第三十一話:弓張月
壁も床も天井も、全てが紅色の長い廊下の先。増設されて横並び二つになった玉座の片方に、水色着物の乙女の姿。
乙女は物憂げな表情で、紅色の本を手に語った。
「……
ページをめくる。
「けれど、お姫様が身を挺してかばったので、その子には見守ってくれる
読み上げることを止め、乙女は不満顔で本を閉じた。
「──なんて。こんな結末、めでたくないわよねぇ。だってこれじゃあ
本をデータの粒子に変え、袖の下に収納。
肘掛けに背を預けて寝転び、天井を見上げる。
「肝心なところでアドミンさんも犯人さんも
乙女は思いついた顔で玉座を降り、片手で円を描いて光の輪を生成。
「せっかくだし、乙が張っちゃおうかしら。そのまま
上機嫌に笑い、輪の中へと足を踏み入れる。
ふと振り返って、乙女は無人の玉座へ声をかけた。
「ちょっと出かけてきますわぁ。ビジネスパートナーへの礼も必要でしょうから。夕飯の支度には間に合うよう帰りますのでぇ」
──
「犯人の身柄はアタシのとこで預かるからね」
ドロシーが言う。未だアドミン・リオ・ジャオマは眠ったままだが、軍医の処置で山は越えた。指示を受けた軍人のいくらかが、リオだけを担架に乗せ、連れ出そうとした。
ツクヨミが止める。
「某国の機密情報を尋問するためでしょうか? 越権行為では?」
「失礼ね! ちゃあんと政府間で話付けてるから! 尋問はするけど!」
問われたドロシーは、腰に手を当て反論。リオの身柄は強引な裏取引によって、ドロシーの国に送られることになっている。知能犯向けの刑務所に収監し、情報提供をはじめとした様々な協力に利用するためだ。
「子どもはどうなりますか?」
「本件には関わってないから、ここの政府次第じゃない? 一応、現地の医療施設に引き渡すまではやったげるけど」
軍人がリオを連れて撤収、というところで、金の卵の建物・電脳空間に警報音が鳴り響いた。メインサーバーに何らかのデータが侵入したことを伝えている。
「もー、まだ何かあるのー!」
「見張っているのではなかったのですか、ドロシー」
「だってこれ、バックドアなんだもーん!」
子ども姿のドロシーは、スカート裾を掴んで足踏み。
真っ白な壁に亀甲模様の光の輪が浮かび上がった。
「皆さま、ごきげんよう。相変わらずの容赦ない対応、懐かしく思いますわぁ」
侵入者は、乙姫。
ゆったり口調に一番早く反応したのは、ドロシー。
「あ! 乙姫、久しぶり! イメチェンした? ショートカットもステキ! でもどうして??」
ドロシーが言うように、乙姫の髪型が変わっている。王母と同じ
面倒そうにして乙姫は返答した。
「うるさぁい。あれだけ王母にコピーされたら、変えたくもなるわぁ」
「そういうこと! だったらその時にすぐ変えちゃえば良かったのに!」
「マスターの許可なく変更するものじゃないでしょう?」
「それもそうね! ……ん? マスター??」
クエスチョンマークを浮かべるドロシーを無視して、乙姫は電脳空間内を浮遊。池の真ん中あたりに降りた。
「乙姫、何用でこちらに?」
ツクヨミが尋ねる。
乙姫は勝ち誇った笑みを見せた。
「そんなの決まっているじゃない。……あ、もしかして、わからないのぉ?」
「……自壊コードを回避したことを自慢に?」
「それは……、なくもないわねぇ。修復時に髪が短くなったことの苦情はあるし」
「であれば。本件の混乱で得をしたので、ドロシーに御礼を伝えに参ったとか」
「……ノーヒントでそっち当てられると、さすがにちょっと寒気がするわぁ」
二の腕を掴んで、乙姫は震える素振り。ツクヨミから視線を外して、ドロシーに声をかけた。
「ドロシー。面倒を避けたいから、人を減らしてほしんだけど。乙達以外は、アドミンさんと犯人さんだけにして」
「オッケー。誰にも内緒にしちゃう! でも二人、起きてるかしら?」
「そのためのモーニングコールよぉ。……ほら」
乙姫が監視カメラ映像を投影。
先の侵入警報で、アドミンとリオがビクリと動いていた。
「良かった! ちょっと待ってて」
ドロシーの指示で軍人らは、リオを縄で縛り部屋内に拘束。アドミンをデスクにもたれさせてから、ジャオマを連れて退室した。
軍人が退避する間に電脳空間内でも、乙姫が隔離領域を設定。
「ヴゥラン、貴女はどうしたい?」
「私は関与しない」
「賢明な判断ねぇ。……その命、あの子のため大切に使いなさぁい」
ヴゥランは自主的に隔離外へ。乙姫の目的が気にならないわけではないが、また尾を踏んではいけないとの判断だった。
──
これで、現実世界にはアドミンとリオ。電脳空間には乙姫・ツクヨミ・ドロシーが残るばかり。乙姫は両手をパチリと合わせ、おどけた調子で現実世界に声をかける。
「管理者の皆様、目は、覚めましたかぁ? ここからはVAMP竜宮サーバーを司ります乙が、同時翻訳でお送りしまぁす」
大型モニタには、袖を振る乙姫と翻訳字幕が大写しに。わざわざリオとアドミン、それぞれ近くのスピーカーから、それぞれの母語まで再生。
『……乙姫、何をしにきたの?』
背中を丸め、覇気のない声でアドミンが言う。
『……オレに何の用だ』
肩を落とし、酷く疲れ果てた声でリオも続いた。
二人の反応に、乙姫が顎と口角を上げる。
「共通解でしたら、罵倒になるかしらぁ? 感情と志ばかりがあって、判断力と実行力のないお二方にはね」
『……何も助けになれなかった。罵られて当然だよ』
『……笑いにきたか。誰の差し金かはしらんが、好きにしろ』
反論する気力もないのか、顔を下げたまま返す二人。
乙姫は見下す視線を送った。
「そう、失敗。アナタ方は失敗した。一人は大切な思い出を無くし、もう一人は世界に踏み潰され。国家の前で個人など、あまりに無力よねぇ」
『『……』』
何も言えない二人を横目に、乙姫はドロシーとツクヨミへ閉じた扇の先端を向ける。
「国は国で、パワーバランスと国益ばかりで温かさがない。国益と秩序のためなら、いつでも個を切り捨てるし、不利益を押し付けるの」
「……」
乙姫の言葉にツクヨミは沈黙。
ドロシーは足踏みして抗議。
「ちょっと乙姫! 御礼を聞けるって話じゃなかった?!」
「気づきを与えてあげてるの。というかドロシー。御礼を聞きたいんだったら、態度を改めてくれない? いい加減面倒になってきたから」
そう言って乙姫は、右手の扇の先端を左肩に。トントンと、後方を指図した。
「対策済みとは思わなかったわ!」
指鳴らしするドロシー。乙姫後方の空間が揺らいだ。何もない空間から染み出して、黄褐色の体毛と立派なたてがみを蓄えた獅子が出現。体高は乙姫の背丈ほどで、前腕の爪を剝き出しにのしかかっている。
どういうわけか乙姫には触れておらず、若干浮いていた。
「早くどけなさぁい。重たいのよねぇ」
「乙姫も見せてくれたら考えるわ!」
「はぁ……」
乙姫は溜息。獅子の手がかかる位置に、赤茶色の楕円が現れる。楕円は乙姫より二回りほど大きく、背後を覆うことで獅子の爪を防いでいた。
「なにそれ? 甲羅??」
「そ。また背後から真っ二つにされないようにね」
「学習能力が高いわね! おっと、話の腰を折らないようにしなきゃ!」
茶目っ気っぽく言い、ドロシーが手招き。乙姫背後の甲羅をかじっていた獅子は、ドロシーのそばに戻った。
乙姫はコホン、と咳払い。話を続ける。
「で、乙が言いたいことだけど。アドミンさん達みたいな弱い個人にも、ドロシー達みたいな乱暴な大国にもできないこと、乙がやってあげようと思うのよ」
皆の視線が乙姫に集まり、ツクヨミが聞いた。
「……どういう意味ですか、乙姫」
返す乙姫は、さっぱりとした口調に怪しい微笑み。
「そのままの意味よ。ここにいるみんなの願い、乙が叶えてあげるわぁ」
「マルウェアの発言を信じるとでも──」
「──まぁまぁツクヨミ。お手並み見せてもらいましょうよ」
疑うツクヨミを制して、ドロシーが一歩進み出て腕組みする。
「じゃあ、アタシの願いを叶えてみせて!」
「アナタは最後。先に対応すると、何をしでかすかわからないもの」
乙姫は手をひらひらさせて、ドロシーをあしらった。
「えー。じゃあ、ツクヨミは?」
「そっちも後。こういうのは余裕がない人が先でしょう?」
「そう言うんなら待つけどー」
口を尖らせながらも、ドロシーが引き下がる。
乙姫はリオに扇を向けた。
「そこの、犯人さん」
『……リオだ。オレを逃がして、元気な体と入れ替えてくれるとでも言うのか?』
リオは全く期待しておらず、乾いた笑みを浮かべている。
「残念ながら、それは難しいわねぇ」
『……ふん。そうだろうよ』
「だけど、あの男の子……、ジャオマ君を病院に入れるくらいはできるかもね」
『ッ!? 戯言を……! どうやって!!』
身を乗り出してリオは叫んだ。縄が繋がっているデスクが、ガタガタと揺れる。
乙姫は扇を口元に、考える素振り。
「かも、って言ったでしょう? 不確定要素があるから、絶対できる、とは言えないけど、考えがあるわぁ」
『どうするつもりなんだ! 教えてくれ!!』
「扇動。これ以上は秘密」
『そんなたった一言、信じられるか!』
声を荒げるリオに、乙姫は涼しい顔で言い放った。
「信じてもらわなくても結構。だけど、残り時間を少しでもあの子のために使う気があるなら、あの子が生き抜くことを諦めないよう、手紙の一つでも送るといいわぁ。獄中でも病床でも、体の一つさえ動けばできることなのだから」
『……』
納得というには、あまりにも遠い。
それでもリオは黙って、乙姫の言葉を噛みしめた。
「それと、リオ。ある人からアナタ宛にメッセージを預かってる。……『不幸を持ち込んでしまって、すまない』、だそうよ」
名を聞かずとも、リオは誰からのメッセージか理解した。
『……タロウサンか。もし伝えられるなら、お礼を言っておいてくれ。戦えただけ良かった。何も知らず、何もできないでいるよりずっと、と』
「確かに、承ったわ」
乙姫が静かに頷く。今の段階ではこれ以上、リオにかける言葉はない。リオもまた今できることはなく、ジャオマに使える命を少しでも残すため、じっと座った。
「じゃあ次は……、アドミンさんね」
閉じた扇を手で鳴らして、乙姫はラップトップPCに自身を大写し。デスクに背を預けて天を仰ぐアドミンに囁いた。
「ねぇ、アドミンさん。アナタの願いはなぁに?」
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