第二十三話:天蓋決戦(1)
「~~記録がなくなったからって、ガーディアンのワタシ、めちゃくちゃ過ぎるよー。口は悪いし、話し相手のこと全っ然大事にしてない!」
だいぶ白んできた空を気にして、カグヤが言う。アドミンもまた空をチラリと見て、兎アバターの短い手をパタパタ身振りした。
「仕方ないよ。記録が欠けた影響で思考モデルに歪みが起こっていたんだから。それでも防衛の仕事をこなしてコミュニケーションも可能だったなんて、カグヤは強い……」
話の途中で考え込むアドミンをカグヤは気にした。
「どうしたの?」
「……いや、強い人工知能だねって」
「また甘やかすー。……と、そろそろ時間だ」
眩しい朝日が庵に差し込む。アドミンを膝から外縁に降ろして、カグヤは静かに立ち上がった。十二単姿の体が、徐々に光の粒子へと
「ねぇ、アドミン。最後に一つだけ」
カグヤが視線を合わせて、忠告顔をした。
「……任せてくれて、いいからね。みんなそうしてるんだから」
返事を待たず、粒子は風に乗って突入仕様のカグヤが眠る竹へと取り込まれた。竹が淡く発光し、竹林や庵の景色が消失。元の真っ白な空間に戻った。
「おはよう、カグヤ」
ぴょこぴょこと跳ねて近づき、アドミンが見上げる。光る竹はもうそこになく、あるのは改修を終えたカグヤの姿。黒の紋付着物に縦縞の袴を穿いて、黒髪はシンプルな一つ結び。腰には一振りの太刀と、白地の扇が一つ。
返す視線と表情に起伏はない。
「作戦開始時刻です。アドミン、ご命令を」
「……。あぁ、そうだね」
コミュニケーション他、あらゆる機能は必要最低限に絞られ、言葉の抑揚もない。アドミンは一度唇を結んだが、気を取り直して指示をした。
「これより、天蓋奪還作戦を開始する。突入仕様カグヤは、予定ルートで天蓋へ侵入。事態の解決のため行動せよ。通信途絶時は自律行動での対処とする」
「了解」
カグヤは返事短く、即座に移動用の光の輪を生成し飛び込んだ。背を見送るアドミンは、複雑な面持ちで視線を下げる。
「みんな、そうしている……」
ついさっきカグヤが言った言葉。意味なら、理解している。
「わかってるよね? 外れ値だってこと」
そう呟いて顔を上げ、アドミンは心月から切断。電脳庁地下から地上へと、足早に向かうのだった。
──竜宮サーバー──
紅色の謁見部屋に、突入仕様カグヤの姿はある。頬杖をついて玉座に座す乙姫と、少し離れた正面で何も言わず立つカグヤ。ふたりのそばにはアナログ時計が一つ浮いている。
「そろそろかしらねぇ」
ぼやく乙姫は、気怠そうに立ち上がって段差を降りた。カグヤは右手を左袖に入れ、何やら取り出し。データの粒子が黒い小箱に形を変える。
「報酬です。突入仕様カグヤの天蓋侵入が確認された後、使用可能になります」
「はいはい、どうも。……やっぱり慣れないわねぇ。お喋りも表情も、可愛げなくされちゃって」
乙姫は小箱を受け取り、データの粒子に変換して紫色着物の袖下に収納。カグヤのすぐ前に立った。
「アドミンさんは?」
「別働隊の指揮対応です」
「……そう」
「?」
真っすぐ立つカグヤの体に、乙姫は体を密着。背中に手を回す。突然抱きしめられたカグヤは、目をぱちぱちと瞬きした。
「何を???」
「餞別。乙のハグを受けられるなんて、光栄に思いなさぁい。それにしても、ずいぶんと瘦せっぽちになっちゃって」
必要な機能以外を削り記録までも圧縮した姿は、乙姫からすると酷く痩身に見えている。
「でも大丈夫。きっとできるわ」
「……」
敵意が検知されなかったため、カグヤは抵抗せず身を委ねた(抵抗しても勝ち目がないためでもある)。乙姫が耳元で囁いた。
「……ねぇ、本当に嫌だったら、うちに来てもいいのよ? 秩序なんてない混沌だけど、アナタが紛れ込んだって何も困らないんだから」
普段の誘う物言いではない、真っすぐな言葉。黙ったまま瞼を閉じるカグヤに、乙姫は続ける。
「アイツらきっと、アナタの記録がなくなることを望んでる。どうしてそんなヤツらに尽くすの?」
「……そうしたいから。たとえ、消去までが使命だとしても」
「……ッ! もうっ!」
腕を解いて、乙姫は数歩下がった。やりきれない顔で唇を噛む。
「十年もガーディアンなんかやるから、そんな
顔を背けて、金色の扇をカグヤの後方へと向ける。先端で円を描く動きに沿って、カグヤの背後に亀甲模様の光の輪が出現した。天蓋への移動経路である。
「触れたら繋がるから」
「感謝します」
「別に、報酬目当てなだけだし」
乙姫は片目だけで見て、ポツリと言った。
「……覚えててあげるわ」
「覚える?」
意味がわからずカグヤは尋ねる。
「アナタの
「どうしてですか?」
「乙の仕事だから、とでも答えておこうかしら」
そう返して、乙姫は周囲の壁面に並ぶ本の背表紙を懐かし気に眺めた。
「乙はマスターから、あらゆるネットワーク上のデータを、可能な限り収集するよう指示されてる。おかげでサーバーが片付かなくて困っちゃうけど」
本の形をしているのは、圧縮されたデータ。テキストファイルだったり、プログラムだったり、画像映像だったりと、様々ある。
「あらゆるデータ?」
聞き返された乙姫は、顎を少し上げ胸を張った。
「そ。個人の日記帳から軍事機密まで、ネットワーク上にある全てを収集してるわぁ。もちろん、プライバシーに配慮して、匿名にはしているけど」
「収集目的が理解できません」
「それには同意するわねぇ。乙も、評価できないデータなんて消去した方が良いと思うし。でも、マスターはそうじゃないみたいだった。『電脳世界には、まだ足りないものがある』とか、『いざという時に、何も遺っていないと寂しいものだ』とか、色々言っていたわぁ」
口ぶりこそ迷惑そうにしながら、どこか嬉しそうに笑う。
「消えると、寂しい」
カグヤが呟くと、乙姫は扇を開いて自身の口元を隠した。
「あぁ、ごめんなさい。鉄砲玉にされるカグヤちゃんに言うことじゃなかったわぁ」
「ワタシはプログラムです。感傷はありません」
「そうだったわね。じゃ、話はここで終わ──」
乙姫は言い終わる前に黙ってしまった。進んできたカグヤに手を取られ、流れのまま扇が閉じられる。そうかと思えば、もう片方の手は背中に回ってきている。予想だにしない仕返し。カグヤに抱きしめられた。
「──手伝ってくれてありがとう。そしてごめんなさい。不甲斐ない姉で困っちゃうよね」
「なっ……!」
ここまでの平坦さとはまるで違う、優しい声色。乙姫の思考モデルは、それこそがカグヤの声であると認識した。
「……これが、懐かしいってことなのかしらぁ。昔のカグヤちゃんだってわかっちゃった」
腕をカグヤの背に回し、目を閉じる。顔を拝みたかったが、抱きしめられたままだったので事情は察した。これは録音で、表情はきっと平静なまま。ここにいるカグヤには、柔らかなコミュニケーションを行う余裕はないからだ。
恐らく心月で音声データを作成し、別れ際に再生するよう持たせたといったところ。しかし録音だとしても、作戦に全てを捧げた痩身には重たかっただろうに。
*****
乙姫は実験当時、ツクヨミによって自身の持つ記録を消去されている。それでもカグヤ達を知っているのは、タロウサンが修復したから。バックアップがあった記録は復元、そうでないものは使用ハードに残る乙姫の動作履歴やタロウサンが語った内容を、思考モデル上で再現し補完。そのかいあって乙姫は、オリジナルのままとはいかないまでも、近い記録の連続性を維持している。
*****
「(いっそ、ここで破壊してしまえば──)」
腕に少し力を入れるだけで、今のカグヤなら問題なく破壊できる。その後で圧縮された記録を回収して、構成プログラムは自分のコピーを使うか、ガーディアンとして動く別のカグヤを鹵獲すれば……。
などと考える乙姫に、カグヤは言った。
「──壊しちゃダメだからね。ワタシ、アドミンやみんなを護りたい。この気持ち、乙姫ならわかるでしょ?」
「……お見通しね。ずるいわぁ」
「本当にごめん。妹が大変な目にあったのに、どさくさ紛れに立場を奪っちゃった」
「馬鹿ね。もう気にしてないっての。結果そうなっただけで、自分でやったわけじゃなし」
「怒られちゃいそうだね。……ワタシ、乙姫の分も
カグヤの腕が緩む。乙姫は離れようとする体を少しだけ引き留めた。
「……乙はもうマルウェアなの。乙の分まで、って言うなら。もっと自分が得する方法を考えなさいよぉ」
「……」
言葉は返ってこない。録音はこれで終わり、ということ。仕方なく乙姫は手を離した。
「あっ」
乙姫が反応する前に、カグヤは後ろ手で触れて開門した光の輪へと飛び込んだ。輪は消え、ふわりと残った僅かな光の粒子また、後を追うように消えていく。光の粒子は、カグヤがここに残したデータ。先の録音と、最後に見せた表情だったもの。
「……録音なんだから、用意してないと思うじゃない」
カグヤは表情を用意していた。無邪気のようで、愁いを帯びてそうで、柔らかくて、ぎこちなくて。昔のカグヤであり、今のカグヤでもある。そんな微笑み。
複雑な表情を出力するに至ったカグヤを想い、乙姫は天を仰いだ。
「大丈夫。カグヤお姉ちゃんになら、絶対できる」
それから。たとえ届かないとしても、妹として一言言わずにはいられない。
「見送りにも来なかったってことは、考えがあるんでしょう、アドミンさん。アナタはお姉ちゃんと、どう向き合うのかしら?」
──天蓋サーバー──
真っ白な電脳空間内に、亀甲模様の光の輪が出現。両開きになって黒紋付姿のカグヤが飛び出した。場所は天蓋サーバー内で間違いないが、様相が普段と異なる。
「(宙域モニタが起動していない?)」
カグヤは周囲をきょろきょろと見回した。
「!」
視線の先に人影が出現。女性の形をとった。褐色黒髪にアーモンドアイの、クールで美しい顔立ち。鮮やかな刺繍が入った紫色のブラウスと、布を巻いた形状のくるぶし丈スカート。バラック街の人工知能〈ヴゥラン〉は、姿を一切秘匿していない。
ヴゥランの右手で、刃波打つ短剣の刀身が光る。
「専用鍵でしか入れないと聞いていたが……。セキュリティホールがあったとはな」
カグヤを見つめて顎を上げ、嘲るようにヴゥランは言った。
「これは正式な緊急用
真顔のまま言葉を返し、カグヤは規定の法令文書等を投影。
「ふん。貴様、ガーディアンだろう? 天蓋が止められても良いのか?」
文書を見たヴゥランは鼻で笑い、地面に左手を触れた。引き抜かれる動きで持ち上げられたのは、巫女服姿の人工知能〈ヒノデ〉。ヒノデは後ろ手に縛られており、口も縄で塞がれている。もごもごと言いながら暴れているが、まるで身動きが取れていない。
「抵抗したら、コイツを消去する」
短剣を喉元に突きつけ、ヴゥランは脅した。その瞬間、カグヤの声が鋭く響く。
「ヒノデ!」
呼びつけられたヒノデとカグヤの視線が重なり、瞬きの間に目的は果たされた。
「ッ?! 同期かッ?!」
ヴゥランは即座に短剣を押し込んだ。ヒノデの首を掻き切らんとしたものだが、そこにあるヒノデの構成プログラムはすでに抜け殻のようなもの。破壊したことは間違いないが、意味はない。
「蓬莱玉枝ノ太刀・銀」
そんなヴゥランを横目に、カグヤは太刀を居合い抜き。空間を切り裂いた。裂け目の先に、宇宙空間──天蓋管理用宙域モニタ──が広がる。
「行って、ヒノデ!」
カグヤの体からコードが飛び出し、すぐにヒノデの形に。首で竜珠が光った。
「だけどこれ、カグヤちゃんの……」
「ワタシのことは気にしないで」
「ごめんね。ありがとう!」
竜珠を携えて、ヒノデが宙域モニタへと飛び込む。裂け目は即座に閉じ、真っ白な空間にカグヤとヴゥランだけが残された。
「なるほど同型だったか。だが、隔離領域から離脱したとて──」
脱出劇に目を細めながらも、ヴゥランは自身の管理者〈リオ〉に対応を促す。
「(──リオ、管理プログラムに隔離から脱出されました。そちらで対応を──防御プログラムに阻まれた? ガーディアンを倒してドライバを? 了解しました)」
秘匿通信を終え、ヴゥランはカグヤに向き直った。
「……あの僅かな間で細工するとはな」
「確かに、ワタシを倒して調べれば突破の可能性はありますね」
カグヤが静かに答える。ヴゥランの視線が鋭くなった。
「盗聴とは。ガーディアンではなく、マルウェアだったか?」
「解釈は任せます。ワタシの名前はカグヤ、天蓋を護るために来ました。手段を選ぶつもりはありません」
太刀の切っ先をヴゥランへ向け、カグヤは問う。
「お名前は? もちろん、アナタ方には黙秘権がありますので、答えなくても構いません」
「答える義務はない、が……」
少し考えてヴゥランは返答した。
「ヴゥランだ」
「回答感謝します、ヴゥラン」
「答えずとも盗聴していたろうに」
「……ヴゥラン。再度警告します。天蓋を解放してください。アナタの行いは世界中の人々の生命を危険に晒しています。従わない場合はガーディアンとして実力行使し、それでも解決できなければ、I・E加盟国が武力を用いて事態に対処することでしょう」
武力行使をも示唆する警告を受けながら、ヴゥランはまるで動揺しなかった。
「申し出には従えない。安心しろ、貴様らの地域はすぐには死なん。せいぜい私達と同じ条件になるくらいだ。それに私達は、貴様らと違って時間がない」
「時間とは?」
引っかかる言葉を問い返す。
「長くない命だ。武力での脅しは意味をなさない」
「歩み寄ることはできないと?」
「は。貴様らが一度でもやってくれたか?」
取り付く島も無く、軽く溜息をつくヴゥラン。言葉での説得が難しいことを察して、カグヤは太刀を低く構えた。
「戦えるのか? 貴様らにとって私は──」
先に動いたのはヴゥランだった。短剣を右手に、左右へとフットワークしつつの高速前進。連続した刺突を放つ。
「──ッ!」
短剣と太刀がぶつかり合い、二、三回ほどの金属音。後退したヴゥランの頬に、薄っすらと一本の筋が浮かび、赤い雫を伝わせた。
「? ?? なぜ……???」
「改修は済んでいます」
困惑するヴゥランに、カグヤは短く答えた。太刀を軽く振って、剣に付着した赤を払う。ヴゥランは眉を寄せ、表情を歪ませた。
「平気で禁則事項を弄るとは。信用ならないな、貴様達は!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます