珍楽器マスターに私はなるっ!

舟渡あさひ

上司を叩く女

 物事を始めるのに特別な理由なんていらない。


 フィクションの中で幾度となく目にした台詞。

 概ね異論はない。そりゃ、上司がキックオフミーティングで「このプロジェクトはノリで立ち上げました」とか言い出したら正気を疑うけども。

 個人の趣味の範疇なら、別にどんな理由でも勝手に好きに始めればいいと思う。もしたまたま才能を見いだせれば儲けものだ。そうでなくても趣味だし、別にいい。

 ただそれを言えるのは、他人事だからだとも思う。始める側の苦悩というものは当人にしか分からないものだ。


「あんたが何に悩んでるって言うのよ」

「だから、始められないことにですよ」


 昼休みのオフィスでのんべんだらりと雑談に興じていると、先輩から鋭い指摘が飛んできたので、私もゆるりと言い返す。


「『なんとなくやってみようかな』くらいの動機じゃ『とりあえず先に家事をやらなきゃ』とか、『なんか今日は気が乗らないな』くらいの理由で流されて結局やらないんです。せめてもうちょっと強い動機がなきゃあ」

「あんたがだらしないだけでしょ」


 むう、と膨れて抗議の視線を飛ばしてみるが、先輩はどこ吹く風だ。

 2年目まで教育係を努めてくれた先輩は、今でもこうして雑談に乗ってくれるものの、その返しに容赦はない。

 仕事と関係ないことですらこれなのだ。いい加減、これが先輩本来の正確であることは私にも分かっている。

 無論、なんだかんだ面倒見が良いことも。


「その口ぶりじゃ、モチベーションが追いつかないだけでやりたいこと自体はないわけじゃないんでしょ。やりなさい」

「そりゃありますけど、どうやってその初動のエネルギーを捻出するかって話でですね?」

「やりなさい。命令よ」


 そらきた。私の性格をよくわかった上で、こうして口実を用意し背中を押してくれる。

 新人時代、何度こうして掌の上で転がされたか。それが先輩の手腕によるものである事に気づいているだけ、私も成長したものだ。


「始める時は何をするかを、成果が出た時はどんなものかを、そして、やめるときは理由を。それぞれ私に報告しなさい。聞いたげるから」

「先輩。めんどくさいです」

「やめるのにもエネルギーがいるくらいの方があんたにはいいでしょ」


 流石先輩。よくわかっていらっしゃる。これでそう易々とはやめられなくなった。

 物事を始めるのに特別な理由なんていらない。なら私は、優しい先輩の優しい命令を理由にしよう。

 丁度もうすぐゴールデンウィークもある。動き出すのには絶好の機会だ。


「じゃあ早速、ゴールデンウィークにでも始めてみますね」

「火がついたようで何より。で? 何やるの?」

「取り敢えず、楽器屋に行ってから考えます」

「……小箱、あんた楽器なんか出来る子だっけ?」


 全く先輩ったら。長い付き合いなんだ。今更そんなこと聞かなくても分かっているだろうに。


「この小箱こばこ亜愉快あゆか、音楽の成績でアヒルちゃん以外を取ったことなどありませんよ」

「評定の2をアヒルちゃんと呼ぶやつ久々に見たぁ……」


 そこですか。



♪♪♪



 待ちに待ったゴールデンウィーク初日。私は先輩との約束を果たすため、宣言通り駅近の楽器屋へと訪れていた。

 去年は特に用事もないからと、有給を使ってより大きな連休をつくるようなことはしなかったが、そのせいで仕事もないのに一人ポツンとデスクにいなければならなくなったり、消化期限ギリギリまで溜め込んだ有給の消化でチームに影響を与えたりしてしまった。

 今年はその反省を活かし、先輩と休みを合わせるようにしっかり連休を作っておいたため、練習の時間もたっぷりある。


 さあ、連休の間、たっぷりと濃密な時間をともに過ごす相棒を探しにいこう。


 とはいえ、先輩にも自慢したが、私の音楽の成績はアヒルちゃんだ。

 ピアノなんてもちろん弾けない。小学校の頃、ドレミのシールが貼ってある鍵盤ハーモニカを死守するのに余念が無かった私だ。弾けるはずがない。

 管楽器も論外だ。一度、吹奏楽部の友達にトランペットを吹かせて欲しいと頼み込み、マッピ(って呼んでた。なんだろあれ)もつけずに直で吹こうとした私だ。あれ、息じゃなくて唇の振動が大事らしい。

 じゃあ打楽器はどうか。正直これはアリだ。もちろんリズム感などあるわけがないのだけど、好き勝手自由に音を鳴らすことにかけては恐ろしくハードルが低い。

 ただし、力加減の苦手な私はこのゴールデンウィーク中にも壊しかねない。高価で壊れやすいやつはNGで。安ければまだ可。

 そこで私が、じゃあまず何を選ぶかというと。


「オタマトーンありますか?」

「はい。こちらに」


 あるんだ。電気屋に行けって言われるかと思ってた。


「これ、試せるやつですか?」

「はい。試遊できるのはスタンダードタイプのみになりますが」

「やってみていいですか?」

「どうぞ」


 ワア゛ァーーーーーーーーーッッ!!!!!!!!!!


「……これってこんなでしたっけ?」

「これほどまでの断末魔を上げられたのは、私の知る限りお客様のみです」

「才能ありますか?」

「ええ、きっと」


 思いっきり目を逸らされた。ダメだろうか。もう一回やってみよう。


 ピョヴァーーーーーーーーーッッ!!!!!!!!!!


「お客様、他のお客様の迷惑になりますので……」


 ァアッッ!


「それで返事しないでください」

「これ、買います」

「かしこまりました。他にも何か買っていかれますか?」


 もちろん、これ一つだけのつもりはない。しかし、ここにどんなものが置いてあるのかは知らないので、オタマトーン以外は相談の上考えるつもりでいた。


「何かこう、へんてこな楽器ないですか? 民族楽器的な」

「いくつかはございます。試されていかれますか?」


 そうこなくっちゃ。




「まずはこちら。ギロになります」

「洗濯板みたい」

「ギロです」


 なにやら表面がギザギザデコボコした木を渡された。

 なんだこれ。


「このように、棒をこすり合わせることで音を出します」


 店員さんが実践して見せてくれる。


 ギィ! ジャッ! ギィ! ジャッ! ギィ! ジャッ!


「さあ、お客様もどうぞ」

「よしきた」


 ギロギロギロギロギロギロギロギロ


「なんか私の時だけ違いません?」

「……お客様は大変才能に恵まれておられますね」

「ほんとですか?」


 ギロギロギロギロギロギロギロギロ


「……こちら、お買い上げになられますか?」

「いいです。次」




「お次はこちら。カリンバです」


 店員さんが持ってきてくれたのは……これまたなんだろう。

 穴の空いた木に金属の細い板がいくつも設置されている、スマホより少し横幅のある箱。

 これ、楽器?


「カリンバはオルゴールのルーツとされていて、こちらの金属板を指で弾いて音を鳴らすのですが、ほら、癒やされませんか?」


 ポポポポンポンポーン


 店員さんの指に合わせて、柔らかな響きが鼓膜を揺らす。オルゴールと言われてなるほどと思うくらい、優しく豊かな音色。

 子供の頃、夕方の公園でこんなチャイムがなっていたような気がする。

 ああ、なんだか、眠くなってきた……。


「さあ、お次はお客様も……お客様? 起きてますか!?」

「はっ!? いや、びっくりしました。凄いですねこの安眠グッズ」

「楽器です。お客様」

「枕元で鳴らしてくれる人はセットで売ってたりしませんか?」

「しません」




「お次はこちら。スティールパンです」

「鉄パン?」

「スティールパンです」


 次に持ってきてくれたのは、お鍋のように浅く湾曲した鉄板。だけど……。


「ベコベコですよ、これ。不良品じゃないですか?」

「そういう楽器なんです」


 不良品、と言われて他のお客様に不信感を抱かれないよう、大きめの声で否定してくる店員さん。ごめんよ。


「この平らになっている部分を叩いて鳴らすんです。面積が小さいところほど大きな音が鳴りますよ」


 ほら、と先が丸くなった棒で叩き始める店員さん。ポン♪ と気持ちの良い音が鳴る。

 先程のカリンバのような柔らかい響きだけど、余韻が短く眠気は誘われない。これを叩くのは楽しそうだ。


「お客様もどうぞ」

「これ、もう一個ありますか?」

「ありますけど、何をするんですか?」

「ああ、いいサイズですね。取り外せます?」

「外しましたけど、あの、何を……お客様? どこから出したんですかそのスーパーボール」

「私、子供の頃スーパーボールとかビー玉とか集めるの好きだったんですよ。初心を忘れないようにと持ってきたんですけど、いやあ持ってて良かった」


 店員さんに外してもらったスティールパンにスーパーボールをあるだけ入れる。

 それを、もう一つのスティールパンに、思いっきり……。


「お客様……? お客様!?」


 被せる!


 ポペポコポポポポポポポポポポ!!


「うぇはははははははっ!」

「ちょっ、商品がー!!」




「次やったら出禁にします」

「ごめんなさい」


 営業スマイルを浮かべているのに全く目の奥が笑っていない店員さんに慄きながらどうにか頭を下げる。悪ノリが過ぎた。


「オタマトーンのお会計だけ済ませて早く帰ってください」

「待ってください。あと一個気になるものを見つけたんですが」

「なんですか? 手短にお願いします」

「あの、これなんですけど……」


 相当おこだなこれは、と思いながらおずおずと指をさす。その先には、穴の空いた木の箱。


「ああ、カホンですね。中が空洞になっている木に座りながら、この平らな面を叩くんですよ」


 タタッタタタタタボンボン タタッタタタタタボンボン


 店員さんは木の箱に座りつつ、やや傾けて正面を上に向けながらリズムよく叩いていく。


「ああ、私も小学校の頃に図工室の椅子でやりました」

「……であれば、お客様に向いているかもしれませんね」


 もう突っ込むのもめんどくせえや、と顔に書いてある店員さんに促され、座りながら叩いてみる。

 ポコポコと小気味良く鳴る音。全身で刻むリズム。なるほど、これは楽しいかもしれない。


「あれ? あれもカホンですか?」

「ええ、そうです」

「でもあれ……」


「ダンボールですけど」



♪♪♪



 それから、半年ほどが過ぎた。

 今日はオフィスの広い会議室を使って忘年会だ。ビンゴ大会や社員の表彰のためこの形らしいが、正直そんなの良いから店で良い飯と酒を味わわせてほしい。

 缶チューハイを啜り、出前のおつまみをつつきながら先輩と取り留めのない話をする。


「そういや小箱、今日なんかパフォーマンスしてくれるんだって?」

「ええ。先輩のお陰で趣味がようやく形になってきたので」

「大丈夫なの? それ」

「新人くんが無茶な一発芸を強要される姿を眺めるよりは楽しませてみせますよ」


 ふふん、とキメ顔を向けてみれば、何だそれ、と鼻で笑われる。

 笑っているがいいさ。出番が来たら先輩は熱狂の渦に落とされてしまうのだから今くらい笑えばいいさ。


「小箱さーん! 出番でーす」

「はーい」


 ほら来た。しっしっと雑に追いやる先輩にサムズアップで応えると、皆の前に立つ。

 右手にはダンボール箱。左手にはオタマトーン。


「おい、あれ」

「部長の顔……」


 察しのいい子がいるな。その通り、ダンボールカホン(ダンホンというらしい)の打面には部長の小憎たらしい様子が存分に表現された似顔絵が描かれている。

 私はドカリとダンホンに腰掛けた。途端、ざわめく会場。

 これが私の出した答えだった。最も気持ちよく、情熱的に演奏するための答え。

 ダンホンの前にオタマトーンを置き、演奏を開始する――!


 ドカポカドカポカドカポカドン

 アッーーーーーーーーーー!!


 ぶふぅ! と吹き出す音があちこちから湧いた。私は手を緩めない。

 思う存分部長の顔を叩き、すかさずオタマトーンを手にとっては断末魔を上げる。


 ドカポカドカポカドカポカドン

 アッーーーーーーーーーー!!


 ドカポカドカポカドカポカドン

 アッーーーーーーーーーー!!


「ウィヒヒヒヒww」

「ば、ばか……っ! 部長も見てるんだぞ……プッw」


 次第に伝播していく笑い。まだまだここからだ。

 演奏はヒートアップしていく。上がるテンポ。細かくなるリズム。

 ああ、くそ。私の腕が四本あればいいのに!

 これまで幾度となく練習を重ねた。オタマトーンとダンホンの持ち替えの速度はもはや熟練の域にあると自負している。


 しかし、それでも。


 ダンホンを叩く間は、オタマトーンは沈黙する。

 オタマトーンが叫ぶ間は、リズムが止まる。

 私が勢いよく叩いたときにこそ、この断末魔が必要なのに!


 あがれ、速度。もっと。もっと!


 オタマトーンに伸びる私の手が、突然空を切った。


 気づくとそこには、オタマトーンを持つ先輩。

 あぁ、ダメです先輩。その子は私でないと。私じゃなきゃ、最高の悲鳴は引き出せない――。


 アッア゛−−−−−−−−−−−−−−−−!!!!!


 思わず、手を止めてしまうかと思うほどに。

 理想の悲鳴が、鳴り響いた。


「一回、鳴かせてみたかったのよね」


 私にだけ聞こえる声量でぽつりとこぼす先輩。

 あぁ……先輩……先輩ッ!

 ギアを上げる。しかし少しも遅れることなく、先輩も付いてくる。

 私が欲しいと思ったところへ。欲しいと思った悲鳴が挟まる。


 ドカポコドコドコドコドコドン!

 アッアッアーーッ‼ アアッアーーーーーーッ!!


 ドコドコボコスカドンドコドン!

 アアッア! アアッア! アッアッアーーッ‼


 私は確信した。これは、始まりの音だ。


 ――やりなさい。命令よ


 あの日、先輩が私の趣味の始まりを告げてくれた。

 そして今。私の刻むリズムが。先輩の鳴らすシャウトが。

 私達の〝本気〟の始まりを告げている。


 堪えきれず、ついに笑い出した部長の高らかな爆笑すらも気にならないほどに熱中した私は。


 幾度となく、ダンホンを叩き続けた。






 この日同僚によって撮影された動画は春になると、会社の就活生向け公式チャンネルにアップされた。

 「上司を叩く女」と題されたその動画は後に、「スティールパン・スーパーボール」と共に一大ブームを生み出すことになるのだが。


 この時の私は当然、知る由もない。

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珍楽器マスターに私はなるっ! 舟渡あさひ @funado_sunshine

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