第9話 試験と儀式

「で、どうですか? 試験の結果はどうでした??」


 地獄谷からの帰り道、半太郎はクリスにそう訊ねていた。

 昼下がり、太陽もすっかり低い位置まで下がっている頃。木々に隠れて僅かに整えられた道を進む。

 二人の歩幅は一定で、半太郎はクリスのすぐ右を歩いていた。


「あー、試験か。そうだよな、試験だよな、うん」


 対してクリスは半太郎への返答を言い淀んでいた。ぶっちゃけ、もう採用試験のことなどすっかり忘れていたのだ。


「もう、ハッキリしてほしいな。合格? それとも不合格? ボクは良かった? 駄目だった??」

「…………お、おいおい、待てよ。半太郎、オマエちょーっと気が早いんじゃないのか?」


 誤魔化すために話題を逸らすクリスに、半太郎はクビを傾げた。


「早いって、何が?」

「確かに、アタシ達はクスリを届けたが、一応ここはまだ地獄谷の中ではあるんだぞ? 油断してっと足下を掬われる」

「でも、さっき先生から安全な抜け道教えて貰ったでしょ。そこを行けば大丈夫だって言ってたじゃん」


 半太郎が先生に体中をいじくり回され終え、ようやく帰ろうとした二人に、先生は安全な抜け道を教えてくれた。先生曰く、その抜け道は特殊な獣除けが施されているようで、目印となる渦印を辿れば、安全に集落まで出られるらしい。事実、半太郎達はここまで、危ない獣の影すら見ていなかった。


「ここまで来て安全なら、もう多分大丈夫だよ。歩いてる体感的にも、少なくとも半分は越えてるだろうしさ」

「あぁ、そう……だな、それは」

「でしょー? だったら教えてくれたっていいだろ? ね、結果はどうだったの??」

「うるさーーい!! ちょっと黙ってて!」


 ちぇっ、と残念そうに舌打ちをする半太郎を横目に、クリスは酷く頭を悩ませていた。

 試験の結果はどうかと言われれば、半太郎はクリスの想定していたラインを越えている。文句なしの花丸とまではさすがに言わないが、元保安官らしく体力はある上、動きもそこまで悪くない。知恵働きに関してはクリス以上のものがあるとすら感じた。

 だが、採用するかといわれれば少し渋ってしまうのだ。それはひとえに、彼女が人を募集し始めた理由に起因するのだった。

 クリスは今、大きな仕事に取り組んでいる。それを成すには自分一人では不可能だと考えた。だから、頼れる仲間を募集した。しかし、仕事の内容を共有しなければならない関係上、頼れて出来なければならないのだ。クリスが信頼を置くには、二人の関係はまだ致命的に浅かった。

 しかし、クリスは一方で焦ってもいた。仕事達成のためのリミットが想定よりも早まってきているのだ。そして半太郎ほどの人材ですら、今後現れるかどうか保証がなかった。手放すには惜しい。


(こうなったら仕方ない。アレを使うしかないか……)


 クリスはあまり気が進まなかったが、背に腹は代えられないと考えて一つ決心することにしたのだった。

 ぶっきらぼうに半太郎の名前を呼ぶ。


「どうしたの? 結果を教えてくれるの?」

「そういうわけじゃないがな。戻ったら、最後の試験をやろうと思う」

「なるほど、まだ試験があったのね。それって、どんな試験なの?」

「秘密さ。その場所に着いてからのお楽しみってやつだよ」

「もったいつけるなぁ。ヒントをおくれ。それは厳しい試験なの?」

「人によるかな。怖じ気づいたなら辞退することだな」

「誰が怖じ気づくもんか。ここまで来たら、最後まで挑戦するよ」


 クリスは脅かしたつもりだったが、半太郎はかえってやる気を出したようだった。

 二人はこの後も、他愛ない話をしながらまっすぐ集落へ向かって戻っていったのだった。



 集落についた二人は、まっすぐクリスのタープへと戻っていた。

 タープに入るなり、クリスは戸棚を何やら漁って、中から鍵を一つ取り出すと半太郎を残して再びタープを出て行ってしまった。


「アタシはジジイに依頼の報告をして、その後、最後の試験の準備をしてくる。オマエはここで待ってろ。いいか、どこかに出て行ったり、部屋の中のものを勝手に触るんじゃないぞ」

「信用ないなぁ。女の子の部屋を勝手に詮索したりしません」

「それがいい、詮索屋は嫌われるからな。いいか、大人しく待ってるんだぞ」


 クリスが出かけて、部屋に一人取り残された半太郎は手持ち無沙汰で暇を過ごす間、ここ最近の出来事を振り返った。

 しばらくは色々な出来事が、洪水のように半太郎を襲ったものだ。

 まず始めにして最も大きな問題は、保安隊を解雇されたことだろう。あれは驚いたし、困った。なにせ突然自分が病気だからクビだと知らされたのだから。病気のことも気がかりではあったけれど、医者が働いても良いと宣言してくれたのは助かった。宣言があったから、失業して母と妹に迷惑をかけてしまう未来を避けられたのだ。クビになってから、仕事を得るためにすぐ就職活動を始めた。公務員、土建、問屋に販売業。色々転々としたけれど、結局どこも駄目だったのだ。困っていたところに、友達が集落にある傭兵の噂を教えてくれた。話を聞いてすぐ山を登ったのだけれど、迷子になってしまって。そこでクリスに出会ったのだった。綺麗だったけれど、怖い人でもあった。だが、結果的に彼女が傭兵だったことがわかり、まさか採用試験に挑ませてもらえるなんて、幸運だった。地獄谷は危険な所だった。けど、そこも何とか乗り越えて、診療所に辿り着いたのだ。先生は変な人で、検査も無理矢理受けさせられたけれど、でもその甲斐あって、今最終試験を受けるところまで来ている。またとないチャンスだ。


「やるぞ! ボクは絶対、試験に合格して、採用してもらうんだ!」


 立ち上がって天井に腕を突き上げた所を、荷物を抱えてちょうど帰ってきたクリスに見られてしまい、半太郎は恥ずかしくなった。


「あら、帰ってたの?」

「まったく、見られて恥ずかしいならやらなきゃいいのに」

「どーもすみません。それより、その荷物は何なの? 最終試験に使うもの?」


 帰ってきたクリスは両手一杯に荷物を抱えていた。それは古い紙と二本のナイフ、二つの口が付いた瓶だ。半太郎はこのラインナップを見ても、何に使うのか皆目見当が付かなかった。


「ご名答だ。さすが半太郎だな。こいつは、最終試験につかうためのちょっとしたアイテムでな。いま準備するから、待っててくれ」


 そう言ってクリスは荷物をテーブルの上に置くと、タープ中央の床にあったものを脇に寄せて広いスペースを確保した。そこに紙を広げ、ナイフを傍らに置き、中央に瓶を設置する。


「これでよし、と。それじゃあ、オマエはアタシの向かい側に座れ。ちょうど、瓶の口の片方を正面にするようにな」


 言われるがまま正座する。クリスはタープのろうそくを消して、明かりにつかっていたそれとはまた別のろうそくに火をつけて紙の四方に一つずつ置いた。


「……なんだか、儀式みたいだけど、これって?」

「察しが良いな。最終試験は、『誓約の儀式』だ」


 クリスは静かにそう告げると、ジッと半太郎を正面から見据えた。彼女の言う儀式に半太郎は聞き覚えがなかったが、この物物しい雰囲気から生半な儀式ではないのだろうということは想像出来、自然と背筋も伸びていった。


「この儀式は、非常に重要なものだ。町の発展と共に目にする機会もグッと減ったが、いまでも山間部の集落では祭事の一環として行われている神聖な儀式なんだ。オマエ、田舎の出身か? なら、見たことくらいあるんじゃないのか?」


 そう言われても半太郎のルーツは田舎にない。たまたま家族が現在暮らしている場所が田舎というだけである。だから、半太郎には儀式の知識がなかった。


「その『誓約の儀式』ってどうすればいいの?」

「誓約とは、誓いを交わすこと。この儀式ではお互いに誓いを立て、それを交わすんだ。最終試験は単純、アタシの立てる誓いに対して、納得するなら誓いを立てろ。血をその口から瓶に流せば誓いは立つ。そうすれば、オマエは合格、採用ってわけだ」


 古めかしい儀式だ。非科学的で、現代においては強制力は凡そないものでもあるだろう。しかし、場所が外界と隔絶された集落であることを考えれば、不思議でない。

 ならば、重要になるのは誓いの内容。


「クリスは、ボクに何を誓わせたいの?」


 半太郎の問いかけに、クリスは指を三本立てた。


「一つ目、オマエがこれから知る全てのことはアタシの許可なしに口外してはならない」

「守秘義務を守れってことかな?」

「二つ目、今後、アタシがオマエに下す命令には全て従ってもらう」

「職務の遂行? それにしては今風でない気もするね」

「三つ目、私の許可なく、仕事を放棄してはならない」

「当然だね。保安隊でもそうだった」

「オマエ、雰囲気とかもうちょっと気にしろよな」


 クリスは半太郎に毒気を抜かれたようだが、半太郎としては茶化しているつもりは毛頭なかった。

 以上だ、と説明を終えたクリスに驚いたのは半太郎である。


「それだけ? たったそれだけなの??」

「んだよ、文句あるのか?」

「ないよ。というか、保安隊に入った時はもっと沢山の条件で契約したからさ、それと比べるとかなり緩くて大雑把な誓約だなぁ、と」

「う、うるさいなぁ。アタシは人を雇ったことないんだよ。だから勝手がわからないんだ」


 大雑把な誓約は、雇用主にとっても労働者にとっても良いものではない。なぜなら解釈の余地が生まれてしまうからだ。だが、クリスの人となりを少なからず知ったこと、そしてこの誓約がクリスと半太郎二人の間でのものであることも考慮した半太郎は、この誓約が悪用されることはないだろうと考えた。

 黙っている半太郎を見て、クリスはニヤリと笑う。


「なんだ? ビビったのなら止めとくか?」


 しかし、その煽りに半太郎は不適な笑みで返した。


「そんなまさか。誓約するよ、当然ね」


 ナイフを手に取り、瓶の口のすぐ側まで伸ばした腕に、刃を添える。

 力を込めて肌を切ろうとした直前で、半太郎は顔を上げた。


「そういえば、お互いに誓いを立てるんだったよね」

「えっ、あ、ああ、そうだな」

「それじゃあ、ボクからも一つ誓いを願おう。なぁに、単純なことだよ。ボクがクリスに求めるものは、報酬に嘘はつかないことさ」


 報酬がキチンと払われること、それが半太郎のただ一つの願いだ。

 クリスは半太郎の願いを聞き終えると、自らも腕を伸ばしナイフを手に取った。


「誓ってくれるよね?」

「当然だろ。くそったれな神に誓う」


 二人は互いに呼吸を合わせて、ナイフで肌に傷をつけた。切りつけた箇所から赤い血が溢れて、口から瓶へと流れ、底で一つに交わった。


「……これで、ボクは採用ってことでいいの?」


 顔を上げてクリスの様子を見るが、彼女は微動だにしない。やがて徐に口を開いてこう言った。


「……おい、半太郎」

「なにさ」

「これ、なんか、エロいな」


 駄目だコイツ、と半太郎は思った。


「こういう儀式、実際にやるのが初めてだから、緊張したぜ。や、でも、これ高いものだったから、出来れば使いたくなかったんだけどなぁ」

「子供みたいなこと言ってるね」

「うるへー」


 ケラケラ。


 二人は大きく笑った。笑って、そして自然と手を握っていた。

 こうして半太郎の就職先は傭兵になったのだった。

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