第5話 迷子の半太郎

 ゆっくりと目を開け天を仰げば、鬱蒼と茂る木々とそれらを遙か上空から見下ろす満天の星が見えた。鼻の奥を差すような草いきれ、手のひらに伝わる土の感触、強い北風が吹き下ろす音。半太郎は山の中にいた。

 グッと背伸びをして、肩の力を抜く。久々の突発山登りでふくらはぎが痛かった。ふと靴を見れば、ローファーの底がベロンと破れていた。

 すがすがしい気分だ。夜の山はこんなに空気が澄んでいて気持ちが良いなんて。田舎を離れて以来、久しく忘れていた感覚だった。

 半太郎は適当な大きさの石に腰掛けると、北の空を見つめて呟いたのだった。


「あーやば、めっちゃ迷った」


 行くべき道を見失った。失敗だ、完全に失敗だった。

 記憶を辿ろうとするも、今となってはどういう道順を辿ったのかまったく思い出せない。

 柄にもなく勢いで行動してしまったことが裏目に出ていた。


「せめて集落の場所だけは覚えておくべきだった……。どうすりゃいいんだバカ……」


 ションボリと肩を落とし嘆く。夜の山で遭難。素人でも、危ないのはわかる。というか、背筋が先ほどから凍えあがっていた。

 半太郎の耳に、山の物音が聞こえてくる。獣の息づかい、木々の揺れる音、鳥の飛び立つ音、風の音。町の喧騒とは性質の違う音に、五感が全力で危険信号を発しているのが伝わった。

 そう言えば、山に一人でいるのはコレが初めてじゃなかったな。思い返せばうんと幼い時、遊びに出かけたまま帰れなくなって一人で泣いてたっけ。あの時は、母が見つけ出してくれたんだよな。

 恐怖を振り払おうと無駄な思考が回り回る。

 今日、あの日と違うのは、あの日子供の半太郎を助けてくれた母は、今日は現れてはくれないことだった。

 このまま死んでしまったら、半太郎は寒さで死んでしまうだろう。季節は秋だとは言え、夜の山は町よりもずっと冷えた。半太郎の遺体は翌朝に発見されて、保安隊によって調査されるに違いない。自殺だと思われるだろうか。状況証拠は十分だ。実際、保安隊は事象は調べられても心の中までは調べきれないのだから。ああ、しかしそうなると、気がかりなのは故郷の家族だ。半太郎の妹は病弱だし、母も置いてきている。半太郎が死んでしまっては二人が貧困のために安心して日々を暮らせないかもしれない。友人も気がかりだ。彼は自分を責めてしまわないだろうか。不用意に半太郎に、集落の凄腕傭兵の噂を教えたことを悔いたりはしないだろうか。彼はまったく悪くないのに、悪いのは全て半太郎なのに。町の何人かは、悲しんでくれると嬉しい。でもやっぱり死ぬのは怖い。しかしこれ以上進んでも状況は悪化するばかりであることなど、誰の目からも明らかだ。ああ、キチンと確認をしてから動くべきだったのだ。自分というのはまったくどうしていつもこう詰めが甘いのだろう――。


「そこのオマエ、何をしてる?」


 瞬間、半太郎の全身から血の気が引いていった。

 思わず振り返ろうとした後頭部に、何かが突きつけられる。


「動くな。銃だ。動けば撃つ」


 淡々とした忠告に、ピタリと動きを止めた。

 何者だ。声をかけられるまでまったく気がつかなかった。確かに思考にふけっていたとはいえ、まったく気づかせずに背後まで近づいてくるなんて。只者ではない。


「もう一度訊く。オマエ、何をしてる?」


 声の主は女のようだった。老けているような感じはしない。半太郎と同じくらいだろうか。


「ま、迷子なんです、ボク。山の中で、帰れなくなってしまって」


 恐る恐る答えるも、女は怪訝な様子だ。


「こんな夜中に、ろくな装備もなく山に入って迷子だ? 正気か?」


 おっしゃる通りで。


「でも、本当に迷子なんです。ボク、この先にある集落に行きたかったんですけど、道がわからなくなってしまって……」

「あん? なんだ。集落の客かよ。驚かせんなよな」


 女は包み隠さない半太郎の言葉に納得したように頷いた。

 後頭部から堅い感触が外される。許されたのだろうか。それでも、下手に刺激をしてはいけないと考えて、半太郎はゆっくりと後ろを振り返った。

 その人物は赤い瞳の美女だった。

 丹頂の鶴かと思われるぐらい真っ白な顔をしており、さっぱりとした黒の短髪、ボロ布のローブで全身を包みオーバーサイズのブーツを無理矢理履いてタバコをふかしながら半太郎を見ている。

 一瞬見とれた半太郎だったが、すぐに気を取り直して立ち上がる。ともかく逃げなくては。


「そ、それでは、ご納得いただけたようなので、ボクはここらで退散をば」

「何言ってんだよ。この時間に集落目指す不審者、ほっとくわけねぇだろ。付いてってやるから歩け」


 美女はあっけらかんとそう言うと、半太郎に再び銃口を向けた。


「えーと、納得いただけたのでは?」

「したよ。だから連行するんだよ。安心しろ、アタシもあの集落に住んでるんだ」


 女は集落の住人のようだ。


「確かに、普段集落で見かけないボクは不審者かもしれませんが」

「違ぇよ。集落にいるやつは全員不審者なんだよ。勘違いすんなバカ。それに、オマエ迷子なんだろ? アタシ抜きで集落に行けるのかよ」

「あー、そう言えばそうですねぇ。あははは」


 半太郎は顔では笑っていたが、内心では恐怖におののいていた。

 目の前には見知らぬ女。銃を持ち、それを半太郎に向けている。そして彼女はこれから半太郎を集落へと連行するらしい。


(処刑されちゃうんじゃないの!?!?)


 不安一色の半太郎はさておき、女は口をへの字に折ると、銃口で明後日の方向を指し示す。


「おら、集落は向こうだよ。さっさと歩け」


 半太郎は脅されるがままに女の前を歩きだした。


 何がどうなってこうなってしまったのだろうか。背中に銃を向けられて女と二人で山の中を進まされる。時折挟まれる方向指示が、半太郎には処刑台へのカウントダウンに聞こえた。迂闊に手を出すべきではなかったなぁ。

 しばらく二人は黙々と山の中を歩いていたが、十分程歩いた所で、女の方から半太郎に話しかけられた。


「ところでオマエ、随分良さげな身なりだが、どうして集落に来たがるんだ?」

「はい? なんでしょうか」

「ビビんなよ。やりにくいだろ? オマエも言ってたが、どうして集落なんかに用事があるんだよ。あの集落に来るのはもっとみすぼらしい奴らばっかりだからな。オマエは、不自然なんだよ」

「不自然ですか? はぁ……」


 それはそうだろう。集落を訪れる者の多くは、町に住めなくなった人だ。多くが住まいを探している。それに対して半太郎は、職を求めて集落を目指している。目的からして明らかに異質なのだ。

 だが、ここでその目的を明らかにすべきなのだろうか。いずれ訊かねばならないことではあるが、彼女に話すのは何か躊躇われた。

 だが、適当に答えてしまうと待っているのは「死」。返答は間違えられない。


「オマエは、何の用で来るんだ?」

「ボクは……、病気で帰る場所を追われてしまって。それで、町から離れたくなって……」


 女からの追及に、半太郎は嘘を言わないことで答えた。


「離れたくて、ねぇ……」


 当を得ているわけではない返答に、女は目を細めるが追求はしてこなかった。

 再び二人を沈黙が包む。実に気まずい。


「あなたは、集落に住んでいるのですか?」


 思わず、半太郎が訊ねていた。先の問答で空気が緩んでしまったからだろうか。女は気を悪くした様子もなく答える。


「そうだ。住みよい場所じゃねぇけどな」

「あの場所には、どうして?」

「答える必要あるか?」

「ごめんなさい! ただ、あの時あなたが来てくれなかったら、死んでいたなと思ったので……」


 女はため息をつくと、


「あそこはアタシのお気に入りなんだよ。気持ち良い場所だったろ?」


 ああ、確かにそうだ。風通りが良く、空が高いあの場所は気分転換には良い空間だった。


「……ふと思ったんですが」

「お喋りなやつだな。銃が怖くないのかよ」

「いえ、怖いです。ごめんなさい。でも、それがちょっと気になってて」

「あん?」

「普通、山奥に男が一人いるなんて状況、怪しすぎるじゃないですか。それにしては、すんなり道案内してくれるなと思って」


 道案内にしては、少々乱暴なような気もするが。確かに彼女の飲み込みの早さは不自然だった。半太郎に都合良く物事が進んでいる。

 確かに半太郎は見てくれは弱々しいが、その実はわからない。見てくれだけで人間は測れない。まず危険だとは考えないのだろうか。

 女は少し考えて答えた。


「一つ、オマエが弱そうだった」

「すみません」

「一つ、集落にはよくオマエみたいなヤツが来る。アタシにしてみれば、あまり不自然ってわけでもない」


 思い返してみれば、女の飲み込みの早さは事務作業をしているような雰囲気を纏っていた。よくあることなのか。


「一つ、オマエは危ないかもしれないと思ってるだろう。男と女が二人きり。危険だと。だが、それは間違いだ」


 女はそこで笑った。それは冷たい笑いだった。


「大抵のヤツより、アタシのが強い」


 女の言葉は自信に満ちあふれていて、それが虚ろな盲信だとは考えられなかった。

 底知れぬ女の闇に触れたような気がして、半太郎の背中に悪寒が走ったのだった。


 〇


 しばらく歩いていると、突然木々が晴れて開けた場所に出た。

 そこは町の小さな公園ぐらいの空間で、木の枝を渡すようにタープをかけただけの簡素な住居が円をなす様に立ち並んでいる。中央に組まれた櫓には轟々と火が猛っていた。


「到着だ。ここが、浮浪集落ポリスだぜ」


 女の言葉に半太郎は目を見開いた。

 ここが目的の場所。浮浪集落に踏み込むのは初めてだったが、なんとも言えない気持ち悪さに半太郎は襲われた。

 そこいらを歩く人達は半太郎を一瞬奇異の目で見たが、すぐに興味がなくなったようで自分達の生活に戻っていった。余所者が入ってくるのは当たり前のことなのだろう。


「じゃ、無事に案内はしたからな。ここには特にルールはねぇけど、連帯感だけはいっちょ前にあるから、適当なジジイに話しかければまぁ、馴染めるだろうさ」


 女はそう言って半太郎の肩を叩くと、手を振りながらタープの一つに入って行ってしまった。

 女の背中に頭を下げて、半太郎はキョロキョロと辺りを伺った。

 目的の集落へは辿り着けたのだ。次にすべきは、噂の真偽を確かめることである。


「あ、でも、ここまで来る途中で、噂の真偽くらい聞いとけば良かった」


 採用の話はしなくとも、噂の話をするくらいなら構わなかったはずだ。

 少しだけ後悔したが、仕方がない。切り替えるしかない。

 半太郎は手始めに、集落の中央付近でたむろしていた老人達の輪に近づき、話を聞くことにした。

 半太郎が近づいていくと老人達は始め怪訝な様子だったが、すぐに仲間に受け入れてくれて、集落での気をつけなければならないこと、食べられるキノコ、山の危険な獣について教えてくれた。


「あ、そうだ。そういえば、ここに来る前にこの集落に関してある噂を聞いたんですが」

「どんな噂だい兄ちゃん」


 老人達は陽気に笑っている。今なら話が聞けるはずだ。


「この集落には、凄腕の傭兵がいるって聞いたのですが、それは本当なのですか?」

「えー? 傭兵? いたっけか?」

「うんにゃ、おりゃ知らねぇ」

「わりゃ、なんも知らねぇだろうが」


 アハハハハハ。


「そう言えば、確か向こうのタープに住んでるヤツが、用心棒とか何でも屋とかやっとるって聞いたことがあるなぁ」


 老人の一人が、のびのびと生えた髭を撫でながらふと思い出した。


「本当ですか!? その人はどこに!?」

「おう、あのタープだよ」


 老人の指さしたタープを見て、半太郎は固まった。


「嘘だろ」


 そこは先ほど道案内してくれた女が入って行ったタープだったのだ。

 老人達にお礼を言って、半太郎は恐る恐る、女の入って行ったタープへと近づいていった。まさか、ここが目的の場所だったなんて。案外あっさり見つかったものだ。

 女のタープは入り口に銃弾の跡があった。危険な匂いがプンプンする。しかし、ここで勇気を出さなければならない。半太郎がタープに入ろうと入り口に手を伸ばすと、中から叫び声が飛んできた。


「あぁ!? オマエ、いつからいやがった!」

「おーほっほ。ずぅっとココで待っとったんだぞ」


 中から聞こえてきたのは女の声の他に、年老いた男性の声だった。男性はしゃがれた声で女に厚かましくかましている。


「ワシはオマエさんに依頼したいことがあったんじゃ」

「うるせぇ、アタシはオマエに恨みすらあることを忘れんな! 地獄谷の件はまだ許してねぇからな」

「そう、その地獄谷に行ってもらいたいんじゃよ!」

「はぁ!? またあの危険な場所に行けってのかよ!」


 何かもめ事だろうか。入っても良いのだろうか。

 その時だった。もう少し鮮明に聞き取ろうと、前のめりになったせいで、身体のバランスが崩れて転んでしまった。

 転がり込む形で、タープの中に入る。


「誰だ――って、オマエは!?」


 女が驚いた声を出す。顔を上げると、二人の視線が半太郎に突き刺さった。

 まずい、これは何か言わないと。

 慌てて、考えて、そして出てきた言葉は、思いがけないものだった。


「その仕事、ボクが引き受けますよ!」


 これが1つ目のターニングポイントだった。

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