「見るべき」ものとは何を指していたのか?

この世にあるものは味わいつくしてしまった、とのことだが……それは単なる知識や娯楽を指していたのではなく(当時だって次々と新しいものは生まれていただろうし)、この世の醜さだったのではないだろうか。

平知盛の生きた時代ははるか昔だけれど、そのときだって欲望を満たすために他人を陥れたり、対立が極まって戦争になったり、いろいろなことがあったはずだ(ていうか平家が滅亡に至るまでずっとそんな感じだったのでは)。

そしてそういうのは今でも変わらない。
AIなんてものができるくらいにテクノロジーは進化したけど人間の醜い本質は少しも変っちゃいない。

そう考えると平知盛はそういう醜い人の世を生きるのが疲れちゃったんじゃないかな、なんて妄想してしまうのだ。

なんて書いてみたが、歴史上の人物とかには詳しくないし、文献の前後とか確認したらこの考えが否定されるようなことが書いてあったりするかもななんて思う。