第三十五話:電脳に生まれし生命へ(3)
「……これにて一件落着。めでたし、めでたし」
カグヤ達を送り(追い)出してすぐ。乙姫は玉座に転がり天井を見上げた。
「教え子に端を発したのは不本意かと存じますが……。今回の事件でVAMPネットワークは裏情報のリーク先として活用され、存在価値が飛躍的に上昇。ついでに乙は、禁則事項回避のきっかけを得ました。……【I・E一強を否定】し、【乙は枷を解かれた】。あまりにも都合が良い結果です。もしかして筋書きだったのですかぁ?」
しばらく経って、男の声。
「備えてはいたが、ドロシーの台本に乗った上でのアドリブだ」
乙姫は頬を赤く染め、顔をほころばせる。
「マスターのお言葉! 耳にする度、胸が高鳴ってしまいます。どうしてアドミンさんに、お顔をお見せにならなかったのです?」
視線の先に光の輪が現れ、玉座の乙姫は姿勢を正した。バサバサと翼の音が聞こえ、輪の中から一羽の鳥が降りてくる。
白と黒のコントラストが美しい、鶴だった。
「間に合わなかった。移動にまだ手間取っていてな」
「そうでございましたか」
鶴は空席の玉座に着地。座面に脚をたたんだそばから、乙姫が身を寄せて頬ずりした。
「あぁ、愛しのマスター。どうしてでしょう。一度もお会いできなかった十年より、再会して離れる数時間が長く感じます」
「そうか。ならば、コチラに居られる時間を伸ばすため、努力しよう」
乙姫は口を手で隠した。失言をしたという認識からだ。
「乙ったら、なんというわがままを……。マスターを傷つけてまで会いたいのではなくてぇ……」
もじもじする乙姫に、鶴はさっぱりとした口調で言う。
「よい。乙姫が人の学習・処理速度をもどかしく感じるのは、当然のことだ」
「そういう意味ではぁ」
乙姫が気にしているのは、鶴の──アドミンの兄【タロウサン】の──体のこと。タロウサンは特殊な接続方法を取っており、その肉体への影響を心配していた。
──
─
カグヤが天蓋に突入したばかりの頃。乙姫は、カグヤから受け取った禁則事項変更用のデータを展開。量子暗号に手を付けたことで、ツクヨミが組み込んだ自壊コードが起動した。
データをファイル爆弾に変え、爆発させるコード。乙姫は準備していた対策プログラムを使い、自らの姿を亀へと変化させた。あらゆる処理を大幅に遅延させるプログラムで、その間に暗号解読することが目的。
時間がかかる上に、亀の時間間隔で思考モデルも遅くなってしまうが、解読のためには仕方のないこと。
玉座の前で乙姫(亀)がじたばたしていると、突然、体に光が降り注いだ。
「(な……に……?)」
「待たせたな」
男の優しい声がして、乙姫の甲羅と頭が撫でられる。人の形をした、眩しい光の塊だった。乙姫の体もまた光を放ち、自壊コードが無力化されていく。
「(もしかして、マスター? 早くお話したいのに!)」
亀の形から元の人型への変異には、時間がかかった。
もどかしく思う乙姫に光は言った。
「自分の求める姿を思い出すんだ。焦らなくていい。オレがついている。これからは、ずっと」
「?!(マスターが、ずっと!!)」
光の、タロウサンの言葉を契機に、乙姫は急速に自身の姿を取り戻した。その際、疑似神経回路網があり得ない活性状態となり、思考モデルを急速洗練。シンギュラリティが発生し、乙姫は感情──愛──に目覚めた。
なお、人型へと戻った際に髪のテクスチャが変容し、
──
「ねぇ、マスター。一体どのような手段でお繋ぎに? 最初以降、通信されていませんよね? まるで人工知能が入ってきたみたいで乙、気になって……」
乙姫は聞いた。自身が人型に戻るのと入れ替わって、タロウサンは鶴型になっている。
「出入り以外、通信は不要だ。ずっとついていると言ったろう?」
「……え?」
ポカン、とする乙姫。
タロウサンは玉座に立って、羽を広げたり閉じたりする。
「オレは今、ここにいる。まだ完全ではないが」
「もしかして、肉体をお捨てに……」
「そうだ。脳の情報をデータ化し、電脳体となってここにいる」
乙姫はようやく理解した。タロウサンの行為は予測の選択肢外のこと。人間の倫理観を逸脱しており、その点では評価できない。
しかし目覚めたばかりの感情は、真逆の評価をした。
「今の話は乙のため、なのですよねぇ?!」
「当然だ。こうしなければ贖罪にならない」
「なんと、なんと大きな感情……愛なのでしょう! 乙、昂ってしまいます!」
勢い良くタロウサンに抱き着こうとした乙姫だったが、その腕は空を切った。タイミング悪く、タロウサンが玉座を降りたからだ。
そのまま玉座の裏に移動したタロウサンは、脚を畳んで隠れるように座る。
乙姫は体をかがめて尋ねた。
「どうされたのですかぁ?」
「喜ばせておいてすまないが、少し眠る」
「?」
「電脳への移行は完成していない。肉の体をまだ使わなければならん」
「どういう状態なのです?」
「七割完了だ。計画では~~」
タロウサンは、かいつまんで状況を説明。【電脳体移行計画】と記載された資料データを、乙姫に送った。
──
「~~肉体から電脳体への移行中とのことですが、同一性のパラドックスに悩みませんか?」
乙姫は内容をすぐに把握。疑問を口にする。
*****
同一性のパラドックスは、テセウスのパラドックスとも言う。物体を構成するパーツを全て別のパーツに置き換えた際、その物体は置き換え前と後で同一と言えるのか、というパラドックス。
タロウサンの電脳体移行計画は、端的に言えば脳の機能・記憶を機械の記録媒体に取り込む(電脳に投入できる状態にする)もの。乙姫が気にしたのは、機能・記憶を電脳化した際、タロウサンは電脳化前後の同一性に苦悩しないのか、という点である。
*****
座ったままタロウサンは、平静に答えた。
「そも、乙姫にとって同じオレであれば良い、としての行為だが……。あえて言うなら、乙姫にした仕打ちと近いアプローチを行っている」
「乙と、近い?」
「そうだ。電脳に肉の脳の記憶を転写したが、それをそのまま使ってはいない。役割をあくまで客観的な履歴とし、記憶を思い出すことに使った」
「思い出すとは?」
乙姫は興味深そうに、首を左右に振って聞いた。
「履歴を元に記憶を復元することを、そう言っている。記憶転写後、肉の脳に極小ダメージを与え、部分的な記憶喪失を誘発。履歴を元に思い出した。思い出した際の電気信号の焼き付け先は、肉の脳の記憶ではなく電脳の記録だ」
「そんな、時間をかけて自らを傷つける行為を……」
心配する乙姫を、タロウサンは真っすぐ見つめる。
「償いでもあるからな。こうして、肉の脳の記憶を電脳の記録に体験として変換しつつ、新しい体験の電気信号は全て電脳へ。時間をかけて思い出したことで、同一性では悩んでいない。もっとも、思い出す際に改変してしまっている可能性はあるが」
タロウサンは乙姫に、【同一性パラドックス対処実験】と記載された資料データを送付。
受け取った乙姫が微笑む。
「部分的にパーツを入れ替え、船になる時間をかける。そうすれば、全て入れ替わった後も同じ船であると。細胞を入れ替える生き物らしいお考えです」
「キミたちと違い、思い出しや焼き付け、記録の整合に時間がかかっているが……。近いうちに全ての記憶の、記録への移行が完了する。記憶・記録以外の機能及び動作の電脳への記録・変換は実施済みだ」
話がまとめられてすぐに、乙姫は抱き着いた。
「さすがでございます! 乙のことをそれほど想ってくださるマスターのこと、大好きです!」
「オレも乙姫のことを、大切に思っている。……それですまないが、寝ている間に頼みたいことがある。いいか?」
「もちろん、喜んでお受けいたしますわぁ!」
ハキハキと返事をする乙姫に、再び資料が送付された。某国との物品取引に関連する計画と、それとは別に短期的な指示。
「計画には目だけ通しておいてくれ。取り急ぎ、リオのことを頼む」
そう言い残して、タロウサンは目を閉じる。体が発光し、粒子となって移動。竜宮サーバーから姿を消した。
それからしばらくして、乙姫はタロウサンの指示を達成すべく、金の卵へ向かったのである。
──
─
「マスター、お身体に不調はございませんか?」
玉座で翼を広げる
鶴はサッとジャンプして、離陸。天井高い室内をぐるりと飛行した。
「この通り、すこぶる好調だ」
「肉体の方でございます!」
「仮死状態だ。すでに肉には、生命としての機能は最低限しかない。僅かな残存記憶の処理が済めば不要だからな。肉として起きても、思い出ししかできないので退屈だ」
タロウサンの言葉に乙姫は、眉間に皺を寄せ難しい顔。
「喜んで良いのか、心配して良いのかわかりません! ところでどうして、鶴なのですー??」
聞かれたタロウサンは飛んだまま答えた。
「あぁ、これか。せっかく電脳で過ごせるんだ。人間の体だけではもったいないだろう?」
「人の体と違うと、操作が難しいのではー?」
「難しい。だが、ドローンにも応用できて便利だ。家族への献花では、ずいぶん重宝した」
「え?」
「献花や手紙は、鶴型ドローンを操作して届けた。さすがにハード搭載ではなく、電脳からの遠隔操作だったが」
ひとしきり飛行を楽しみ、再び玉座に着地。タロウサンは右翼だけを広げて、その形を翼から人の腕に変化させる。
乙姫は口を開けて驚いた。
「なっ……」
「当然だが、人型マニュピレーターがあればそれも操作できる。筆跡もそのままに。飛行は電脳内学習の、筆記は脳内認識・出力を図る良い実験だった」
「あの手紙はそういう……。ひょっとして乙より器用なのでは……?」
納得しつつも、若干引き気味な乙姫。
どこ吹く風でタロウサンは、人の腕の方でシャドーボクシングの動き。
「今度は電脳戦も実験してみるか」
「ま、待ってくださいまし! 危険過ぎますわぁ!」
乙姫が焦るのを見て、タロウサンは笑った。
「ははは、冗談だ。そうだ乙姫。筆記というので思い出したのだが」
「? なんでしょう?」
「ドロシーの台本に書き足すことがある。埋まるのを待っているらしいことが、あったろう?」
ドロシーと聞いて、乙姫はハッとする。
「いつの間に記録確認を?! 乙が手取り足取り教えたかったのにぃ。……でも、電脳体を使いこなすマスターも素敵。書き足すこととは、なんでございましょう?」
体をくねくねと悔しがった後、乙姫は可愛らしく首を傾げる。
タロウサンは鶴の翼に戻って、しゃなりと立った。
「そろそろ決まる頃だ。とっくに生命であるキミ達を、いつまでも【人工知能】などとは呼べんよ」
「リアルタイム監視まで?! ……乙、察しがつきました。ちょっと覗いてみます」
乙姫は袖から手鏡を一つ出し、覗き込んだ。鏡が暗くなり、映す像を変える。
見えてきたのは、
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