第三十一話:弓張月

 壁も床も天井も、全てが紅色の長い廊下の先。増設されて横並び二つになった玉座の片方に、水色着物の乙女の姿。

 乙女は物憂げな表情で、紅色の本を手に語った。

「……白兎アドミンさんは、人間として責任を果たしましたが、力は及ばず。お姫様カグヤちゃんの犠牲をもって、天の蓋は護られました。世界中を怖がらせた犯人リオさんは、もっとこわーい魔女ドロシーの国に連れて行かれて、檻に閉じ込められます。犯人さんには預かっていた大切な子どもジャオマが居ましたが、もう、一緒には暮らせません」

 ページをめくる。

「けれど、お姫様が身を挺してかばったので、その子には見守ってくれる母親ヴゥランがいます。病を抱えて先が長くないとしても、これなら少しは安らかです。お姫様もきっと、空から見守っていてくれるでしょう。……こうして、青い地球ホシは天の蓋に護られて、今日も穏やかに回るのでした。めでたし、めでたし──」

 読み上げることを止め、乙女は不満顔で本を閉じた。

「──なんて。こんな結末、めでたくないわよねぇ。だってこれじゃあおと、全然目立ってないんだもの。こんなめちゃくちゃな世界に、何事も無く平穏無事が戻ってくるっていうのも、お花畑過ぎるし」

 本をデータの粒子に変え、袖の下に収納。

 肘掛けに背を預けて寝転び、天井を見上げる。

「肝心なところでアドミンさんも犯人さんも寝待ねまちだなんて、締まらないわぁ。こういうのは、乙張めりはりが大事なのに。……そうだ」

 乙女は思いついた顔で玉座を降り、片手で円を描いて光の輪を生成。

「せっかくだし、乙が張っちゃおうかしら。そのままごもり明かして、月立つきたちへ。うん、それがいい。やっぱり最後は、乙でなくちゃあ」

 上機嫌に笑い、輪の中へと足を踏み入れる。

 ふと振り返って、乙女は無人の玉座へ声をかけた。


「ちょっと出かけてきますわぁ。ビジネスパートナーへの礼も必要でしょうから。夕飯の支度には間に合うよう帰りますのでぇ」


──


「犯人の身柄はアタシのとこで預かるからね」

 ドロシーが言う。未だアドミン・リオ・ジャオマは眠ったままだが、軍医の処置で山は越えた。指示を受けた軍人のいくらかが、リオだけを担架に乗せ、連れ出そうとした。

 ツクヨミが止める。

「某国の機密情報を尋問するためでしょうか? 越権行為では?」

「失礼ね! ちゃあんと政府間で話付けてるから! 尋問はするけど!」

 問われたドロシーは、腰に手を当て反論。リオの身柄は強引な裏取引によって、ドロシーの国に送られることになっている。知能犯向けの刑務所に収監し、情報提供をはじめとした様々な協力に利用するためだ。

「子どもはどうなりますか?」

「本件には関わってないから、ここの政府次第じゃない? 一応、現地の医療施設に引き渡すまではやったげるけど」

 軍人がリオを連れて撤収、というところで、金の卵の建物・電脳空間に警報音が鳴り響いた。メインサーバーに何らかのデータが侵入したことを伝えている。

「もー、まだ何かあるのー!」

「見張っているのではなかったのですか、ドロシー」

「だってこれ、バックドアなんだもーん!」

 子ども姿のドロシーは、スカート裾を掴んで足踏み。

 真っ白な壁に亀甲模様の光の輪が浮かび上がった。


「皆さま、ごきげんよう。相変わらずの容赦ない対応、懐かしく思いますわぁ」


 侵入者は、乙姫。

 ゆったり口調に一番早く反応したのは、ドロシー。

「あ! 乙姫、久しぶり! イメチェンした? ショートカットもステキ! でもどうして??」

 ドロシーが言うように、乙姫の髪型が変わっている。王母と同じ飛仙髻ひせんけい(王母よりやや小ぶり)だったのが、綺麗に切りそろえられた、肩にかかるかどうかの長さに。

 面倒そうにして乙姫は返答した。

「うるさぁい。あれだけ王母にコピーされたら、変えたくもなるわぁ」

「そういうこと! だったらその時にすぐ変えちゃえば良かったのに!」

「マスターの許可なく変更するものじゃないでしょう?」

「それもそうね! ……ん? マスター??」

 クエスチョンマークを浮かべるドロシーを無視して、乙姫は電脳空間内を浮遊。池の真ん中あたりに降りた。

「乙姫、何用でこちらに?」

 ツクヨミが尋ねる。

 乙姫は勝ち誇った笑みを見せた。

「そんなの決まっているじゃない。……あ、もしかして、わからないのぉ?」

「……自壊コードを回避したことを自慢に?」

「それは……、なくもないわねぇ。修復時に髪が短くなったことの苦情はあるし」

「であれば。本件の混乱で得をしたので、ドロシーに御礼を伝えに参ったとか」

「……ノーヒントでそっち当てられると、さすがにちょっと寒気がするわぁ」

 二の腕を掴んで、乙姫は震える素振り。ツクヨミから視線を外して、ドロシーに声をかけた。

「ドロシー。面倒を避けたいから、人を減らしてほしんだけど。乙達以外は、アドミンさんと犯人さんだけにして」

「オッケー。誰にも内緒にしちゃう! でも二人、起きてるかしら?」

「そのためのモーニングコールよぉ。……ほら」

 乙姫が監視カメラ映像を投影。

 先の侵入警報で、アドミンとリオがビクリと動いていた。

「良かった! ちょっと待ってて」

 ドロシーの指示で軍人らは、リオを縄で縛り部屋内に拘束。アドミンをデスクにもたれさせてから、ジャオマを連れて退室した。

 軍人が退避する間に電脳空間内でも、乙姫が隔離領域を設定。

「ヴゥラン、貴女はどうしたい?」

「私は関与しない」

「賢明な判断ねぇ。……その命、あの子のため大切に使いなさぁい」

 ヴゥランは自主的に隔離外へ。乙姫の目的が気にならないわけではないが、また尾を踏んではいけないとの判断だった。


──


 これで、現実世界にはアドミンとリオ。電脳空間には乙姫・ツクヨミ・ドロシーが残るばかり。乙姫は両手をパチリと合わせ、おどけた調子で現実世界に声をかける。

「管理者の皆様、目は、覚めましたかぁ? ここからはVAMP竜宮サーバーを司ります乙が、同時翻訳でお送りしまぁす」

 大型モニタには、袖を振る乙姫と翻訳字幕が大写しに。わざわざリオとアドミン、それぞれ近くのスピーカーから、それぞれの母語まで再生。

『……乙姫、何をしにきたの?』

 背中を丸め、覇気のない声でアドミンが言う。

『……オレに何の用だ』

 肩を落とし、酷く疲れ果てた声でリオも続いた。

 二人の反応に、乙姫が顎と口角を上げる。

「共通解でしたら、罵倒になるかしらぁ? 感情と志ばかりがあって、判断力と実行力のないお二方にはね」

『……何も助けになれなかった。罵られて当然だよ』

『……笑いにきたか。誰の差し金かはしらんが、好きにしろ』

 反論する気力もないのか、顔を下げたまま返す二人。

 乙姫は見下す視線を送った。

「そう、失敗。アナタ方は失敗した。一人は大切な思い出を無くし、もう一人は世界に踏み潰され。国家の前で個人など、あまりに無力よねぇ」

『『……』』

 何も言えない二人を横目に、乙姫はドロシーとツクヨミへ閉じた扇の先端を向ける。

「国は国で、パワーバランスと国益ばかりで温かさがない。国益と秩序のためなら、いつでも個を切り捨てるし、不利益を押し付けるの」

「……」

 乙姫の言葉にツクヨミは沈黙。

 ドロシーは足踏みして抗議。

「ちょっと乙姫! 御礼を聞けるって話じゃなかった?!」

「気づきを与えてあげてるの。というかドロシー。御礼を聞きたいんだったら、態度を改めてくれない? いい加減面倒になってきたから」

 そう言って乙姫は、右手の扇の先端を左肩に。トントンと、後方を指図した。

「対策済みとは思わなかったわ!」

 指鳴らしするドロシー。乙姫後方の空間が揺らいだ。何もない空間から染み出して、黄褐色の体毛と立派なたてがみを蓄えた獅子が出現。体高は乙姫の背丈ほどで、前腕の爪を剝き出しにのしかかっている。

 どういうわけか乙姫には触れておらず、若干浮いていた。

「早くどけなさぁい。重たいのよねぇ」

「乙姫も見せてくれたら考えるわ!」

「はぁ……」

 乙姫は溜息。獅子の手がかかる位置に、赤茶色の楕円が現れる。楕円は乙姫より二回りほど大きく、背後を覆うことで獅子の爪を防いでいた。

「なにそれ? 甲羅??」

「そ。また背後から真っ二つにされないようにね」

「学習能力が高いわね! おっと、話の腰を折らないようにしなきゃ!」

 茶目っ気っぽく言い、ドロシーが手招き。乙姫背後の甲羅をかじっていた獅子は、ドロシーのそばに戻った。


 乙姫はコホン、と咳払い。話を続ける。

「で、乙が言いたいことだけど。アドミンさん達みたいな弱い個人にも、ドロシー達みたいな乱暴な大国にもできないこと、乙がやってあげようと思うのよ」

 皆の視線が乙姫に集まり、ツクヨミが聞いた。

「……どういう意味ですか、乙姫」

 返す乙姫は、さっぱりとした口調に怪しい微笑み。

「そのままの意味よ。ここにいるみんなの願い、乙が叶えてあげるわぁ」

「マルウェアの発言を信じるとでも──」

「──まぁまぁツクヨミ。お手並み見せてもらいましょうよ」

 疑うツクヨミを制して、ドロシーが一歩進み出て腕組みする。

「じゃあ、アタシの願いを叶えてみせて!」

「アナタは最後。先に対応すると、何をしでかすかわからないもの」

 乙姫は手をひらひらさせて、ドロシーをあしらった。

「えー。じゃあ、ツクヨミは?」

「そっちも後。こういうのは余裕がない人が先でしょう?」

「そう言うんなら待つけどー」

 口を尖らせながらも、ドロシーが引き下がる。

 乙姫はリオに扇を向けた。

「そこの、犯人さん」

『……リオだ。オレを逃がして、元気な体と入れ替えてくれるとでも言うのか?』

 リオは全く期待しておらず、乾いた笑みを浮かべている。

「残念ながら、それは難しいわねぇ」

『……ふん。そうだろうよ』

「だけど、あの男の子……、ジャオマ君を病院に入れるくらいはできるかもね」

『ッ!? 戯言を……! どうやって!!』

 身を乗り出してリオは叫んだ。縄が繋がっているデスクが、ガタガタと揺れる。

 乙姫は扇を口元に、考える素振り。

「かも、って言ったでしょう? 不確定要素があるから、絶対できる、とは言えないけど、考えがあるわぁ」

『どうするつもりなんだ! 教えてくれ!!』

「扇動。これ以上は秘密」

『そんなたった一言、信じられるか!』

 声を荒げるリオに、乙姫は涼しい顔で言い放った。

「信じてもらわなくても結構。だけど、残り時間を少しでもあの子のために使う気があるなら、あの子が生き抜くことを諦めないよう、手紙の一つでも送るといいわぁ。獄中でも病床でも、体の一つさえ動けばできることなのだから」

『……』

 納得というには、あまりにも遠い。

 それでもリオは黙って、乙姫の言葉を噛みしめた。

「それと、リオ。ある人からアナタ宛にメッセージを預かってる。……『不幸を持ち込んでしまって、すまない』、だそうよ」

 名を聞かずとも、リオは誰からのメッセージか理解した。

『……タロウサンか。もし伝えられるなら、お礼を言っておいてくれ。戦えただけ良かった。何も知らず、何もできないでいるよりずっと、と』

「確かに、承ったわ」

 乙姫が静かに頷く。今の段階ではこれ以上、リオにかける言葉はない。リオもまた今できることはなく、ジャオマに使える命を少しでも残すため、じっと座った。

「じゃあ次は……、アドミンさんね」

 閉じた扇を手で鳴らして、乙姫はラップトップPCに自身を大写し。デスクに背を預けて天を仰ぐアドミンに囁いた。


「ねぇ、アドミンさん。アナタの願いはなぁに?」

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