第2話 襲われた宿場町
道は城下をはずれ、田園風景の中を十蔵と荒木は歩いていた。貝ノ瀬炭坑に向かう途上である。
「和辻センセ! どこ行くん?」
「化け物退治じゃ」
「どこまで行くん?」
「海の方じゃ」
「お土産お願いな」
「おうよ」
田植えを手伝う百姓の子がまるで友達に話しかけるように気安く十蔵と接しているのを見て、荒木は驚きを隠せなかった。
「なんと無礼な!いかに子どもとはいえ、あまりにも……」
「まあまあ」鼻息の荒い荒木を十蔵はなだめて言った。
「あの子らに剣術を教えておっての」
「なんと!百姓の子に剣術とは……」いちいち目をひん剥いている荒木は今に血管が切れそうである。
去年亡くなったばかりの厳格な父・勘右衛門から旧態依然とした武家教育を受け、まっすぐに育った荒木には、百姓や町人が刀を振るうことなど分不相応にもほどがあり、許し難いことだった。
(父上、世も末でござる。世も末でござるぞ……)
「お主、疲れぬか?」十蔵が言った。
「は?」
「さっきから、こ〜んな風に眉間にシワを寄せておる。力が入りすぎじゃ。もっと力を抜かんと、いざという時に力が出ぬぞ」
「心配ご無用!私はいつでも全力で事に当たるのです!」
「ほう。そうか、それはいい。それはいい心がけじゃの」
「しかし、なぜに百姓に剣術をお教えなさるか?」
「のう荒木殿、武芸は侍だけのものではないのだ。百姓だろうが町人だろうが、剣術の前ではみな同じ。勝つか負けるか。それが剣の道じゃ」
「和辻殿ほどのお方が、なぜにそのような戯言をおっしゃるのか! 剣術こそ侍の本分。百姓はクワを振るい町人はそろばんを弾くのが世の常。それを否定するのならば我々は立つ瀬がないではありませぬか?」
「ハハハ、侍に立つ瀬など、そんなものはもうどこにもない。時代は変わる。イヤでも変わりゆく。まあ、そうカッカするでない、荒木殿」十蔵は例の人懐っこい眼差しを荒木に向けた。
「カッカしてなどおりませぬ!ただそれがしは……少しばかり驚いたのでございます。和辻殿は天下無双と呼ばれたお方。侍の中の侍と、思うておりました」
「あっはっは。天下無双など呪いの言葉。そのような空虚な言葉に踊らされた末に、それがしは何を失ったか。荒木殿もご存じでござろう?」
「……」
「それがしはなにも、侍を否定しておるのではござらん。ただ、時代の流れに逆らうことなく、我が身を委ねるのも悪うはない。荒木殿も肩肘張らんと、もっと気楽に、の?」
「気楽? 気楽とはなんですか!? 我々はご家老の命を受けて……民のために剣を振るうのです。それが武士の定め。気楽になどできるはずがありませぬ!」
「あっはっは、荒木殿がそう思うのならそれでいい。それでいいのだ。考えというのは人それぞれじゃ」
荒木は小馬鹿にされているようで腹が立った。
(父上、このお方の言うことは全く意味不明にござりまする。話をしていてこれほど居心地の悪い思いをするのは初めてでござる。どうしたものか……)
それから、荒木は押し黙ったまま歩き続けた。十蔵は初夏の眩しい緑を愛でながらニコニコしていた。
六里歩いて炭坑にほど近い亀瓦宿についた時には夕方になっていた。
荒木は艶やかな朱色の門前に立ち尽くした。
(どうしたことだ!? ひとっ子一人、目につかんぞ!!)
ガランとした街が捨て猫のように寂しそうな顔を見せている。
亀瓦宿は本来、九州でも有数の賑わいを見せる湯治場で、五十軒を超す宿に遊廓、居酒屋と遊ぶには事欠かない華やかな場所だ。荒木も一度、来たことがあるが、城下一の花街と言われる下柳町にも負けてはいないはずだが──
「その化け物とやらのせいだろうなあ」十蔵は荒木を置き去りに門をくぐった。
「まさか……」慌てて荒木が後を追う。
「歌にも詠まれる亀瓦宿がこの有様……」
街の真ん中を貫く大通りを風が吹き抜ける。土埃が待った。
「血の匂いが混じっておるようだの」
十蔵の言葉を聞いて、荒木は身震いした。この街も化け物にやられたのかもしれない。荒木は無人の街が、急に不気味に思えてきた。
──ガタガタ
「む?」荒木は立ち止まった。
軒を連ねる店子の戸が震える音かと思った。
──ガタガタ、ガタッ
どうやら違うようだ。今、風は止んでいる。その音は呉服屋の奥から聞こえている。
「和辻殿」小声で呼び止めた。顎で音のする方を指す。
十蔵は足音を消して呉服屋の店先に近づくと、鯉口を切った。
──バタン
勢いよく戸を倒して出てきたのは、高級な着物を何着も抱えた薄汚い中年男だった。髪はボサボサ、身なりはボロボロだ。
「あ、あ、あ、あ、あんたら、なんでい!?」男は殺気だった男たちを前に目を丸くした。
「お前、盗っ人だな?」荒木が詰め寄る。
「はあ? 人聞きの悪いこと言わねえでくださいよ、旦那。おいらはただ、着物を運んでるだけでさ」
「ここはお前の店か?」
「ちげえよ。おいら炭坑夫だもの。今、この街は天国さ。お宝放り出してみんなどっかに行ってしもうたもの、ウッシッシ」
「それを盗っ人というのだ!このやろ……」
「ひえええ!」
炭坑夫につかみかかろうとした荒木を押さえて十蔵が言った。
「炭坑夫と申したな。貝ノ瀬で働いていたのか?」
「そうよ。バケモンに襲われて、命からがら逃げてきたってわけでさ」
「ここもやられたのか?」荒木が言った。
「そうでさ。三日続きで化け物にやられちまって、ご覧の通りのあり様でさ」
「何人やられた?」
「二十、いや三十は下らねえんじゃねえかな」
「しかし、血の匂いばかりで死骸が見当たらぬが」
「み〜んな、持っていっちまうもの、バケモンが」
「死骸をか?」
「そうでさ。殺した後にわざわざ引きずっていくんでさ。猪狩りみてえにさ。んだから、あたり一面血だらけでさ」
「姿格好はどんなだ? 化け物はどんな顔をしてる?」
「わがんねなぁ。見てねえもの。見てたらオイラ……この世にはいねえでさ」
「そうか」
「だっけどよぉ、声は聞いた。確かに聞いたんでさ」
「どんな声だ? 何か言ってたのか?」
「ヒュー、ヒュー、ヒュー」
「んん?」
「聞いたこともねえ声でさ。あれは声っつーのか、わかんねけど。なんか、隙間風が抜けてくような。オイラ、向こうっ方のボロ宿に泊まってたんださ。そこの主人が首はねられたとき、障子越しに聞いたんでさ。障子に映った影を見りゃ、そりゃ人間でねえのはわかる。たぶん、大人二人分の背丈はあるんでねか。んでもってぇ……」
「なんだ?」
「とにかく、人間ではねえ。歩き方も足音も人間のものでねえ」
「ほう、どんな歩き方だったかの?」久しぶりに十蔵が口を開いた。
「うーん……よくわからねえ、わからねえけど……虫、そうだ虫だ!気味のわりいあの感じ。分かるでしょ? 旦那。カサカサ音を立てて……オラ、虫が苦手で、捕まえられねえもの」
「お前、なんて名だ?」荒木が聞いた。
「吉六でさ」
荒木は吉六に説教して盗み出そうとしていた着物を諦めさせた。しかし、吉六は反省する素振りを見せながらもこっそり荒木の目を盗んで一枚、自分の懐に入れた。十蔵はそれをニコニコしながら見ていた。
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