第二十九話:十六夜月

「あら、もうお終い? 何がしたかったのやら」

 王母が言う。前のめりに倒れた、カグヤだったデータの塊を見下ろして。九龍で噛み砕けば一瞬で消去できたが、ハラキリが愉快(カグヤの弱体化は評価できること)だったので、しばらく放置していた。

 いよいよ動かなくなったところで、ようやく黒龍を操作。ガワまで消えてしまって【やった】記録が分かりづらくなる前に、消去する。

 九体の龍が顎を大きく開けた。

「かじっちゃいなさい」

 龍が咆哮。一体目が上半身に喰らいつき、残りが下半身、千切れた手足と続いた。

「……はぁ。本当に価値のないデータになってる。ツマラナイ」

 消去前にデータをチラ見して溜息。カグヤが言っていた通り、機密保護処理されたデータは、コピーにも研究にも使えない状態だった。

 龍を引き上げ、王母は隔離領域を解除。パラパラとデータの破片が零れる。

「まぁ、いっか。機密は全部消去できたし。あとは管理者と賊を脅して──」

 施設の監視カメラデータを確認。王母は高笑いした。

「──アハハ、無様ね。なんかカワイソウになってきちゃった」

 金の卵オフィスに転がる、身動きしない二つの人影。デスク陰のラップトップPCの隣に横たわっているのが管理者アドミンで、少し離れて突っ伏しているのがリオ。映像を遡ると、賊は管理者の腹部を拳銃で撃った後、近寄ろうとして力尽きた様子。

 王母はひとしきり笑った後、九龍を背後に集めた。

「こんなところ、全部壊しましょう。ハードを恵んでもらった恩を忘れて手を噛んだ野良犬には、教育が必要だもの。【九龍・貫流万波かんりゅうばんぱ】!」

 アドミンやカグヤの要請などまるで無視し、サーバー内全てを破壊すべく攻撃を指示。黒龍が大きく息を吸う。

 その時、龍の一体が地に落ちた。

「ちょっと、何やって──」

 地面で激しくのたうち、龍の腹部が風船のように膨らんでいく。

「──っ! ファイル爆弾っ!」

 検知するも、時すでに遅し。龍の体は数十倍にも膨張し破裂。溢れたデータはサーバーを埋め尽くして、キラキラと輝いた。

「ぐっ……重っ……ったい……!」

 王母は指一つ動かせなくなった。ファイル爆弾でサーバーが圧迫されたことに加え、王母自身の高負荷大容量さが仇に。動作が不安定になった瞬間、隔離領域に何者かがアクセスしてきたが、何一つ対応できない。灰色の壁が砕ける。

 侵入者が放ったのは、攻撃ではなく警告だった。


「王母。アナタの行為は自衛の範疇を越えています。攻撃を即時停止し、当サーバーから切断してください」


 十二単と半透明の披はくを靡かせるツクヨミ。

 小柄な影も続いた。


「やっっっと入れた! Hey、王母! 勝手し過ぎよ!!」


 ギンガムチェックのスカートと栗毛を風に揺らして、ドロシーが仁王立ち。ふたりがファイル爆弾の中で動作できるのは、ツクヨミは羽衣による圧縮、ドロシーは原作準拠こどもスタイルの軽量化で、サーバーへの負荷を抑えているから。

 王母はなんとか首を動かして、歪めた表情をツクヨミ達に向けた。

「朕に指図するなんて、弱竹みたいになりたいの?」

「私とドロシーは、現地警察・軍との協力を取り付けています。ですがアナタはそうではない」

 煽られながらも、ツクヨミは表情一つ変えない。そしてチラリとドロシーに目配せ。

 ドロシーはパチリとウインクを返して、片手で空を指差した。

「王母、あれ見て!」

「朕に指図をするなと──」

 王母の視線が夜空へ。

 投影されている映像が天蓋の宙域モニタに変わる。

「──なっ」

「どう? 天蓋二号サンシールド! バッチリ成功してるでしょ??」

 宇宙に浮かぶ赤い光点を、ドロシーは胸を張って自慢。光点を見つけた王母の瞳が、激しく揺らいだ。

 眉間に皺を寄せた険しい表情で、王母はドロシーを睨み付ける。

「一体いつ……、いや、どこまでが計算か!」

「計算なんて。全部行き当たりばったりよ」

「くっ……!」

 打ち上げに成功したこともそうだが、関わる全ての情報を王母は掴んでいなかった。常時監視している軌道エレベータに動きはなかったため、打ち上げは恐らくロケット。わかるのはそれだけ。

 天蓋二号の建設はいつの間に? なぜ、エレベータではなくロケットを? 監視用軍事衛星も無力化されたのか? 疑問が渦巻く。

 そして何より、これで再び地球全土が使えるようになったことが大問題だった。間違いなく、世界秩序が変わる。こんな小事に構ってはいられない。

「……再见ザイジィェン

 それだけ言って、王母はツクヨミ達に背を向け、光の輪を生成。さっさと飛び込んで消えた。


──


 王母の反応が消えて数秒後。

 ドロシーが手足を伸ばして、空中に倒れ込む。

「はー、疲れたー。これでいいわよね? 何をどうするつもりなの?」

 顔だけでツクヨミを見て問いかけ。

 ツクヨミはわずかに思考、口を開いた。

「ありがとうございました、ドロシー。……ここからは機密とします。いいですね?」

「了解。誰もこないよう見張ってるから、安心して! あ、でもその前に、ファイル片付けてくれない? 重くってしょうがないわ!」

 ドロシーはゆっくり体を起こして、サムズアップ。

 その間にツクヨミは、袖から黒い椀を出した。

「【御石の鉢】起動」

 電脳空間中で光るキラキラが、渦巻いて椀へと吸い込まれていく。十秒とかからず、サーバーを埋め尽くしていたデータの回収は完了。

 仕事を終えた椀を、ツクヨミは袖に収納した。

「ありがとう、ツクヨミ。体が軽くなったわ! ……それ、脱がないの?」

 披はくを指差して、ドロシーは首傾げ。

 目を合わせずに、ツクヨミは返した。

「これがなければ、私は抑えが利きません」

「あぁ、そういう。カグヤちゃんのこと、残念だものね」

 羽衣は思考モデルの機能を制限するが、今のツクヨミには都合が良かった。制限でもしていなければ、カグヤを失ったことに耐えられず、あらぬ判断をする可能性があるからだ。

 先も、羽衣を使っていなければ【たかが作戦用の子機プログラム】のために、王母に報復していたかもしれない。

「……」

 黙ったままツクヨミは降下。池の浅瀬に立った。

「何かあるの?」

 ドロシーも浮遊したまま追従。池の底を見つめるツクヨミを、興味深そうに眺める。

「はい。カグヤが護りたかったものが、ここに」

「? 何のデータも見つからないけど」

「……【子安貝】起動」

 両手を皿にして、ツクヨミはプログラムを起動。

 光が起こって、掌に楕円形でぷっくりとした、白や茶色の貝がいくつも生成された。

「何それ?」

「開発・修復用プログラムです」

 手を離して、貝を池へ。バシャバシャと水が跳ねる。

「ここでカグヤを作るの?」

「……いえ。カグヤはこの機能を隠す囮になりました」

 頭にクエスチョンマークを浮かべるドロシー。

 水中では貝が輝き、池は眩い光を湛えていた。

「さっきの貝がデータを集めてる?」

「はい。子安貝は、特定の状態のデータを収集・変換することができます」

「うーん。何回見ても、アタシには何も検知できないわ」

 じっと目を細めた後、ドロシーは両掌を上に肩をすくめた。

「それこそが目的です。【露珠つゆだま】は護りたいデータを護る際、あえて消去することで隠します。子安貝以外では、検知も復元もできない形式で」

 ツクヨミの視線の先には、光る小さな珠。

 ドロシーは何も見えないながらも、顎に手を当て思考。事情を察して話した。

「それで、カグヤは自分に使わなかったのね。露珠で護ったデータは一度消去しただけだから、サーバーそのものを破壊されたり、執拗に上書きされたりすると、子安貝でも修復できない。怪しまれることをしたら、王母暴れたでしょうから」

 コクリと、ツクヨミが頷く。

「ええ。その通りです。アドミンは大技でサーバー内データをかき回して、その上でカグヤ自身にも露珠を使って隠匿。後に望みを残すつもりでした。ですがカグヤは、不十分として拒否。囮となり、ファイル爆弾を起動する判断をしました」

「アタシ達を呼び込まないと王母はやってたでしょうし、良い判断だと思うわ」

 ドロシーはどこへともなくサムズアップした。

「そろそろ、でしょうか」

 池に浮かぶツクヨミの衣が、僅かに靡く。水が少しずつ渦を作り始めた。底に転がっていた珠は子安貝に取り込まれたらしく、もう形が無い。

「ねぇ、ツクヨミ。そこまでしてカグヤが護ったデータってなに? もしかして、王母が盗まれた機密だったり?」

 渦の中心に気配を感じて、ドロシーが目を輝かせる。

「それは──」

 ツクヨミもまた渦の中心を見て、答えようとした。

 その時。


『おねえさん達、だれ?』


 欠け始めた月の隣に浮かぶ、光の窓。子どもの声が電脳空間に聞こえてきた。

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