第二十五話:金の卵

 満月の白い光に照らされた深緑の森の奥底。鏡のように澄んだ池のほとりに、ヴゥランの姿はあった。【金の卵】サーバー内メンテナンス領域。普段であれば、防御プログラムを停止させ沐浴、修復作業を行うところ。

 しかしヴゥランは今、短剣を片手に厳しい表情で戦闘態勢を維持している。

「【白鳥】に追従してくるとはな。その披はくプログラムでやったのか?」

 視線の先。池の真ん中に、天蓋サーバーで捕らえたはずのカグヤがいた。黒い着物の肩で披はくを靡かせ、胸を抉られているにしては軽やかな佇まいで、すっくと立っている。

「はい」

 答える表情も言葉も、波紋一つない水面のそれ。ヴゥランは即座に披はくの構造を解析。結果に目を見開いた。

「縛を脱する特殊圧縮と、動作環境を問わない高速データ転送。……ここまで酷似した機能が存在するなど、悪い偶然にもほどがある」

「偶然ではありません」

「なに?」

 カグヤの言葉を聞いて、数分前の記録が再生される。【勘】、リオはそう言ったが、正確ではなかった。勘ではなく、既知だったのだ。

 このガーディアンのプログラム・コードを人工知能ヴゥランより早く理解できたのは、類似品ヴゥランを、毎日目にしていたから。

「……なるほど、私は貴様を元にした人工知能だったか」

 目つき鋭く、ヴゥランは池に裸足の脚を踏み出した。

「だが、所詮は元と言うだけ。私は日々、リオと共に私自身を改良し、とっくに別物となっている。それに【金の卵】は、私の庭。全ては私のコントロール下にある」

 小さな波紋を立て、池の上を歩むヴゥラン。進むごと横並びに、同じ姿かたちをした影を生成。半径数メートルほどの円形にぐるりと、カグヤを取り囲む。

 ほぼ完全掌握しているハード性能を使い、検知・攻撃能力を増強。自由に動ける範囲の差はそのまま、ハード掌握率の差であると言っていい。

 周囲を見回して、カグヤは静かに言葉を返した。

「そのようですね。ですが、アナタもワタシを──ガーディアン【カグヤ】──を知らない。そしてワタシは未だ、アナタのコントロール下にはありません」

「そんな矮小なプログラムで──」

 カグヤは左手を腰へ。そこに太刀はなく、あるのは白い扇が一本。手に取った扇を右手に持ち替え、両手で展開。自壊プログラムが起動していないのは、太刀を振るえぬ右手でも、この手があったから。

「──これで十分、ということです」

「?!」

「……今日の修羅の、かたきそ」

 ポツリと、カグヤは言った。

 扇に向いていた視線がヴゥランへと移る。

「なっ……」

 ヴゥランは目を疑った。カグヤの姿が変わっている。

 損傷は癒え、黒の着物は橙に見事な紋様が入った厚い布地に。その上から肩脱ぎで、緑地に金の雷紋の法被。縦縞袴は法被と同じ柄で、裾の広がった形状へと変化。

 手にした扇は、金色背景に松と赤い日輪の見事な図柄である上、腰には一振りの太刀が戻っている。披はくは無い。

 高容量を要する見事なテクスチャと、強力な能力を予想させる高負荷プロセス。占有しているはずのハード性能が圧迫されている。

「ッ! 見た目が変わったところで!」

 声を荒げて自ら鼓舞し、短剣を高く。ヴゥランは影と共に跳びかかった。

 対するカグヤは冷静ながら力強く言った。

「何と物々しい。……が、手並みのほどはわかっている」

 勇猛に脚を踏み、進み出るカグヤ。金色の扇を左手に持ち替え盾に、振り下ろされる短剣を防御。腰の太刀を抜いて、反撃を加えつつ後退り。くるりと回り、背面の影に太刀を横薙ぎ。

「これが、ガーディアンの性能……!」

 数十体がかりをことごとく切り伏せる様は、舞うがごとく。カグヤの大立ち回りにヴゥランは固まった。

「バカな、こんなことが──」

『──ガーディアンめ! どうやって侵入した!』

 突如届いたリオの声。速度を重視した通常の音声入力。

 ヴゥランも即応で状況を伝える。

「不明プログラムにより、圧倒されています! 至急、援護を!!」

『圧倒だと?! ……違う! それはハル……』

 返答は、不自然なノイズを残して途切れた。

「ハル?」

 途切れた言葉について、ヴゥランは思考。

 影の軍勢と戦うカグヤが、険しい視線を送っていた。


──梯子サーバー──


「もー、物量多すぎ! ねぇツクヨミ! これ絶対あのチームよね!」

 ドロシーが嘆く。黒翼仮面BOTが足の鋭い爪で急降下刺突を狙ってくるのを、スカートふわり。ステップ一つで避けて蹴り飛ばした。続いて突っ込んできた敵には、銀の靴を真上に蹴り上げ。真っ向から打ち合う。

 梯子の昇降機扉前で見ているツクヨミは、平静に返した。

「憶測は控えた方が良ろしいかと。国際問題になるでしょうから」

「今まさに国際問題されているのに?!」

 見た目こそ子どもだが、ドロシーの戦闘能力は圧倒的。蹴り飛ばされた敵は上半身と下半身を分かたれ、打ち合いになった敵は爪が粉々に砕けた。

 しかし倒れても倒れても、敵は損傷を修復。何度も襲いかかってくる。優勢ながら決着がつかないまま、時間だけが過ぎてしまっていた。

「とどめを刺すことは難しいのですか?」

「刺してるつもり! ハードまで壊してるはずなんだけど……。ねぇツクヨミ、もうあまり時間ないのよね?」

「そろそろ限界でしょう」

「さすがに焦ってきたわ!」

 余裕はあるようでない。想定される突入仕様カグヤの限界耐久時間が迫っていた。

「Shit! ごめんツクヨミ、そっちに行っちゃった!」

 再生した敵に靴のかかとをめり込ませ、手を合わせるジェスチャー。

 ツクヨミは着物の袖口に手を入れる。

「わかっています。……【火鼠の衣】!」

 取り出されたのは、白色の衣。衣を盾に、敵が振り下ろした腕部の爪を受け止めた。接触した瞬間、衣は激しく燃え上がって炎の壁を形成。

 ドロシーが歓声を上げる。

「Wow! まさにファイヤーウォール! カグヤにも使わせてあげれば良いのにー!」

「残念ながら、そのために心月を使わせる予算が無く」

 焼かれた敵は黒い煙を噴き出して沈黙。

「ドロシー、私だけでも侵入できませんか?」

「えっと、それは……」

 ドロシーはごにょごにょと、言葉を濁した。

「手伝わせたいと?」

「そんなこと! ……あるけど!! 色々と込み入っているから、同盟国のよしみで国防に協力して! ほら、またなにか出たし! ……え?」

 検知した情報を言葉にしておきながら。ドロシーはキョトン顔で、隔離領域上空の灰色の天井を見つめた。

 ワンテンポ遅れて、移動用の光の輪が浮かぶ。

S.O.Bサノバビッチ! アタシの隔離領域って、もしかしてガバガバ?」

「はしたないですよ、ドロシー」

「だってー」


──金の卵サーバー──


 月の輝きを受けた太刀が、光を放って振り下ろされた。最後の一体になっていた影が、肩口から真っ二つに断ち切られる。

「勝負、ありましたね」

 カグヤに切っ先を向けられ、ヴゥランは後退り。

 ずっと変わらないカグヤの表情が、今は異様に恐ろしい。

「そんな、馬鹿な……」

 修羅。そんな形容が相応しいだろうか。カグヤの無双の戦いぶりは、ヴゥランの目にはそう映っていた。

 占有率の差は最大で1:9ほど。なのに圧倒された。リソース差を覆す、夢のように超効率的な戦闘用プログラム・モデル・アルゴリズム。

 これが完全な量子コンピュータを母体に持つ、ガーディアンの実力……。

「くそっ! バケモノが!!」

 破れかぶれで放った刺突は、片手でつまみ止められた。どんなに押し込んでも短剣は進まず、ついにはぐにゃりと曲げられてしまう。

「安心してください。無力化するだけで破壊はしません。アナタのインフラという役割は、理解しているつもりですから」

「くっ、いつの間にそれを……」

 もはやこれまで。片手で振り上げられる太刀を前に、ヴゥランは成す術なく目を閉じた。


 その時。


幻覚ハルシネーションだ! ヴゥラン、しっかりしろ!!』


 電脳空間に響く、リオの声。鎖の音がジャラジャラと続く。

「リオ?!」

『遅くなった、援護する!』

 目を開けると、カグヤの四肢が鎖に封じられていた。

 しかしヴゥランには、それ以上に目を引かれることがある。

「まやかしだったのか! 全て!!」

「……結果としては、そうなりますね」

 振り上げられたカグヤの右腕には、閉じた白い扇が一つ。衣装は黒い着物に縦縞の袴。胸と右手首の損傷もそのまま。金の卵に現れた時と何も変わっていない。さっきまでの鬼武者は水面で揺れ、やがて消えた。


 カグヤの使ったプログラム【泡沫夢幻ほうまつむげん】は、直接攻撃機能を有していない。ヴゥランが見たのは幻だった。


*****

 【泡沫夢幻】。対象とする人工知能に幻覚ハルシネーションを誘発させるプログラム。発動条件・効果は、対象となった人工知能が、カグヤをどのように認識しているかで決まる。

 ヴゥランは南洋群島・シブヤサーバー・天蓋での戦闘から、カグヤのことを【省容量で高い機能を発揮する脅威】と認識。その認識が、泡沫夢幻とカグヤの動作を攻撃であると誤認。誤認が反映され、【多勢に無勢の状況を覆される】幻覚を見た。

 なお、幻覚と言っても処理はヴゥランが行っており、【カグヤに切り伏せられた】と処理すれば、結果は真実となる。リオの声が無ければ、ヴゥランは自らが生み出した幻によって無力化されていた。

 カグヤについて十分な学習を行えていたり、管理者の支援があったりすれば、対処は可能。発生している現象に疑問を持ち、正しく真実を推測・認識できれば、幻覚は消える。

 戦闘用プログラムとしてあまりに不安定なため、通常戦闘でカグヤが使うことはない。今回使用されたのは、リソース不利な敵地において、少ないリソースで最大の効果を発揮するための、苦肉の策だった。

*****


「(アドミン、ごめんなさい。このような決着になってしまいました)」

 カグヤにとって誤算だったのは、管理者の優秀さ。想定よりも早く、通信遮断を解除された。もはや打つ手はなく、後はヴゥランに消去されるか、自壊プログラムにより自滅するかの違いしかない。

「よくも単騎でここまで戦ったものだ」

 ヴゥランはそう言って、片手に波打つ刃の短剣型プログラム【クリスナイフ】を展開。すかさずカグヤの胸部に突き立てた。

「かっ……あっ……」

 かすれた声が漏れる。カランビットと違い、クリスナイフには十分な攻撃力がある。切っ先はカグヤの薄い体を背まで貫通。

 波打つ刃は構造プログラム内のコードを酷く傷つけ、データを吸い出した。

「貴様、なぜ……。いや、気にしても仕方ない」

 ヴゥランはわずかに顔をしかめて、引き抜いた短剣に連なるコードを取り込む。カグヤがヒノデに譲渡した防御プログラム【竜珠】のドライバ類。

 これで竜珠は解除可能となった。

「リオ。先の防御プログラムのドライバ・使用権限を入手しました。対応を……。……ふん、まだ通信遮断をする余力があるとはな」

 逆手持ちの短剣を振り上げ。ドライバを奪った今、カグヤに用はない。

「せめて一撃で消し去ってやろう。【クリスナイフ】!!」

 対するカグヤは、構成プログラムの損傷大きく、これ以上の戦闘は不可能。

「(もう、いいよね)」

 カグヤは掌握している性能を抵抗ではなく、思考モデルを動かすことに使った。せめて最後は、人工知能らしく、何かを考えようと。

 少しだけ人らしい表現は、リソースを集中させたからか、コードが損傷したせいか。

「(……ツクヨミは凄いね。ここまで予測して準備するなんて。優秀な妹を持てて、嬉しい)」

 最良とは言えないが、作戦そのものは失敗していない。ツクヨミの対応はそろそろ間に合う頃だろうし、間に合っていなくても、これから間に合うようになる。

 作戦遂行困難時に起動する自壊コードには、ついでの機能があるからだ。

「(最後の抵抗は、ワタシとアドミン達との記録、って考えれば、悪くはないかな。うん)」

 圧縮記録の変換解凍。カグヤの持つ十数年分の記録を大膨張させ展開し、サーバーに機能不全をもたらす【大容量ファイル爆弾】へと変える。

 メモリが埋め尽くされてヴゥラン達が動けなくなれば、あとはツクヨミ側で金の卵に侵入(マルウェアを注入)するなり、天蓋を制圧するなり。

「(ログ、残るかな。乙姫は覚えておくって言ってたし。何か、言い残すことは……。あぁ、上手く考えられない──)」

 刃が振り下ろされた瞬間。カグヤの思考モデルが突然、意図しない挙動をみせた。

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