第3話 竜義隊の連中

十蔵と荒木は吉六に教えられた旅籠で一晩過ごすことにした。今や亀瓦宿で営業しているのは二軒だけだという。すでに太陽は山陰に隠れ、夜の闇が忍び寄っていた。


「あら旦那方。こんな時に来るなんて物好きなお方ねぇ、ウフフ」


出迎えたのは艶っぽい声の女だ。


その旅籠は街の一番外れにあった。建物は小さいが小綺麗にしている。掃除が行き届いているのだろう。


女の顔をよく見ると化粧っけはないが、整った顔立ちは隠し切れていない。おそらく紅をさせば絶世の美女に化けるだろう。そして、豊満な胸に柳腰。荒木は思わず唾を飲み込んだ。


(父上……さすがは天下の亀瓦宿でござりまする!!)


荒木はクソ真面目な男だが、かなりの女好きだった。そして、それは父親譲りでもある。


「女将、そなたこそ皆と一緒に逃げはせぬのか?」十蔵が尋ねた。


「バケモンが怖くて商売なんてできませんのよ」おキヌと名乗った女将は笑いながら言った。「バケモンが来たら、こいつで叩き出してやりますわ」おキヌは土間に立てかけてあった竹ぼうきを振り回した。


「元気のいいおなごじゃ」十蔵は楽しそうに頷いた。「のう、荒木殿」

十蔵が荒木の方を見ると、


「へ?」荒木はがっつり鼻の下を伸ばしていた。


「はっはっは、荒木殿ときたら」


「な、なんでもございませぬ!少しばかり考え事をしておりました!」


「では、お部屋にご案内を……」


十蔵と荒木が草鞋を脱ごうとしたその瞬間──


カラン、カラン、カラン 


何かの警報のような音がけたたましく鳴り響いた。


「あら、本当に来たみたいですねえ」


「あれは?」十蔵が聞いた。


「罠ですよ。仕掛けておきましたのよ、アタシが。ウフフ」笑いながら顔つきが変わった。おキヌは竹ぼうきの先っぽを引っこ抜くと見事な刀身が現れた。


「ほう、仕込みか。杖などはたまに見るが、ほうきとはまた風流な」十蔵が言った。


「やられ放題やられちゃ、悔しいじゃないの。旦那方、ちょっとばかり待ってておくんなまし!」おキヌはたすき掛けすると、表に出ていった。


「な、な、な、なに?なんなんだ!? あの女!!」荒木は目の前の出来事に付いていけてないようだ。目をぱちくりさせている。


「おそらく忍びだのう」ニコニコしながら十蔵が言った。


「し、忍び?」


「足さばきを見たであろ? ふざけて竹ぼうきを振り回しておったが、いつでも我らを斬れる間合いじゃった。背筋が凍ったわ、あはは」


「見抜いておられたのですか!? 和辻殿は」


「出迎えた時の目配りでの。あの瞳、かなりの修羅場をくぐらぬと、ああはならん」


「むむ……」おキヌの顔立ちや体つき、“女”の部分しか見ていなかった自分を荒木は恥じた。


(父上! ちちうえー!)


「荒木殿、我らも参るぞ」そう言うと、十蔵はおキヌの後を追った。


一人土間に残された荒木は

「ふがいない!父上に会わせる顔がないではないか!」ふーっと強く息を吐き出すと、自分の頬を張った。


(父上、仁右衛門はやりますぞ! 化け物を討ち取ってお見せいたしますぞ!)


「いざ出陣じゃ!」荒木は唸り声を上げながら、飛び出した。


おキヌの後を追いかけると、通りから曲がった路地裏に着いた。


長屋の間の生活感溢れる場所で侍が大勢でわあわあ叫んでいた。


罠にかかっているのは化け物ではなく──


「なんだい、マヌケなお侍かい……」おキヌは肩を落とした。


丈夫そうな網に囚われ、5メートルほどの高さの木に侍が吊るされている。


「なんとまあ」十蔵は愉快そうにしていた。荒木はそんな十蔵を少し呆れて見ていた。


20人ほどの侍たちが罠にかかった仲間を救おうと木に登ったり、棒でつついたりと右往左往していた。吊るされているのは上官なのだろう。身体が折り曲がったみっともない姿だが、口調だけは偉そうに、手下に「早く降ろせ!」と怒鳴っていた。そして、おキヌに気づくと睨みつけながら言い放った。


「おい、女! 今、笑っただろ?」


「いいえ。笑ってなどおりませんよ、アッハッハ」おキヌは憚りもせずに笑った。


「お、女ぁ!」


「旦那方がバケモン退治に派遣されたっていうお侍さんかい?」


「いかにも。我らは竜義隊。お上の命を受けて参った。俺は隊の統率を任されておる、源田半之丞だ」源田は三十半ばくらいの年齢で、濃い眉毛が特徴でへの字に曲がった口。見るからに融通がきかなそうな男だ。


「バケモン退治の軍隊がバケモンを捕まえる罠にかかっちゃ世話ないよ!こしらえるのにどんだけ時間かかったと思ってんだい!誰かさんのおかげでぜ〜んぶ水の泡ってやつだよ!どうしてくれるんだい!!」おキヌは源田の圧を跳ね返すように一気にまくしたてた。


「な、なにぃ? これはお前が仕掛けたのか!?」源田の目が仁王のように見開かれた。


しかし、おキヌはそれをまったく気にもせず、


「帰ろ帰ろ」と十蔵たちに目配せをして踵を返した。


「お、おい待て!降ろせ!降さぬか!」


「自分らでどうにかするがいいさ」おキヌは振り返りもしない。しかし──


前に回り込んだ侍たちに行く手を阻まれた。その侍たちは刀を抜いた。


「女よ、これ以上の無礼はゆるさんぞ」一人の侍が切っ先を向けて言った。


荒木はその構えを見て悟った。


(この男たち、使い手ばかりだ……)


「どきな」おキヌはふてぶてしく言った。


「隊長を降ろせ、怪我のないよう重々気をつけてな」


「聞こえないのかい? どきな」


「無礼な。斬り捨てる!」


侍たちは一斉におキヌめがけて、襲いかかってきた。


その刹那、荒木は見た。十蔵がおキヌの盾になると、刀を抜くやいなや、3人の侍が倒れた。全て峰打ちだった。


打たれた侍たちが足元で呻き声を上げている。


「やるねえ、旦那」おキヌは楽しそうに言った。


「貴様!」


さらに5人が同時に、十蔵めがけて刀を振りかざす。十蔵は流れるように滑らかに、踊るように回転した。そして瞬く間に相手の胴、腕、脚を峰打ちした。


たった10秒ほどの間に都合8人の侍が倒された。


(本物だ! ホンモノ過ぎる!!)


荒木は十蔵の剣を初めて目の当たりにし、今までこのつかみどころのない侍を、どこかみくびっていた自分に気づいた。天下無双の異名はだでではないということだ。


十蔵が振り返ると、残りの侍たちが鯉口を切った。構えはしているものの、重心を見れば逃げ腰なのが分かる。たった1人の十蔵を前に10人以上の男たちがひるんでいるのだ。無理もない。荒木は自分の手がいつの間にか、ガタガタと震えているのに気づいた。


当の十蔵はなにかが気に入らないように首を傾げている。


「やはり、なまっておるのう」そして、愉快そうに笑みをこぼすと「次はもっとうまくやろう」と言って青眼に構えた。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る