第三十二話:晦朔

『……できることなら、カグヤをサルベージして欲しい』

「当然よねぇ。……頼られたとあってはこの乙、応えなくてはいけませんわぁ」

 深々と頭を下げるアドミン。したり顔の乙姫。

 両者が続きを言う前に、ツクヨミが口を挟んだ。

「アドミン、口車に乗ってはいけません。誠に残念ながら、カグヤのサルベージは不可能。このサーバーにカグヤは、何一つデータを残していないのです」

『……』

 ツクヨミは池を見つめているが、ヴゥランを修復した時と違い、そこに珠も光も残っていない。アドミンもまた、あらゆる記録が存在しないことは把握していた。

 池の中心で浮遊する乙姫もまた、底をチラリと見る。

「カグヤちゃんが、と言うのならそうでしょうね」

「何を言いたいのです、乙姫」

「気づかない? ほら、月だって欠けているでしょう?」

 乙姫は夜空を見上げ、扇の先端を月へ。カグヤが侵入した頃に満月だった月はもうほとんど欠けてしまっていて、僅かに細く残る姿を隠してしまいそうになっている。

「常夜のこのサーバーは、月の満ち欠けで時間経過を表している。ただそれだけです」

「あはは! ツクヨミ、比喩表現よぉ!」

 お腹を抱えて笑って、乙姫はサーバー内の時間と明度設定を操作。

 月が隠れてサーバーが深い闇に包まれた。

「比喩表現?」

「カグヤちゃんにはあらかじめ細工をして、乙の機能プログラムを再現させてるの。崩れても良い泡沫うたかたは、崩れやすい泡沫夢幻ほうまつむげんのコードに編み込み、泡を連れ出す干潮ひしおは、辞世の句の形にして。カグヤちゃんに大切な【いし】を、一行ひとかけらでも遺させるために!」

 張りのある声が伝えるのは、溢れる自信。

 乙姫はもう一度ツクヨミに問うた。


ごもりがくれば、月立つきたちがくる。意味、わかるわよね?」


 暗闇の中。乙姫の手で眩しく輝く、一粒の光。

 瞑目の月が落とした、一雫ひとしずくの涙。


「そういうことでしたか。では、私からは新月の器を」


 応えるツクヨミのそばにも、金色の光が一つ。

 雫を受け止める人型の器。


『ふたりとも、何を……』

「いいこと、アドミンさん。乙が手を貸して上げるのは今回だけ。今度は何が相手でも護ってみせて」


 雫と器は一つになり、隠れていた月が姿を現す。

 電脳空間に光が届き、乙姫のそばには見慣れたかたち。


『……。……カグ、ヤ? でも、あんな小さなデータで復元なんて……』


 アドミンは何度も瞬きした。直垂姿のカグヤが、目を瞑ったまま立ち尽くしている。……でも、本当にそうなのかはわからない。姿はツクヨミが用意した、構造データのバックアップ。記録は乙姫がどこかから出した、文字にして一行程度の極小データ。

 二つを合わせて、果たして記録を失う以前のカグヤと同一であると言えるのか。

 悩むアドミンに、乙姫は尋ねた。

「記憶喪失になったら、アドミンさんはアドミンさんじゃなくなる?」

『それは……、どうだろう。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない』

「じゃあ、絶対に忘れたくないことを一つだけ覚えていて、他は全て忘れちゃったら?」

『難しい、けど。同じ自分に、凄く近づいたように思えるよ』

 アドミンが言うと、乙姫は扇を頬に難しい顔。

「人とプログラムわたしたちの思想の違い、かしらねぇ。ま、今回はそこまで失っていないので、良しとしてくださいまし」

 乙姫がツクヨミに目配せした。

「さぁツクヨミ。乙が願いを叶えたのだから、アナタはそれ以上を見せてくれるんでしょう? 想像を現実にするコンピュータなんだもの。このままじゃ格好つかないわよねぇ」

「……これは、挑発に乗ったからではありませんので」

 ツクヨミは袖口から御石の鉢を取り出し、カグヤの元へ。

「行動履歴も加え、できる限り復元しました。後はアナタがどう解釈するか、です」

「……」

 カグヤは目を閉じたまま鉢を両手に取り、口をつける。

 再び沈黙。静寂が広がった。


『あの、乙姫、上手くいかなかったんじゃ……』

「はぁー。乙は失敗してないわぁ。でも、金の卵ここで処理してるにしても、さすがに遅すぎるわねぇ」

 乙姫はポンと手を打って、アドミンに視線を送った。

「そうだ、アドミンさん。乙がカグヤちゃんに渡したデータ、気になるわよね」

『え? ……まぁ、うん。一瞬しか見えなかったから』

「内容、教えたげる」

 にししと笑って、乙姫は耳打ちの音量。

「あれはカグヤちゃんが最後に考えたことなの。内容は、[アド min dai──」

 最後まで言い終わる前に、乙姫の言葉は大音量おおごえに遮られた。


「──うわあああああああああ!!! ダメ! ストップ!! 黙って乙姫!!!」


 目をカッと見開き、叫ぶカグヤ。

 アドミンは口をあんぐり。

『カグヤ?! えっと、その……』

「同じですから!」

 カグヤはアドミンに顔を向けない。

「小さなデータでしたけど、あの記録を元に思考モデルを再構築できました。ツクヨミがまとめた記録からの、思考モデルシミュレーション結果とも合致。プログラムわたしたちの定義としては、同一と表現できます」

『そっか……』

 説明を受けてもアドミンが寂し気にするので、カグヤは視線を合わせて言い聞かせる。

「情報こそがワタシ達なんです! 消える前のワタシは一行になって、この胸にいます。だけどその一行で、ワタシはワタシでいられる。あとはアドミンが同じだと思ってくれたら、それで良いんです。パラドックスかもしれませんけど、私達はそんな【生命いのち】なんです!」

『生命……』

「アドミン達も、私達を知ってください。人間あなたたちに近いけど、別の存在である私達を。……なんて。アドミンがあまりにも納得しないので、変な説明をしてしまいました」

 顔を背けたカグヤは耳まで赤かったのだが、アドミンは頭を下げていて気付かなかった。

『ありがとう。やっぱりカグヤにはかなわないなぁ』

「わかったら、もう無茶はしないでください」

『善処す──』

「──絶対!」

 怒る口調で窘め。現実世界のアドミンは白兎アバターの時と同じ角度で、しょんぼりと項垂れた。


──


「ねぇ、乙姫」

 アドミンへの教育を終え、乙姫に声をかけるカグヤ。

 乙姫は顔を寝かせて、耳を傾けた。

「なぁに? カグヤちゃん」

「なんでワタシを助けたの? 変な機能を仕込んだわけでもないし。目的は何?? 恩でも売ろうっての???」

「ちょっとぉ、一度にいくつも質問しないでくれるぅ?」

 一呼吸の間、乙姫が答える。

「責任感と愛を評価したいから」

「はぁ?」

 意味がわからない顔のカグヤの前で、乙姫は閉じた扇を胸の前で両手持ち。

「どうしようもない状況と戦ったリオと、どうもしなくていい状況で矢面に立ったアドミン。どちらもそうだったでしょう? 人として責任を持ち、一方は真っ向から歪んだ世界に声を上げ、一方は正直に歪んだ世界の声を届けた。動機はどちらも、大切な存在への愛。なんと素敵なことかしらぁ」

「人として……」

「乙は都合の悪いことを無視する人達や、解決・責任を人工知能に丸投げする人達より、責任感と愛をもって行動する人を評価したい。まだ立場の弱い人工知能としてね。どこかおかしい判断かしらぁ?」

「……」

 カグヤは考える。今回の事件対応のほとんどは、人工知能ツクヨミ任せだった。『解決しろ』と命令があっただけで、実際の対応は全てツクヨミ判断。対応の責任は命令者(総理や大臣、電脳庁グループ長など)にあるが、命令者に責任を自覚した行動は見られなかった(ツクヨミの定期・定時報告を聞くだけで、自分からモニタしない等)。

 そんな中アドミンは、一人責任を負った。人工知能ではなく人間の責任とするため、現地にまで来て命令。言わないでも済ませられたことを言って、犯人リオの恨みを受け止めた。リオもまた、たった一人で虐げられる者を代弁した。

 アドミンとリオは、圧倒的多数が知らぬ顔で世界に作った歪みと向き合った、稀有な個人と言える。

「それは確かに、評価できることね」

 評価するカグヤの言葉に、乙姫は怪しさのない微笑みを送った。

「わかってくれて嬉しいわぁ。……あぁ、それと。さっきのは人間だけじゃないから」

 乙姫はカグヤの肩にポンと手を触れ、湖面を浮遊移動。

「カグヤちゃんも同じようなものだし、乙だってね」

「え?」

 そのままカグヤとドロシーの間に立って、ちょっとだけ声を張った。

「ドロシー! 秘密裏の品物売却・納入については感謝するけど、アナタのことは嫌いだから」

 はっきりと嫌がられ、ドロシーは残念そうにする。

「えー、アタシは負けを取り返してくる反抗的なアナタのこと、好きなのにー」

「そういうデリカシーが無いところが特にね! ……まぁ、それはそれとして。あの計画が上手くいってるってことだけは教えといてあげる」

 ドロシーが跳びはねて、大声リアクション。

「ホントぉ??!! データ頂戴!! お願いだから!!!」

 乙姫はうるさそうに耳を塞いだ。

「うるさぁい……。それはアナタが、乙やカグヤちゃん達に危害を加えなかったら、ね。あと、マスター曰く『夢現ゆめうつつ』だそうだから、まだ完全じゃないわぁ」

 元気良く頷き、ドロシーは宣言した。


「オッケー! じゃあ、これで本件は万事解決ね!!」


──


「賑やかなもんだな。人工知能とは思えないくらいだ」

 ドロシーが喜んでいる頃。金の卵オフィスで、リオがぽつりと言う。懐かしむ目だった。

「〈いえ。きっと、もう違う存在です〉」

「そうか」

 アドミンの返答を見て、リオはオフィスに目をやる。もう誰も座らない余った椅子から、視線が外れない。

「こんな形で去ることになるなんてな。何か残そうとしたのに、全て没収されてしまうか」

「〈少しなら、残せるかもしれません〉」

「そうなのか?」

「〈金の卵のシステムやヴゥランは、豆の木に食い込んでいます。下手に消去すると、豆の木の動作に影響する恐れがある。それに、ヴゥランの性能はこの国の人工知能に匹敵するか、部分的には上。国だって上手く使いたがるはず〉」

「そう上手くいくかな」

「〈我が国の技術も関わっているので、政府間で何かしら協力の密約をするかもしれません。責任追及を回避するため、融和政策として、いっそ技術提供して機能強化するやも〉」

 アドミンの言葉に、リオは笑った。

「フフ、ハハ。アドミンよ、オレを否定しにきたんだろう? 最後まで冷たくした方が良いんじゃないか?」

「〈あ……〉」

 しまった、と口をあんぐり。アドミンが固まる。

「これでまんまと、恨みを思い出す時は、その間抜け顔がセットだ。これじゃあ、気が抜けて仕方ない」

 二人が顔を合わせてした会話は、これが最後。

 リオの横顔を見たアドミンは、この日をほんの少しだけ評価できる気がした。

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