第7話 おしのび診療所
地獄谷を越えて十数分歩き、2人は集落から南東に位置する渓谷にやってきていた。
「ジジイからもらった地図によれば、診療所はこの辺りらしいが……」
「探そう。きっとあるはずだよ」
しばらく辺りを探すと、渓谷の東側を探していた半太郎が声をあげた。
「あったよ。こっちだ」
そこにあったのは小さく簡素な診療所だった。正面には蔦の巻き付いたボロボロの看板が掲げられてあり、そこには「おしのび診療所」の文字が彫ってある。
「確かにお忍びだな。こんな辺鄙な場所にあっちゃ、誰も来ない」
「早く入ろう。お医者さんはきっとこの中だ」
二人は、老人に頼まれたクスリを渡すために中へと踏み込んだ。
日焼けしてボロボロの玄関口を開き中に入ると、そこは受付と長椅子が並ぶ待合室だった。
待合室の中に人の姿はなく、唯一受付カウンターの向こう側に一人、小さな子供が絵本を読んで座っている。
「ずいぶんと、寂れてんな」
彼は二人の来訪に気がつくと、読んでいた本を閉じてカウンターに伏せた。
「こんにちは。診察ですか?」
「いや、アタシは傭兵だ。谷の向こうにある浮浪集落のせむしってジジイから頼まれて、ここの医者にクスリを渡しに来た。証明を貰わなくちゃ帰れねぇから医者に会わせてくれ」
「ということは、先生にご用の方ですね。少々お待ち下さい」
子供はにこやかに笑うと、受付から引っ込んで奥の扉から待合室に出てくる。
「先生とお話を希望されるということですので、部屋までご案内いたします」
「え? ああ、いいよ。場所教えてくれればアタシら勝手に行くから。オマエだって面倒だろ? 中で本読んで待ってろよ」
「そういうわけにはいきません。待合室から先に進まれるお客様は、私が案内するように決められているのです」
利発そうな子供だと半太郎は思った。
丁寧な物言いも、大人の前で物怖じしない度胸も、見かけに似合わず随分大人びているように感じられたのだ。
子供は待合室の奥にある扉を開けると、廊下を示して二人を手招きする。
「先生にお会いするなら、こちらです。私に付いてきて下さい」
二人は顔を見合わせ、子供の後に続き待合室奥の観音開きの扉をくぐった。
そこはとても長い廊下だった。外から見た様子ではわからなかったが、診療所は奥に奥に細長く作られた建物らしい。
「間違って触れると危ない場所もありますから、くれぐれもはぐれないようにしてくださいね」
「あいよ。
子供を小馬鹿にしながら、クリスがどこからか取り出したタバコに火をつける。
美味そうに煙を肺に吸い込んで、空中に吐き出した。次の瞬間。
ヒュィッという風切り音と共に、クリスの鼻がしらを一本のナイフが掠めた。タバコは先が切られて、火のついた屑が床に落ちる。
「ああ、ごめんなさい。言うの忘れてましたが、院内は禁煙なんです」
説明を忘れていたと謝りながら、子供がタバコのガラをもみ消した。
一瞬遅れて、突然の出来事に驚いていた半太郎とクリスが口を開く。
「――き、禁煙とかそういうことじゃなくて、何今のナイフ?」
「あっぶねぇだろうが! たかがタバコ一本で、何投げてくれてんじゃコラァ!!」
「すみません。何分、山奥の診療所ですから、そういった輩への対策もとらせていただいてまして」
「この……、馬鹿にしてんのかオマエは!」
「まぁまぁ、クリスさん、落ち着いて。この子は働いているだけだから……」
怒り心頭のクリスを何とかなだめながら3人は更に先に進んだ。
しばらくすると子供は診察室1と書かれた部屋の前で立ち止まった。
「この部屋か」
「はい、まずは――」
子供の説明を待たずに、躊躇なくクリスが中に踏み込む。
しかし、そこには医者はいない。医者の代わりに、目の前にあったのは二つの扉だ。右の方は青い扉で「A」と書かれており、左の方は朱い扉で「B」と書かれている。
不思議な光景に首をかしげる二人の前に子供が躍り出て言った。
「それではここでクイズです。正解だと思う選択肢を選んで下さいね」
「クイズだぁ? なんだそりゃ?」
「この診療所のルールでして、正解した方としか先生はお話しないことになっています」
「なんでだよ!! おちょくってんのか!?」
「それでは問題」
声を荒げるクリスを無視して、子供は二人に出題した。
「あなたは特攻隊員です。あなたが敵艦に攻撃を行えば仲間達を助けられます。しかし、攻撃を行えばあなたは間違いなく死ぬでしょう。さてあなたはどうする?
A:攻撃する B:攻撃しない」
二人は、子供の問いに言葉を失った。
(なんだよそれ……。こんな問いに絶対な正解などないだろ。それを答えろだなんてそんな。まさか暗示か? 仮にAの扉を選べばボクが死んで、Bを選べばクリスが死ぬ? だとしたら、ボクはどちらかを選ぶなんて出来ない!)
恐ろしい想像に足が竦んでしまい、半太郎は身動きがとれない。
ふと隣に立つ子供を見れば、彼は半太郎とクリスのことを無表情で見つめていた。否、これはただ見ているのではない。じっくりと観察しているのだ。
(いったい、ボクたちの何を観察してるんだ!?)
激しく動揺する半太郎を他所に、一歩前に出たクリスはまっすぐにBの扉を指さした。
「なっ、クリスさん! 待って」
「待たねぇ。アタシはBを選ぶ。アタシは何よりも生き延びたいからな」
制止する半太郎の呼びかけを無視して、クリスはズンズンとBの扉に向かって進み、ドアノブに手をかける。
「先行くぞ」
小さく呟いて、クリスは扉を開け中へ踏み込んだ。
瞬間。
クリスの足下が抜けた。
一瞬にしてクリスの姿が消えてしまった。「あぁああああああああ!!!!」という叫び声だけがこだましてくる。間もなくその声も遠く小さくなって、やがて聞こえなくなってしまった。
「落とし穴です。先は渓谷まで伸びています。死ぬようなトラップじゃありませんから。安心して下さい」
口をぽかんと開ける半太郎を見て、子供がケラケラと笑った。
「先に進みましょうか」と言って、子供は部屋を後にする。その後ろを追いかけながら、半太郎は底知れない恐怖を抱いていたのだった。
再び廊下を進むと、今度は診察室2と書かれた部屋の前で立ち止まる。
「次はここかな?」
「はい。こちらの中で指示にしたがってもらいます」
「また問題でも出されるのかな? 出来れば、お医者さんに会いたいのだけれど」
「こちらの指示に従っていただければ、すぐにでもお話できますよ」
この時点で半太郎は、この子供がタダの子供でないことに気がついていた。そしてこの診療所の主もまた只者でなく、半太郎はその人物があまり好きではないと感じていた。
二人が中へ踏み込もうとしたところへ、待合室の方から勢いよく誰かが走ってくるのがわかった。
「あ、クリスさん」
彼女は服と髪をグショグショに濡らしながらも、息せき切らせて戻ってきたのだ。
「おかえりなさい。次はこの部屋だって」
「待て待て待て! アタシはまださっきのが終わってないんだよ! おいガキ! 客をいきなり川の中にぶち込むたぁ、オマエいったいどういう了見だこの野郎! いい加減に舐めてるとオマエの【自主規制】【禁止用語】【倫理違反】ぞボケカスが!」
「驚きましたお客様。まさか無事に戻ってこられるとは」
「驚いたのはアタシだよ! 耳あんのかあぁん!?!?」
「まぁまぁ、落ち着いて。気持ちはわかるけどさ……」
「うるせぇ! アタシはな、オマエが思ってるほど寛容でもなければ慈愛に満ちてもいないんだよ」
青筋立てて眉間に皺を寄せるクリスは、震える手でホルスターに手をかけると、中の拳銃を子供に向かって突きつける。
「おうガキ。ここのファ○キン院長に会わせろ。じゃねぇとオマエの額に新しい口を作ることになるぜ」
「……そうしたいのは山々ですが、止めた方がよろしいと思います」
クリスの脅しにも屈せずに、子供は懐から手のひらよりも小さいようなピストルを取り出すと、すぐにこめかみに銃口を当ててトリガーを引いた。
乾いた発砲音が聞こえ、彼は頭からおびただしい鮮血を流しながら床に倒れてしまう。
「…………………………は?」
あまりの急展開にクリスも銃を下ろして口を開けた。
しかし、驚くべきはその直後だった。
子供の身体がビクンと大きく刎ねたかと思うと、なんとゆっくりと起き上がってきたのだ。
これには思わず、半太郎も、クリスも、大きな声を上げて後ずさるしかなかった。
「なっ、なっ、なな、なっ、なんだよ、なんだっ、なんだよそれ!」
「いてて……、やっぱ痛いや。すみません、服が汚れませんでしたか?」
「ふ、ふく!? 服だってクリスさん!?」
「服なんて、ふ、服なんてんなもんどうだって良いだろ! それ、そ、それよりも、それよりもだ! ここ、こい、こいつ、いま死んで生き返りやがったよな? おいおい、ゾンビだろ、ゾンビだって!」
「ゾンビとは失敬な」
子供は自らの顔に着いた血をハンカチで拭いながら、二人に微笑む。
「私は改造手術を受けていて、だから簡単なことでは死なないというだけですよ。とにかくおわかりいただけましたか? ちゃんとこちらの指示に従っていただければ、医師はお客様とお話しますので」
その時、半太郎は昔に聞いた噂を思い出していた。
遙か昔、フゥィユン王国もまだ出来ていない時代のこと、世界には不死の肉体や超能力を身につけた戦士がいたと。彼らは普段山奥に籠もって身を隠し、人々がピンチになるとどこからか現れて、奇怪な絡繰りを操り悪者を成敗してくれたらしい。彼らは人々から「シノビ」と呼ばれていた、と。
(おしのび診療所って、まさか……)
ドキドキと冷や汗を垂らす半太郎を他所に、子供は次の扉をあけた。
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