第6話 コイツ、想像以上に

「なるほどの。お兄ちゃん、クリスの噂を聞きつけて、ここまで来たのか。見上げた行動力じゃのー」


 半太郎がこの集落に来た目的を聞いて、老人はお茶をすすりながら穏やかに笑った。


「は、そ、そうですかね、えへへ……」


 一方の半太郎の心臓は破裂そうなほど強く鼓動している。なんせ、これまでの人生の中で自分から飛び込んで人の前に立つことなどなかったのだから。精一杯のユーモアで場の空気を和ませようとするが、試みはあまり上手くいってはいなかった。


「オマエ、アタシ目当てで来てやがったのか。ったく、油断も隙もねぇ野郎だな」


 突然の訪問者に、女は驚いた様子で半太郎を見つめていた。呆れたような、怒っているような表情を浮かべて、組んだ腕をゆさゆさと揺らしている。


「だが、お主が人を探しとるのも事実なんじゃろ?」

「事実だけど……。時間とか、もうちょっと色々あるだろ? 何時だと思ってんだよ」


 今は深夜零時。なるほど、確かに常識的な時間ではない。


「時間はすみません。いても立ってもいられなくて、来た次第だったんです」

「変な言い方だな。計画性もへったくれもねぇっていうか……。それに、どうしてさっきはアタシのこと言わなかったんだよ」

「それは……、初対面だったし、ボクみたいなのが就活で集落に入ろうとしてるって知られたら、あんまり良い気分しないかなって思って……」

「ほっほっほ。人の心を考えられる良い子じゃないか」

「ジジイは黙ってろ」


 老人は怒られて、シュンと縮こまってしまった。


「っしても、どーすっかな。今来られても困るんだよなぁ」

「ワシの依頼もあるしの」

「そもそも、それを受けるかどうかって問題があるんだよ」


 女は頑なに老人の依頼を受けようとしない様子だった。それが半太郎には不思議に思えた。


「どうしてそんなに依頼を受けたくないんですか? そんなに嫌な仕事なんですか?」

「……オマエさ、よくそんなズケズケ言ってくるよな。遠慮がねぇっていうか」


 半太郎は照れたが、女は褒めてはいないと否定した。


「オマエは知らんだろうけど、ジジイの依頼はいっつも変なんだよ。今回も、表向きは地獄谷を越えた先にある診療所にクスリを届けてくれって言ってるが、どうだか。前はコイツに騙られて、秘密警察に殺されかけたんだよ」

「あの時は、キチンと上乗せしたじゃろ?」

「うるせー! 殺すぞ!」


 問答の様子を見ている限り、老人の依頼は何かしらのトラブルを運んでくるもののようだ。女の怒りの具合を伺うと、一度だけの話ではないらしい。

 と、わちゃわちゃと女と言い合っていた老人が、突然パチンと手を打った。


「なんだよいきなり! ビビるだろ!」

「良いことを思いついた。ワシの仕事を採用試験にするのはどうじゃ?」

「採用?」

「試験だぁ?」


 揃って目を点にした半太郎と女を見て、老人はニヤリと笑った。


「そうじゃ。ワシの依頼を採用するかどうか見極めるための試験にするんじゃよ。クリスの欲しい人材は知恵と力がある人間なんじゃろう? 場所は地獄谷じゃし、ワシの依頼はちょうどいいんじゃないかの?」

「バカ言っちゃいけねぇや! なんだってアタシがこんなチビカスと地獄谷に行かなきゃなんねぇんだ、このクソボケナスジジイ!! 地獄谷はアタシだって死ぬかもしれねぇ程危険な場所なんだぞわかってるだろ? 勝手に死ぬ分には構わねぇが、アタシまで危険に巻き込まれかねない提案は受けられねぇよ!」

「邪魔しません! 絶対に!」

「しようとしなくても、するかもしれねぇって話だ!」


 鼻息荒くまくし立てる女。

 だが、老人はそんな女の剣幕など露とも思っていないようで、


「まぁまぁ、落ち着け。今は猛獣も活動が大人しい時期じゃし、診療所までの道に危ないところは少ない。お願いじゃよ」

「どうしたって、ジジイよ。なんでコイツの肩を持つようなことするんだ?」

「なんでってそれは……」


 そこまで言うと老人は半太郎をチラリと見て、


「この子が、面白そうだと思ったからじゃよ」


 女は老人と半太郎を交互に見やると、頭をかきむしってしばらく悶絶した後、とうとう大きく息を吐いて地面に手をついた。


「ああ、もう、仕方ねぇわ。それでいいよ、わかったよ。おい、オマエ」

「あ、はい!」

「アタシはこれから依頼に行くから、それについて来い。死んでも知らんがな」

「………………よろしくお願いします!」


 信じられないような展開ではあったが、こうして半太郎は採用試験に挑むことになった。


 〇


「それじゃあ、報酬は終わった後に、向こうから受領の印を貰って帰るだな。待ってろよクソジジイ」


 出発の前、老人に確認するべきことを繰り返すと半太郎を振り返った。


「行くぞ」

「はい!」

「敬語ウザいからやめろ。タメでいい」

「はい……あ、うん」


 短い言葉で、二人は地獄谷に向けて歩き始めた。

 浮浪集落から地獄谷へは山道を何度も曲がっていかなければならない。

 女は半太郎を先導してくれるが、それでも山道になれていない半太郎は何度も足をとられてしまい、その度に立ち止まってしまった。

 

(あー、こんな調子で上手くいくのかよ。殺されるのだけは勘弁だぞ……? いざとなったら、殺される前に殺そう)


 地獄谷は非常に険しい道のりだ。道中死体が転がっていても不自然ではない。そしてそれらの死体は、大抵は野生動物が手を付けているため無残な姿になっており、地獄谷で死ねばまともな形は残らないとすら言われている。

 道中の事故について、老人に確認したところ「やむを得ない場合は仕方がない」と言っていた。つまり、ここで女が半太郎を殺しても咎めるものは誰もいないのだ。

 こんなところで足を取られているようではお話にならない。

 自衛のためならば殺す。それが女の主義だった。

 木の根や泥に足を取られ、歩き出してから十数分で傷まみれになる半太郎を無視して、女は一人で先へと進んで行った。


「さて、着いたぞ。ここからが地獄谷だ」


 女が足を止めて半太郎に告げる。

 親指で道の先を示すので、半太郎は女の示す先を見た。

 そこは木々が開けた場所で、見通しはよかったが、間もなく半太郎の顔を青ざめさせた。


「なに、これ!」

「おー、本物を見るのは初めてか? これが暴れる鬼も押し黙ると噂の地獄谷だよ」


 最初に二人の行く手に現れたのは下の様子が見えないほど深い、千尋の谷だった。谷底からは強い風がビュービュー吹いており、その強い風が半太郎の肌を震わせる。

 半太郎達の進む方向には一本の崖道が延びていて、そこを進むだろうことは容易に想像できた。


「おいおい、ビビったのかよ。こんなもんじゃ、先へは進めないぜ」


 女はからかうように笑うと、足下にある石ころを拾って、目の前の崖道へと投げる。

 すると、石が当たった箇所が驚くほどあっけなく崩れて谷底へと落下していった。


「この道は脆くてな。ちゃんとした場所を歩かなけりゃ、すぐにああやって谷のゴミクズになる」

「えぇ……困るよ」

「それに向こうは風もクソ強い。バランス崩して真っ逆さま。はは」

「そうなったら笑えるかもしれないけど今は笑えない!」


 半太郎は顔を引きつらせて叫ぶ。

 一方、女は半太郎をさんざん脅した挙げ句、


「んじゃ、先に行ってるぞ」


 と呟くと、自分は経験や類い希なる身体能力でヒョイヒョイヒョイと難なく危険な場所を避けて先に辿り着いてしまった。


「早いって、早いって……」


 後発の半太郎は恐る恐る足下を確認しながら進む。そのため移動のスピードが極めて遅い。一歩一歩確実に、崩れない場所を探して歩く。そろりそろりと慎重な足取りはカタツムリよりも遅かった。


「それじゃあ、アタシは先に行くからな」


 女は半太郎に付き合うつもりはなかったので、さっさち置き去りにしようと背を向けた。

 その時、ガラガラガラっと地響きと共に激しい音が鳴る。

 音に気がつきパッと振り向けば、先ほどまで女がいた崖道その場所が、なんと崩れて滑り落ちていったのだ。

 当然、道の上に半太郎の姿はない。


(あーあ、落下。地面に叩きつけられて転落死か。断末魔すら聞こえなかったのは、少し可哀想だったな)


 土台無理だったのだ。素人に地獄谷は渡れない。採用試験など反対だった。

 女は冷静に事実を捉えると、念のため半太郎が落ちたであろう場所を確認するために谷底を覗き込み目を見開いた。


 そして驚いた。

 なんと切り立った岩壁に一人の人間がぶら下がっていたのだ。それは紛れもなく先ほどまで自分の後ろを歩いていた半太郎の姿であった。

 半太郎は何とか岩壁にしがみつくと、両腕に目一杯力を入れてゆっくりと、しかし確実によじ登ってくる。

 間もなく半太郎は女がいる道に手をかけると、足をかけてなんとか転がりあがった。地面に手をつきながら這い這いになって息を切らす。半太郎は自分を見下ろしてくる女に笑いかけてこう言った。


「ふぅ、笑われるところだった」


 驚いたのは女の方だ。確実にここで死んだと思った男が、その身一つで岩壁にしがみつき地獄谷を登ってきたのだ。

 思わずにやつきそうになる顔を押さえて、女はそっぽを向いた。


「まぁ、ウチに採用されに来たんだ。このくらいはな」

 

 半太郎は女の言葉に手厳しいなと恥じらった。

 崖道を渡りきった二人が次に訪れたのは、木々が複雑に入り組んだ森だった。

 女は半太郎の肩に手を置くと耳元でそっと囁く。


「この森は、見ての通り視界が悪く入り込んだら一瞬で迷っちまうような危険な場所だ。それだけじゃなく、ここには人食いの化け物も生息しているって噂もある。危険なモンスターの巣穴が近いのかもなぁ? ま、よっぽど生傷だらけだったり、転びまくったりして足を止めなけりゃあ、死ぬ事はないだろうけどな」


 女が最後に不気味に笑うと、半太郎はゾゾゾっと背筋が寒くなった。

 女の合図で二人は森を進み出す。女の方は自分一人でさっさと進んでしまう。一方地理に不慣れな半太郎は着いていくので精一杯だ。

 だが、余裕そうに見える女も決して油断しているわけではない。

 この山には大穴熊という人食いの化け物がいた。体長が人間の倍近くある大柄な熊で、群れで移動し森に立ち入る人間を狩る化け物だ。

 森に慣れている女でも、万が一大穴熊に囲まれてしまえば生きて帰れるかはわからなかった。だから大穴熊に限らずに動物の気配を見落とさないよう神経をとがらせて進んでいた。

 最低限それらの生物に気をつけていれば女にとって森を歩くことは舗装された道を散歩するのと変わらなかった。

 ふいと後ろを見てみると、半太郎がむき出しになった木の根に足を取られて転んでいる。やはり先ほど崖道で感じた半太郎の底力は気のせいだったのだろうか、と女は首を捻った。

 しかし、そこで女は気がついた。何度足を取られて、何度無様に転ぼうとも、この男は泣き言一つも漏らさずに自分の後をついているではないか。浮浪集落にいるような弱い人間が、この男のように進み続けることが出来るのだろうか。


(コイツ、想像以上に――)


 そう考えかけて、女は自分の中の価値観の根幹が揺らぎそうになるのを自覚した。

 思わず銃を取り出すと自分を追う半太郎に銃口を突きつける。

 それに気がついた半太郎は、女を驚いた顔で見た。


「ちょっと、待ってそれは、冗談じゃすまない」

「黙れ」


 女はトリガーに指をかけてまっすぐ半太郎を見据えた。

 半太郎の呼吸が浅くなる。


「試験は、不合格なのかな?」

「……あぁ、かもな」


 女の目がカッと見開かれた瞬間、半太郎はくるりと体を回すと足下にある石を拾って女目がけて投げつけた。

 その瞬間、女も冷静に撃鉄を起こす。

 石と銃弾の軌道が交差して、お互いの方へ勢いよく飛んでいった。

 そしてまっすぐ飛んだ石と銃弾は、ビシィッと大きな音を立てて


「「グオオオオオオオ!!」」


 はそれぞれ痛みに悶絶し、方々へ逃げ去っていく。

 冷静に猛獣の接近を察知して、対処した半太郎に女は今度こそニンマリと笑った。


(想像以上に、面白い男だ!)


 対する半太郎は、銃弾が自分に当たっていないことに驚いて、腰を抜かしてしまう。

 女はあっけにとられる半太郎を一笑に付すと、ゆっくりと手を差し伸べる。


「情けねぇなぁ! しっかりしろよ、まだ危険な森の中だぜ?」

「あ、ああ、ごめん。驚いちゃって」


 女の手を取って立ち上がったところ、半太郎の背中に女の平手打ちが入った。


「いっっっっったい!!」

「喝だよ。ありがとうな、アタシを助けてくれて」

「ボクこそ、キミがいなかったら、あの猛獣に襲われて死んでたって」

「やめろよ」


 痛みで涙目になる半太郎に、女が頬を掻いてそっぽを向いた。


「キミじゃねぇよ。アタシは、クリスティーナだ。ほら、谷の出口はすぐそこだぜ。行くぞ」


 女――クリスは半太郎の手を取ると、森の中を勢いよく走り出した。

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