、彼には3歳年下の妻とまだ幼い娘がいた。事件が起きたのは午後7時過ぎ。彼はいつもどおり帰宅して、リビングに荷物を置き、妻と子供と少し談笑してから風呂に入った。この際、彼の家族は、彼に不自然な点はなかったと言っている。風呂に入ってから一時間後、男性が一向に出てこないのを不信に感じた妻が風呂場まで様子を見に行くと、浴槽の中で男性が沈んでいるのを発見したらしい。妻はすぐに救急に連絡し、彼は間もなく病院に搬送されたが死亡が確認された」
「とりたてて不自然なところはないね。よくある……、といえば気の毒だが、一般的な死亡事故だ」
「ああ、ここまではな。だが、病院で診断された彼の死因は少し妙なものだった」
「妙? 何だったの?」
「彼の死因は、出血性ショックだった」
出血性ショック。体内の血液が急激になくなったり、各臓器に行き渡らないことによって起こる現象だ。主に体外に大きな傷が出来たり、体内での裂傷が起こった際に見られるものでもある。
クリスは続ける。
「被害者にそれらしい傷は見られなかった。身体の外にも、中にもな」
「それは妙だ。不自然だね」
「さらにおかしなことに、検死官の見立てでは被害者が死亡したのは、病院に搬送された日の三日前だったというんだ」
「そんなまさか」
半太郎は両手を投げ出した。
「父親は死亡した日に自分の足で帰宅してるんでしょ? まさか、ゾンビじゃあるまいし。それとも、家族が三日間死を隠蔽した後に、救急車を呼んだって言いたいの?」
「いいや。彼女らは誓って当日の内に通報したと証言していたし、取り調べた捜査官も、彼女達が嘘を言っているようには見えなかったと言っている。その日は、職場でも働いている姿が目撃されたらしいしな」
「だったら、どういう」
「まぁ急くなよ。話はまだ終わりじゃない」
クリスはそう半太郎をなだめると、次の資料を手に取った。
「次の事件が起きたのは、それから一週間後のことだった。現場は町の中央を流れる大きな川で、被害者は商店街で酒屋を営む50代の男性だった。事件が起きたのは金曜の昼。彼が橋の上から川に飛び込むところを、偶然通りがかった通行人数人が目撃し保安隊に通報したんだ。彼は駆けつけた警察官によって川から引き上げられたが、またしても死亡が確認されたらしい。死因は出血性ショック。彼にも目だった外傷はなく、そして三日前にはすでに死んでいたと診断された」
二人続く不審死。偶然が二度続くことは希だ。
「彼は独り身で、家族はいなかったが、近所に住む女性が事件当日の朝に彼がゴミ出しをしているのを目撃している」
「一件目と同じケースってわけね。……もしかして、まだ?」
「ああ。事件はまだ続いたんだ」
クリスが新しい資料を手にしたのを見て、半太郎は天を仰いだ。
「最後の事件は、つい五日前に起こった。被害者は駅の近くの一軒家に住む10代の女子学生。事件があったのは五日前の朝。被害者はいつもどおり定刻に父と共に家を出た。交差点で父と別れて、学校へ向かう横断歩道を渡ろうとした際、信号無視の車に撥ねられた。この件は当初交通事故として捜査されていたんだが、すぐにおかしな点が見つかった。彼女は病理医の診断によれば二日前にはすでに死亡していたというんだ。保安隊は当初家族を疑ったが、彼女はその前日にも学校に登校し通常通り授業を受けていたらしい。以上が事件のあらましだ。で、どうしてアタシがそれを調べることになったかというと、アタシの依頼人の話になる」
クリスは腕を組んでタープの支柱に背を預けた。
「アタシの依頼人は、この事件に大いに興味を示してな。なんせ、死体が死んだんだぜ。ホラー映画も真っ青のストーリーだろ? 依頼人はこの事件に、誰かの陰謀が隠されていると考えた」
「まぁ、なにもない、偶然の不審死が続いたってのじゃ、変だもんね」
「ましてこの事件が孕んでいるのは、生ける屍、リヴィングデッド、ゾンビの可能性だ。例えばそれが何らかの化学兵器だったり、ウイルスで作られているのだとすれば、研究次第で死んだまま生きる術を編み出すことも、果てには死者の蘇生すら魔法時代のおとぎ話じゃなくなってくる」
死者の蘇生は古くから研究されてきた。古代、王族が賢者の石を用いて不死身の肉体を得ようとしたことも、水銀が蘇りのクスリとして貴ばれたことも、死者の蘇生という、叶わない願いに起因している。
もしも、それが現実の物になるのだとすれば、いったいどれだけの人が喜び、傷つくのだろうか。想像出来ない。
半太郎は髪の毛を撫でて、俯いた。
「アタシが受けた依頼は単純だ。生きる屍の死の秘密を探ること。もしもそれを成し遂げた科学者がいるのならば、生け捕りにすること」
空気が震える。クリスの目から光が消えて、周囲の温度がグッと低くなったように思えた。
「傭兵じゃなかったっけ?」
「便宜上な。金さえ積まれればなんだってやる、基本的には」
とんでもないところに足を踏み込んでしまったのかも知れない。半太郎はそう考えたが、時はもう既に遅い。後戻りのための道は残っていなかった。
「で、事件の話をしよう。時間帯も、住んでいる場所も違ったんだよね。三人に、何か共通点はなかったの?」
「ん、ああ、いいんだが、オマエは不思議じゃないのか?」
「? 何が?」
「何がってそりゃあ……、アタシがどうしてここまで詳細に事件のことを知ってるかとか、な」
ああ、確かにと半太郎は迂闊さを自覚する。こうした事件は通常、保安隊によって調べられる。だが、その結果が一般人に降りることは当然無い。どのような調査力を持ってしても、だ。考えられるとすれば――。
「スパイ?」
「似て非なる者だ。情報通がいてな、そいつに保安隊へ圧力をかけさせた」
クリスは胸を力強く叩いた。自慢がしたいようだった。
保安隊に圧力をかけられて、さらにそれによってかなり詳細な情報を引き出せる人脈。どれだけ地位の高い人間なのだろうか。少なくとも一般人の類いではない。
クリスを怒らせるのは止めようと固く誓ったところで、半太郎は訊いた。
「それで、共通点は??」
「ああ、それなんだが、色々調べても保安隊は三つの事件に共通点を見つけられなかった。職場や関係者を当たってもな。最終的にそれぞれの事件は個別の不審死として処理されたんだ。が、アタシは独自の調査の結果、三人に共通点を見つけた」
「ほーう、保安隊でも見つけられなかった共通点をクリスが? それって、眉唾~」
半太郎は茶化すが、クリスはいたって真面目な表情である。
「本当さ。というのも、これはアタシだからこそわかったことだとも言えるんだよ」
「へぇ、それは興味深いね。もったいぶってないで教えてくれよ」
唇をとがらせた半太郎を見て、クリスはご機嫌に鼻を鳴らした。
「三人は麻薬を使っていたんだ」
「麻薬って」
麻薬。アヘン、コカイン、シンナーetc……。王国でも禁止されているドラッグは多く、そしてそれらを一般に売りさばく闇の業者もまた多い。保安隊時代、半太郎も麻薬を追っていたことがあった。
「でも、三人共が?」
「あぁ。しかも、保安隊がまだ見つけられていないルートからだ。そこで三人は麻薬を買っていた」
見発覚の闇取引。なるほど確かにそれが共通点ならば、保安隊が調べられなかったのも無理はない。王国に蔓延している麻薬ネットワークは根深く膨大な規模だ。検挙の手が追いついていないことは、一般人でも知るところだった。
「詳しいことを教えて欲しい」
「三人は麻薬の買い手だった。とは言っても、三人ともそれほどジャンキーだったわけじゃないらしく、買った回数も片手で足りる程だったらしい。だが、少なくとも麻薬は麻薬。アタシはクスリの影響で、三人の身体に何らかの異変が起きたと考え、クスリの特定に急いだ。三人にクスリを売った売り子はすぐに捕まった。そいつは、なんとここの集落の男だったんだよ。いや、男だった、という方が正しいかな。そいつは、私の雇い主によって捕まり、女の子の仲間入りをしたらしいぜ」
「……何をされたのか聞きたくないな。クリスの雇い主って?」
「とある貴族、とだけ。それで、そいつに色々聞いたんだが、ろくな情報は出てこなかった。自分は問屋で、上から降りてきた麻薬を売っていただけだってな」
よくある話だ。麻薬の販売に大本が出張ってくることはほとんどない。麻薬は大きな組織の元で作られ、それが何度も人の手に渡り、一般人が買う頃になれば、クスリの素性をまったく知らない人間が扱っていることが大半だ。
「でも、男を検挙出来たなら、クスリの成分もわかったんじゃないの?」
しかし、クリスはクビを横に振った。
「いいや。クスリは確保出来なかったんだ。というのも、男が言うには数週間前から自分にクスリを売っていた人間と連絡が付かなくなったらしくてな。アタシも男の証言を元に販売ルートを追ってはみたんだが、辿り着けなかった」
トカゲの尻尾切りだ。末端に捜査の手が伸びてくるとわかった瞬間、切り捨てる。保安隊時代も、それで大本を取り逃がしたことが何度もあった。苦い思いが蘇ってきて、半太郎の表情が歪む。だが、次の瞬間には目を細めて顎に右手を添えて呟き始めた。
「だとすれば、知りたい情報は、麻薬の販売ルートかな。それと死体の検死もしたい。けど、さすがにそれは難しいか。一応、事件の現場も見ておきたいな。ボクは捜査してない事件だし。聞き込みもしなくちゃ。売り子が集落の人だったっていうなら、彼の家も見てみたい」
クリスは半太郎を見て笑った。
半太郎の思考の切り替えの早さはクリスにはない武器だ。そして、保安隊の職務経験に裏打ちされた実力がそこにはあった。
「じゃあ、お望み通り捜査に行こうじゃないか。今、私が求めていたのはマンパワーと推理力だ。存分に発揮してくれよ」
「もちろん。採用されたからには、精一杯頑張るよ」
こうして、半太郎の初仕事が始まった。
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