番外:星の降る夜

 はっきり覚えているのは、星みたいに夜空で光るきらきらと、熱をもった兄の掌。まだ小学生にもなっていなかったから、仕方のないことではあるけれども。

 その日は兄と二人、祖父母の家に泊まってた。特別な理由なんてない。車で行ける距離だったし、毎月一回くらい、そうして遊びに行っていた。


「良い子にしてるんだぞ」

「ちゃんとお手伝いしなさいね」

 父と母が言っていたのは、そんなことだっただろうか。話している時の表情を覚えていないから、話半分に背中で聞いて、兄と二人して板張り床の廊下を駆けたんだと思う。確かそのぐらいで、母に抱かれる妹が、ぐずって泣き始めたんだった。

「ヤー、ダー!!!!」

 パッチリ目はツリ気味、眉間には深いしわ。顔振りに合わせて小さなツインテール髪が揺れ、感情のまま自分の意志を伝える。暗色でお澄ましな子ども服とは対照的な、イヤイヤ期の幼子らしい無遠慮さと強い自己主張。大声が家中に響いた。

「パパとママと、いっしょがいいー!!!」

 両親としては一緒に預けるつもりだったのだろうが、離れるのを嫌がった妹はいつまでも泣き止まず。根負けした両親は、仕方なさそうに妹を連れて帰った。

 妹を乗せた車を見送った後は、兄といつものように祖父母の畑仕事を手伝った。あの時はまだ天蓋が無かったから、フード付きのカッパや手袋、ゴーグルをつけて、線量計も欠かせなかった。祖父母は手伝うことに複雑そうではあったけど、リスクも含めて学びであったし、一日二日気にしたところで意味のない状況でもあった。

『~~以降、紛争が頻発しており、混乱は連鎖的に広がっています。エネルギー・食糧供給への悪影響は避けられず、物価の高騰は──』

 日もすっかり落ちた夜のこと。茶の間でぼんやりとテレビを眺めていたら、突然、画面が黒背景白文字に切り替わった。大きく目立つ『速報』の文字と、必要な情報だけが並ぶ様。はじめて目にする光景だった。

『──国民保護情報。ただちに避難、ただちに避難。堅牢な建物または地下へ避難してください。ミサイル及び攻撃機が領空内に侵入しました。対象地域は~~』

 聞き馴染みの無い低音サイレンと、何かを繰り返し伝える読み上げ音声。意味がわからず画面を見ていると、縁側に居た祖父が茶の間に駆け込んできて声を荒げた。

「支度して、逃げるぞ!」

 あんなに慌てる祖父を見たのは、後にも先にもこの時だけ。すぐ手に取れた薄手の上着を羽織り、小さなリュックサックを背負って家を出た。玄関を開けて、祖父母が同じ方向の夜空を見たので、一緒になって見上げた。

「おにいちゃん! ホシがでてるよ! あかとしろの!!」

 当時の天候は、ほとんど毎日曇り。夜空に星を見つけるのは難しかったから、遠い空で光るたくさんの赤と白のきらきらを星だと思って、指差しで兄に知らせた。

「アレは近づくと落ちてくる、よくない星なんだ。ぶつからないように、隠れるよ」

 優しく言う兄に手を引かれ、祖父母と共に畑の端の倉庫(農機具置き場)へ。半円が埋まったようなコンクリート製の横穴で、トラクターや農作業用ドローンが収納されていた。穴に入ってすぐ、敷いてあった厚手の緑色シートを祖父が取り払った。

「すごい! ひみつきち!」

 のんきに喜んだんだと思う。シート下にあったのは、一メートル四方の金属製上げ蓋。後で聞いたら、祖父は緊急用の避難先として旧大戦の掩体壕えんたいごう跡にシェルターを設置していたそう(かなり手間をかけて壕の下に埋めたのは、降雪対策と分かりやすさから、とか)。

 逃げ込む最中、遠くでゆっくりと赤い星が下降していたというのに、子どもらしく、興味は完全にシェルターへと向いていた。

「入るまで暗いから、足元に気をつけなさい」

「わかった!」

 真っ暗な階段を何段か降り、祖父が重い扉を開けた。

「ベッドがある! あっ、おじいちゃん、これは?!」

「空気を綺麗にする機械だよ」

「これは?」

「そっちは、電気を作る機械。トイレは袋を置いてから済ませて、粉をまくんだ」

 細長いシェルターの中は、灯りがやや暗いこと以外は快適だった。入ってすぐ横に食糧棚、片側に二段ベッドが二組、部屋中央壁上に空調兼空気清浄機、カーテンで仕切られた最奥はトイレ(と発電機)。

 気候の良い時期の夜だったこともあって、探検気分のままベッドで横になっているうちに、いつの間にか眠ってしまった。

「様子を見て来るから、婆さんと待っていなさい」

 翌朝。祖父がラジオで何かを確認し、暗い顔をする兄だけを連れて家に戻った。安全確認をする、とのことだった。待っている間、祖母から何度も頭を撫でられた。もしかしたらあの時、祖母は泣いていたのかもしれない。それから十数分が経ち、祖父に呼ばれてシェルターを後にした。

 朝焼けの景色は普段通りだった。見渡す限りの畑にも、祖父母の家にも、星も何も落ちていなかった。朝食を食べて、昼の少し前。両親の迎えが来る時間になったが、どういうわけか迎えはなく、祖父の運転する車で帰ることになった。祖母も一緒だった。

「お爺ちゃん、家に寄ってほしい」

「え?」

 家に帰るのに、家に立ち寄って欲しいと言う兄。変なことを言っていると思ったが、声を聞いてハッとした。シェルターを出てから車に乗るまで、兄が一言も発していなかったことに気づいた。

 兄は先にシェルターを出た時、祖父から事の次第を聞かされていた。けれど今にして思えば、起きて顔を見た時から表情が暗かったので、夜のうちに予想していたのだろう。

「お願い、お爺ちゃん。探し物があるんだ」

「……わかった」

 兄のお願いで、家に立ち寄ることになった。本当の目的地が警察署であることは、まだ知らなかった。

「なに、これ……? おにいちゃん??」

 ここからの記憶は、とても曖昧で。消防や警察が集まっていただろうに、子どもながらに好きな消防車もパトカーも、まるで目に入らなかった。理由は、家に帰ってきたはずなのに、家が無かったから。

 見間違いだと思いたかった。でも、煙くすぶる瓦礫の山に、我が家にしかないであろう巨大なパラボラアンテナの白い残骸が散りばめられていた。どうがんばっても、見間違えようがなかった。

「おにいちゃん! まって!!」

 瓦礫に向かって走る兄。追いかけようとする体が祖父に止められた。十数分後か、数十分後か。何かを拾って戻ってきた兄は、祖父にそれを預けて手を握ってくれた。

 傷だらけで、とても熱かった。

「おかあさんたちは?」

「……お空に行ったよ。天からもう何も落ちてこないよう、支えるために」

 空を指差して兄は言った。当然、慰めのための比喩であって、正しい表現ではない。前日のサイレンは国民保護サイレンで、夜空に浮かんだ赤と白の星は、軍用ドローンの航空灯。

 両親と妹は、家に落ちたドローンの爆発でこの世を去った。警察署から連れて帰って、骨葬でお見送りした。


 それから一ヶ月くらい経った頃。来る日も来る日も、祖父母の家にできた自室で塞ぎこんでいた。家族のこともあるが、移り住んですぐ、兄と大喧嘩したせいでもあった。

 兄は崩れた家から、家族写真や映像データが入った記録メディアを持ち帰っていたのだが、独り占めして見せてくれなかったのだ。それだけじゃなく、祖父にお小遣いをせがんだり、どこかに連れて行ってもらったりと、やりたい放題していた。

 どうしていいかわからず膝を抱えていると、不意に扉が叩かれた。兄だった。

「ちょっと、いいか?」

「……おにいちゃん?」

「ついて来て」

 ちゃんと兄の顔を見たのは、ずいぶん久しぶりに感じた。兄も兄で、家にいる時間のほとんどを、自室に籠って過ごしていたから。手を引かれるまま入った兄の暗い部屋で見たのは、床に積まれた大量の本と、散らばったメモ書き、家族写真等が入った記録メディア。

 あと、ごちゃごちゃ配線の粗末なコンピュータだった。

「……ミヅキ?」

 輝きを放つモニタの中で眠る、よく知る顔立ちの幼い女の子。ツインテール髪も澄ました子ども服も、あの時と同じ。

 つい口にした名前を、どういうわけか、兄はきっぱり否定した。

「そうだけど、そうじゃない」

「どういうこと?」

「この子の名前は〈カグヤ〉。お父さん達とお空に行ったミヅキが、オレ達が寂しくないよう、寄こしてくれたんだ」

 今にして思えば、説明になっていないのかもしれない。でもあの時は、まるで妹が戻ってきたような、もしくは妹がもう一人できたような、そんな気持ちがした。

「おはなしはできる?」

「まだ難しい。これから教えるところだから、手伝ってくれるか?」

「うん!」

 それからは夢中だった。カグヤに言語・思考モデルを搭載するため、兄と二人、プログラムを勉強する日々。翻訳や文章を易しくするソフトを使って、論文・教本を読み漁った。完成品のモデルや学習データを使うこともできたが、工夫したかったから、あえてそのままでは使わなかった。

 また、ソフト面の準備と並行して、ジャンク部品など集めてハードウェアを改造。兄のお小遣いだけでは足りないので、畑仕事やドローン調整など、祖父母のお手伝いをがんばった。

 忙しない毎日だったが、あっという間だった。


「おにいちゃん、思考モデルはこんな~~」

「~~命令を断れるように? 変じゃないか?」

「そのほうが〈らしい〉よ!」

「そっか。……いや、確かに。自己判断重視で学習していけば、より自律した~~」

 兄は希望をよく汲んでくれた。そうして二人で協力しながら数ヶ月。ついに、カグヤの思考・言語モデルは、自己表現可能な段階まで到達。基礎的な学習を済ませて、コミュニケーションテストをすることになった。

「こんにちは、カグヤ。聞こえる?」

 マイクから声をかけた。カグヤは開口一番に──。


『──ヤダ!』


 続けて、顔を背けての大音量おおごえ

『音声認識ヤダ! なんて言ってるのか、わかんないー!!』

 手足を激しく動かし、駄々をこねた。テキストメッセージより音声認識の方が高度な処理が必要で、その処理が上手くいかないため回答を拒否。手段を変えるよう要求している。人工知能らしからぬ振舞いだったけど、それで良かった。

 むしろ、それが良かった。


*****

 北方の隣国による大規模侵攻は、完全な奇襲だったと記録されている。早期警戒機やミサイル防衛システムを無力化する電子攻撃と、迎撃行動前の軍事施設を打撃する先制ミサイル攻撃(+攻撃機による爆撃)。それらは見事に成功し、初動十五分で迎撃側は航空戦力の大半を喪失した。幼いアドミンが見た赤と白の星は、その後に送り込まれた対地攻撃の本命、ドローン大編隊の航空灯になる。

 攻撃目標を決定する衛星通信操作の親ドローン数十機と、指示を受け攻撃を実行する子(自爆)ドローンが1:50~80程度の割合で展開。群体が夜空を蠢いた。暗く曇り何も見えないはずの空がぞわぞわと脈打つ、異様な光景だったという。

 迎撃側は、残った航空戦力と地上部隊で抵抗を試みたが、多勢に無勢、もしくは焼け石に水。圧倒的な物量により防空兵器・システムは瞬時に対処飽和し、抵抗は意味をなさなかった。塗りつぶされるが如く、地上部隊や基地は次々と破壊されていき、蠢く群体が都市に迫る。それらが市民へと牙を剥くか(剝かないでくれるか)は不明。市民の恐怖心は激しく煽られた。

 絶望的な状況。都市への到達は避けられないと思われた時、戦況が一転する。ある領域内に入ったドローン戦力が突如として、制御不能に陥ったのだ。さらに、制御不能時の挙動として自動的に緊急着陸。衛星通信による自爆指示も不通。大編隊のほとんどが一瞬で失われた。

 原因は、編隊を統制する親ドローンへのクラッキングだった。何者かが衛星通信の脆弱性を突き、親ドローン操作を奪取。親・子ドローンに着陸命令を入力し、緊急着陸させた。軍事施設をほぼ無力化している中でのクラッキングは、侵攻側にとって青天の霹靂。予期せぬ損失に未知の戦力を幻視した隣国は、戦略見直しのため撤退。奇襲攻撃にもかかわらずアドミンが星(航空灯)を見たのは、緊急着陸に伴い点灯したからである。

 侵攻はその後、海上での抵抗や早期の交渉が功を奏し、戦火が本土まで届く前に(民間への)被害少なく終息した。


 なお、クラッキングの実行者は軍関係者ではなく、民間の無線通信技術研究者だったと言われている。二名の研究者は自宅設備を用いて無線通信を傍受し、ハッキングを敢行。見事に親ドローンを乗っ取り、緊急着陸命令の入力に成功した。しかし。

 軍と関係のない、個人だった故の不幸か。研究者夫婦の自宅付近に着陸しようとしたドローンに、自国の防空兵器が反応。レーザー照射を受けたドローンは制御を失い、取り返しの付かない場所に墜落してしまった。

*****

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