第3話 自主退職を勧めるよ

「半太郎はいるか?」


 フライ上長が保安庁地域課のフロアを覗いた時、そこには数名の職員しかおらず、半太郎の姿もまた、見られなかった。


「アイツはいま出てますよ」

「アイツがどこにいったのか、わからんか?」

「さぁ、そこまでは……。何か用があるなら、伝えておきますか?」

「いい。そんな悠長にしている場合ではないんでな。だが、もし私が半太郎と入れ違いになったら、ヤツにこの場から動くなと伝えた上で、私に一本連絡をくれ」


「必ずな」と念押しし、フライ上長は半太郎を探しに地域課を後にする。

 彼は次に保安庁の書架を訪れ、書架のカウンターに腰掛ける女性司書に訊ねた。


「すまん。創里一等保安官は来ているか?」


 司書は息を荒げてぶっきらぼうに訊ねてきたフライに不思議そうな表情を一瞬浮かべたが、すぐに手元のデバイスで書架の利用履歴を検索し始めた。

 だが、司書は申し訳ありませんと前置きすると、フライにこう説明した。


「創里さんは、今日は来てませんね。お探しでしたら、館内放送を使いますか?」

「いや、いいんだ。すまなかったね」


 司書が下がったのを確認して、フライは書架を後にする。

彼は次に食堂を訪れた。

 職員でごった返す中を、とりあえず通路を順番に巡りながら、しばらく半太郎を探していると、食堂の入り口からまっすぐ左手奥に進んだところに、地域課の職員達の姿を見つけた。

 彼らは先ほど地域課を訪ねたときにはいなかった面々で、普段半太郎と仲良くしている姿をフライが見ていた人達でもあった。

 フライは彼らに近づいていくと、昼食を楽しむ彼らに向かって挨拶もなしに詰め寄った。


「おい、半太郎はいないか?」


 藪から棒にそんなことを訊ねる上長に、彼らは一瞬面食らって食事をしている手を止めた。状況が飲み込めていないようで、目を点にしてフライを見つめる。

 ややあって、各々が思い出したようにフライに挨拶をすませると、中でも一番大柄な職員がフライに訊ねた。


「半太郎がどうかしたんですか?」

「どうもこうもない。だが、お前達は半太郎がどこへ行ったのか知らないか?」

「……半太郎なら、さっきまで一緒に飯食べてましたけど」

「本当か!? それで、半太郎はどこへ行った?」


 彼らはお互いに視線を合わせたが、誰一人として半太郎の居場所を知っている人はいなさそうだった。


「そうか……。すまなかったな」

「あ、でもそういえば」


 フライがその場を後にしようとした時、一人の職員が何かを思い出した。


「装備の具合が良くないからって話をしていたので、もしかしたら整備室かもしれません」

「本当か! まったく、あいつめ、うろちょろしおって。わかった、ありがとう」


 フライは礼を言い捨てるとすぐさま食堂を後にした。

 食堂からまっすぐ走り、フライが勢いよく整備室へ飛び込んだ時、中にいた人達は突然の侵入者に驚いて彼を凝視していた。

一方のフライは、その群衆の中に探していた男を見つけて思わず大きな声で叫んでいた。


「おい! 半太郎! 探したぞ!」

「はい! すみませんでした!」


 呼びかけられた半太郎は驚き、ボサボサの髪を揺らし、ほんのり前に曲がった背中をまっすぐに伸ばして反射的に謝罪した。

 が、すぐに自分の返答がおかしかったことに気がつき、振り返る。


「あ、上長。おはようございます。どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもあるか! お前というやつは、まったくフラフラしやがって。探したんだぞ! どこに行ってたんだ」

「ああ、ちょっと装備を直しに来てたんです……。それで、どうかしたんですか?」

「ああ、それなんだがな。うむ……、用件なんだが、半太郎。お前に呼び出しがかかっている」

「呼び出しですか? いったい、誰から?」

「あー、それなんだが、ううむ……。お前、何かしら大きな失敗をやらかした覚えはないか?」


 半太郎の質問に対する答えを言い淀み、額に汗を浮かべながら半太郎を見上げるフライ。彼は恐る恐る訊ねてくるが、半太郎には責められるような大きな失敗の心当たりはなかった。


「ごめんなさい。特に心当たりがあるわけじゃないですね……。それで、フライさん。いったい、誰からの呼び出しなんですか?」


 半太郎の問いかけに、フライは十分たっぷりと間を取ってから、意を決して答えた。


「――保安庁の副総監である、コードリィさんだよ」


 告げられた人名に、半太郎は驚きのあまり絶句した。フライは続ける。


「しかも、なるべく秘密裏にお前を呼び出せと言われている」

「秘密裏にですか? ど、ど、どういうことなんでしょうか?」

「わからん。だが、異例な事態であることは明らかだ。そしてお前に、何らかの悪いことが迫っていることもな」


 フライはそう言うと「じゃあな」と告げて、サッサと逃げるように整備室を後にした。そして半太郎も、憂鬱な気持ちを引きずりながら、すぐに整備室を後にしたのだった。


 半太郎は、フゥィユン国家保安隊という組織で保安官として働いている。大仰な名前だがその実態は町の平和を守るるお巡りさんだ。その中でも、半太郎はちょっとした交通整理やもめ事を収める地域の治安維持担当として働いていた。

 このフゥィユン国家保安隊が属するフゥィユン王国は、世界一大きなヤンチュー大陸の南南西に位置する、人口八百万人ほどの小さな国だ。

 豊かな鉱産資源による鉄鋼業が主要な産業で、日々山からは鉱夫達の活気あるかけ声が響いてくる。季節に恵まれた豊かな先進国である。

 そして半太郎の住む町であるヲイタスは、フゥィユン王国の中でも古い歴史を持つ町だ。昔は鉱山から運ばれてきた資源を外国に売るための港の一つだったが、すぐ後ろにある険しいバルコ高山によって他の港と比べ開発が遅れたことや、国の首都であるリーファイからのアクセスも良い町として、現在は子育て世代に人気の自然豊かな地方都市となっていた。


 上長から「副総監からの呼び出しがある」と告げられた半太郎は、一人で副総監室の前に立っていた。三度ノックして、待つ。「どうぞ」の返事を受けて、扉を開いた。

 半太郎が中に入ると、そこにいたのは男性が一人、女性が一人だった。男性は木製のテーブルについて、女性は入り口右側の壁に控えている。


「失礼します。地域課所属一等保安官の創里半太郎が入室しました」


 最敬礼で名前を名乗る。コードリィは半太郎を一瞥すると、表情を変えずに言った。


「よろしい。かけたまえ」


 半太郎はすぐに、示されたソファに浅く腰掛ける。


「コーヒーでいいかな?」


 飲み物を勧められたので了承すると、控えていた女性がその後ろのコーヒーポットですぐに淹れてくれた。「失礼します」と断り、口を付ける。出されたものは残すと失礼に当たるとわかっているが、飲み物が喉を通らずにコーヒーを舐めただけで終わった。


「さて、早速だが、キミにとって悲しい話をしなければならないことをまず詫びよう」


 そう落ち着いた声で切り出され半太郎は動揺する。


「悲しい話、ですか?」

「ああ。非常に唐突で、極めて残念なことだが、心して聞いて欲しい」


 コードリィの口調は淡々としていて、とてもじゃないが悲しい話をするようには思えない。コードリィは半太郎の様子を伺うと、人差し指で机をトンと一回叩き、ゆっくりと、聞き間違えのないようにこう告げた。


「簡単に言うと。キミには、んだ」


 瞬間、半太郎は自分の背後に引っ張られるような錯覚を起こした。鳩尾を中心にして時計回りに身体が回されるような感覚。それまで耳についていた雑音は消え去り、自分の心臓の音だけが鼓膜にハッキリと刻まれる。体中を駆け巡る血液の、半太郎の身体を突き破ってしまうような激しい流れを感じる。かと思えば、腹にあった熱は恐ろしいほどの早さで沈んでいき、言うべき言葉が見つからない。

 半太郎にとって無限にも近い時間を経た感覚だったが、実際は一分にも満たない短い時間での出来事だった。

 無意識に、大きく息を吸って、吐き出す。

 次に何を言うべきか。半太郎は探る。保安隊を辞めなければならない理由は何か。本当に保安隊を辞めなければならないのか。どうして自分なのか。何かの手違いではないのか。

 様々な選択肢が浮かんでは消え、そうしてようやく半太郎が吐き出した言葉は、しかし半太郎の思考にまったく反するものだった。


「誰が決めたことですか?」


 予想外の返答に、コードリィはやや驚いた顔をする。

 そしてすぐに半太郎が咄嗟に出した返答の奇妙さに微笑した。


「特定の誰か、という話ではないさ。そうだな、強いて〈誰〉を挙げることを考えるとすれば、を決定したのは我々上層部だし、そのきっかけとなった進言をしてくれたのは病院で、そもそもの原因はキミになるのかな」

「ボ、私……ですか?」


 半太郎はまだ理解出来ていない。自分が原因だという心当たりはないし、なぜ病院が出てくるのか。

 混乱する半太郎に向けて、コードリィが言った。


「順を追って説明しよう。キミは、数日前に受けた健康診断は覚えているかな?」


 保安隊では年に一度、職員に向けて一斉健康診断を行っている。その時に保安官から整備士、司書、事務員に至るまで、全ての人間が身体に不調がないか徹底的に検査するよう義務づけられているのだ。

 半太郎も、一ヶ月程前に健康診断を病院で受けていた。


「覚えています。でも、あの後結果を受け取りましたが、私の数値に職務に支障を来すような異常はありませんでした」

「ああ、そうだね。キミが前に受け取った診断書では、キミの身体には異常がないことになっていた」


 コードリィは含みのある言い方をして、机の上から一枚の紙を取り出した。


「これは後日、病院から保安隊へ向けて送られてきた書面だ」

「書面……?」

「それによると、健康診断で出したいくつかの診断の内、病院側のミスによる誤診があったというんだよ」

「えっ、誤診ですか……!?」


 半太郎は驚きのあまり席を立ち上がった。取り乱す半太郎を手で宥めながら、コードリィは続ける。


「そしてその誤診の中には、キミの名前もあるんだよ」

「あり得ません! 私はこの通り元気で――」

「まぁ落ち着いて。続きがあるんだ」


 コードリィは平気な様子で半太郎を見るが、反対に半太郎は落ち着いている場合ではなかった。


「この診断書によると、誤診であった者のほとんどは、以前渡した結果とは大した差がなかったらしい。それでも、重大なミスだとは思うがね。彼らに関しては上司から既に本当の診断書が渡っている。その中でキミは、病院によると、潜在的なリスクを持ったウイルスを保菌していたらしい」

「潜在的なリスクって、じゃあ今私はウイルスを持ってはいるが、それが悪さしていないから平気ってことですか?」

「その通りだよ、創里くん。キミは保菌者だった。幸い、現在は菌が大人しくしているため君自身の身体は健康のように見えるが、その実、キミの身体を蝕み続けているんだそうだ」

「そんな……。横暴だ、それだけで、職を失えと言うんですか?」

「それだけとは、いただけないな」


 コードリィは半太郎の言葉に目を細くして立ち上がった。


「当然。我々だって苦心したさ。病院の誤診は許されるものではないし、保菌者とは言え不活性状態。それにキミは優秀な人材だ。簡単にキミを止めさせようなんて考えていないよ」

「じゃあ、なんでこんなことに!」

「それは、キミの持っているウイルスが原因なんだよ。言っただろ、潜在的なリスクを持っているって」


 半太郎は苦々しい気持ちだった。淡々と告げるコードリィの表情が、まるで単純作業をこなすロボットのように冷たくて、彼の言った言葉には心がこもっていないと伝わったからだ。


「潜在的なリスクって、何なんですか? ボクを辞めさせなきゃいけないほど、大変なものなんですか?」

「キミの身体にいるウイルスは、パセベッルという種類のウイルスだ。このウイルスは感染しても長く不活性の状態で身体の中に残るが、一度活性化してしまえば、保菌者の血液をたちまち硬化させて、石にしてしまう。俗に言う石化病だよ。キミも、聞いたことがあるはずだ」


 石化病。数十年前、フゥィユン王国内を初めとする世界中で猛威を振い、全世界の人口を十分の一にまで減らしたとされる指定難病。二十年前、予防ワクチンが開発されフゥィユン王国でも様々な医療機関が結束し根絶を目指した結果、現在はあまり見られなくなった病気でもある。だが、未だに効果的な治療薬は開発されておらず、罹ってしまえば治らない病気として有名だ。石化病はが重要とされている。

 自分がその石化病だと言うことが信じられず、半太郎は思わず膝から崩れ落ちてしまった。


「我々としても残念だが、石化病保菌者である以上、キミをここに置いておくわけにはいかない」

「――なんでも出来ます! やります! だから、せめて活性化するまでは!」


 結論を告げようとするコードリィの足下に、半太郎はしがみついた。

 半太郎には故郷に残した母と病の妹がいる。半太郎が幼い頃から病弱な妹の医療費ために、母は昼夜を問わず身を粉にして働いていた。

 そんな母の背中を見て育った半太郎は、せめて自分が働きに出るようになったら、母を支えてあげたいと心に決めたのだ。

 だから自分が働けなくなって、家族の足を引っ張りたくないと考えていた。

 しかし、


「くどいな。駄目だと言っている」


 その必死の懇願はコードリィによって素っ気なくはね除けられる。彼は惨めに這いつくばる半太郎の目線までしゃがみ込むと、耳元に口を近づけて囁いた。


「キミがいると、みんなが迷惑するんだ。キミのせいで保安隊全体が崩壊してしまっては、町のみんなが困るだろう?」

「で、でも……」

「でももへったくれもねぇよ。それとも、お前は自分の都合で保安隊潰せんのか? 個人のために、全体と戦えんのかよ! あぁ!?」


 耳元で大声を出され、半太郎の身体が竦む。

 コードリィは再び立ち上がると、ニッコリと笑う。


「お前は駒だ。そしてオレも駒だ。この社会を回すためには、全体の動きを妨げかねないボトルネックは、排除されなきゃあいけないんだよ」


「そんな……」と言葉を続けようとするが、なぜか上手く話せない。それが目からあふれ出る涙のためだと気がついたときには、もう嗚咽は止まらなくなっていた。


「実に残念だが。キミは今日をもって保安隊を辞めて貰うよ。これは決定事項だ」


 コードリィはそう告げると、自分の椅子に深く腰掛ける。

 だが何かを思い出したかのように、机の引き出しを開けると、中から一枚の紙を取りだし半太郎に投げかけた。


「だがまぁ、身の引き方は選ばせてやろう。私個人としてはだな、キミには、自主退職を勧めるよ」


 それが決して救いの糸ではないことを、半太郎は理解していた。

 止まらない涙と、無力感。絶望感に打ちひしがれる。

 こうして創里半太郎は、あっけなく、保安隊を後にした。

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