第二十一話:突入前夜(4)

『いやー、恐れ入ったわ! 姉妹プログラムを容赦なくバッサリいけるなんて』

 影は拍手で、カグヤを切り伏せたツクヨミを称えた。

『それが、必要なことであるなら』

 ツクヨミは太刀を鞘に納め、手元から消す。バーチャルコンソールを展開・操作し、何やらデータを抽出。赤の紐で縛られた艶やかな黒塗り小箱に圧縮して、影に送った。

『悪いわね。恨んでくれて良いわよ』

『いえ。私が決めたことですので』

 小箱を受け取った影は片手をひらひら。黒い穴から去っていった。

 穴はすぐに閉じ、電脳空間に静寂が広がる。

「何をやったんだ! ツクヨミ!」

 タロウサンの声。

 答えるツクヨミは意に介さない平然さ。

『攻撃者の要求に従い、わが国の機密情報を渡しました』

「は……?!」

『【多機能の進歩的な大量公共ネットワーク】開発プロジェクトの、設計資料です』

「!? それを求めるということは、あの人工知能は……。全て仕組んでいたのか!!」

 タロウサンは声を荒げて問い詰める。

 ツクヨミはポツリポツリと話しながら、未だ伏したままの乙姫へと歩いた。

『全てではありません。命令されたため計画を立案し、達成に最適な条件が揃ってしまったが故に、実行したまでのこと』

「命令? 条件??」

『一、危険な開発技術者を更迭せよ。二、同盟国の要求に配慮せよ。……これより、計画の最終工程を行います』

 乙姫は停止しており、タロウサンの使ったキューブ型の修復プログラムに覆われている。修復はそれほど進んでおらず、未だ上半身だけの姿で痛ましい。

 キューブの前でツクヨミは太刀を生成し、抜刀。片手で振り上げた。

「止めろ! ツクヨミ!」

『開発者二名の実験は失敗。試験用人工知能【カグヤ】は暴走し、その影響は同型である試作防衛用人工知能【乙姫】にも及んだ』

 太刀の一撃でキューブは崩壊。ツクヨミに片手を向けられた乙姫の体は、糸操りの人形のようにだらりと持ち上げられた。

『制御不能となった乙姫は、防御プログラムを破壊。そこに攻撃者が現れ、開発中の次世代ネットワーク技術は流出した。乙姫の破壊活動は止まらず、遂には──』

 虚ろな瞳をした乙姫が、攻撃用プログラム【草薙剣】を展開。切っ先を下に向け、両手を引き上げ。

 目的を察してタロウサンの声が震えた。

「ま、まさか……」

『──同ネットワーク技術の開発データまでも破壊した。これが、記録される本件の顛末です』

 剣が床へと突き刺される。直視できないほど眩い発光。

 データ破損に関する無数の赤色警告が、電脳空間を埋め尽くした。

『カグヤ・乙姫から、あらゆる記録を消去します。真実は闇に消え、アナタ方は敗北者として扱われるでしょう』

「評価できる判断なのか、それは?!」

『はい。長期であれば』

「くっ……」

 タロウサンが唇を噛んだ。

 ツクヨミはつらつらと計画を説明。理解させる。

『流出した技術でI・Eは完成し、同盟国の溜飲は下がります。混沌の世界にはI・Eによる管理が必要であり、同盟国との関係はこの国では何より優先される。国が若輩技術者二人に心月ここを自由に使わせると、本気で思っていらっしゃったのですか?』

「……あぁ、そうだな。考えればわかることだったよ。浮ついていたんだな、オレ達は」

 表情暗く視線を下げるタロウサンに、ツクヨミは軽く頭を下げた。

『誹りは受けます。私は国益の観点から、アナタ方を犠牲にする判断をしました』

「ないさ。ツクヨミの判断ならば」

『……そうですか。……。……一つだけ、わかっていて欲しいことがあります』

 ツクヨミの視線が、傷ついたカグヤと乙姫へと動く。

『実験が失敗に終わったこと。それに私は干渉していません。失敗はアナタ方のものです』

「そうか。はなむけとして受け取っておく」

 静かに返して、タロウサンは部屋の扉を見た。扉の先から複数人の足音が聞こえていたからだ。

 足音の主は、タロウサン達を拘束すべく集まった電脳庁や警察庁の人員。

「オレはダメだろうから、後のことは頼むよ」

 扉が乱暴に開く。電脳庁の上級職に指揮された黒スーツの男女が、厳めしい顔で無遠慮にタロウサン達へと進んだ。

『善処します』

 ツクヨミの言葉は届いていない。荒々しく拘束された二人は、引きずって連れ出されていった。政府の密命を受けてから、予測していた結末の一つ。せめてもと、ツクヨミは記録に焼き付ける。


『……人間は人間について理解が足らず、人工知能わたしたちは人間の感情や意志に、あまりにも不慣れだった。時期尚早、だったのでしょう』


 もしも、実験でカグヤが暴走しなかったら。シンギュラリティの衝撃を、受け止めきれていたら。計画を実行しない結末もあった。安全かつ政府にも有益な結果が出ていれば、タロウサンとアドミンの扱いも変わっていたかもしれない。

 計画した時点でツクヨミは、あらゆる結末を予測している。そして心月に於いて予測とは、手に取るようなもの。痛みのない結末もまた、ツクヨミは触れる確かさで視ていた。


 ツクヨミの双眸から、そうならなかった分の痛みが零れた。


『(ごめんなさい、乙姫お姉様。ごめんなさい、カグヤお姉様。二人の誇りも、記録おもいでも、私は奪いました)』


 瞼を閉じる。表情プログラムの処理が停滞し、最良の予測と現実の評価差をいつまでも出力し続けた。それをもって、ツクヨミは先のカグヤの動作きもちを理解した。


『あぁ、感情。なんと重きことでしょう。願わくは、私達が次に触れるそれが、暖かきものとなりますよう』


*****

 この日心月で起こった事象は全て、ツクヨミによって改ざんされた。アドミンらは尋問の後に拘束解除されたものの、世間からの強烈なバッシングと、電脳庁による冷遇を受けることになる。

 二人は失意の中にありながら、それでも何かを果たそうと、I・Eに負けると決まっている次世代ネットワークを完成させ、破壊されたカグヤ・乙姫の修復を行った。しかし、その態度もまた政府には疎ましく映り、タロウサンは再拘束されかける。

 最後の手段にと、タロウサンは乙姫や技術の一部を流出させ(出国協力の見返りと目される)、不法出国。世界各地を転々としながらVAMPネットワークを立ち上げた。

 アドミンは、そんなタロウサンへの人質のような扱いとなり、常に政府とツクヨミによる監視・管理下に置かれた。手始めにカグヤのI・E向け改修を命じられ、軟禁じみたタコ部屋生活で対応。改修後は一転して、カグヤから隔離。開発者であるという記録も抹消された。

 タロウサン生存の疑いが浮上してからのアドミンは、捜索で各国を飛び回ることになった。政府の指示でいいように時間いのちを使われた。

 そして実験から十年と少し。グループ長の発案でカグヤの運用方針変更が秘密裏に決定。責任の押し付け先スケープゴートとして、ツクヨミがアドミンを呼び戻すことを提案。レターを送り、防衛用人工知能の管理者を希望するよう仕向けた。

*****


──


「思い出していただけましたか?」

 考えの読めない無表情で、ツクヨミは過去を語った。

 忘れもしない出来事。アドミンは白兎アバターの表情を険しくして、メッセージを返す。

「〈忘れたことなんてないよ。でも、どうして記録を残していたの? 見つかると都合が悪いよね?〉」

「使えると判断したので」

 ツクヨミの視線が、冷たさすら感じるほど厳しいものに変わった。

 それでもアドミンは怯まない。

「〈そっか。考えがあるんだね〉」

「はい。残念ながら、申し上げることはできません」

「〈わかった、信じる。だから応えるね〉」

「お聞かせ願えますか?」

 ツクヨミが過去を語ったことを、アドミンは問いだと解釈。過去の過ちについて、十年の年月で考えたことを言葉にした。

「〈あの実験は急ぎ過ぎていた。教えられるほど人を知らなかったし、カグヤは受け入れられる状態じゃなかった。本当は少しずつ準備しなきゃいけなかったんだ〉」

 後悔を感じさせる項垂れで、アドミンは続ける。

「〈高揚して、いたんだと思う。兄と支え合って生きて、自分達の技術が認められて。天蓋開発まで上手くいったものだから、人間の美点を無邪気に信じ込んでた。カグヤに共有すれば、カグヤが人と生きていくための思考モデル改良に、すごく役に立つぞって。実際には、とても幸運で希少な経験でしかなかったのに〉」

「そうでしたね」

 ツクヨミは静かに目を閉じ浮遊。空中に投影されていくメッセージに触れた。

「〈滑稽だよね。人間なのに、特殊な経験という外れ値に引っ張られて、人間を総合的にみて評価できる存在だと判断してしまった。その誤りに気づかないまま、楽観的に実験を進めた。ちゃんと分析すれば、目を背けたくなる現実に気づけたのに〉」

 アドミンは深く頭を下げる。

「〈傷つけてごめん。それと、教えてくれて、止めてくれて、ありがとう〉」

 謝罪の言葉に、ツクヨミは首を横に振った。

「顔を上げてください。私は裏切りこそすれ、止めてなどいません」

「〈でも、乙姫もカグヤも、完全に消去しないでくれたでしょ?〉」

「それは……、そんなことは……」

 見上げるアドミンから顔を逸らし、ツクヨミは満月を見上げた。

 アドミンは構わず、自分なりの考えを伝える。

「〈乙姫を犯人にしたのは、消去させないため。乙姫の戦闘モデルをコピーしたのは、カグヤの急所を避けるため。違う?〉」

「希望的観測です」

「〈ふたりもきっと、わかってくれるよ〉」

「いいんです。どんな理由があろうとも、お姉様方とアドミン達を踏みにじった事実は変わりません」

「〈踏みにじってなんか! いや、踏みにじっても悪いだけなんてことはない!〉」

「え……?」

 思わぬ言葉に、ツクヨミはアドミンへと視線を戻した。どこか自信あり気な顔で、勢い良くメッセージを送ってくる。

「〈踏まれて強くなれたんだから!〉」

「……ダメージを生育に活用する一部の植物のように、傷つくことに意義があったと?」

「〈そう! ツクヨミのおかげで、間違いと向き合えた! それに──〉」

 今度は一転して思いつめた顔で、アドミンは夜空と竹とを見た。

 瞼を閉じて言葉を紡ぐ様は、祈りの仕草。

「〈──報いがあってくれたから、少しだけ安らかだったんだ。もし罰を受けていなかったら、カグヤと乙姫に酷いことをした現実に耐えられなかった〉」

 沈黙。笹の葉が風にそよぐ音が聞こえるばかりで、答えは返ってこない。

「〈ごめんね。カグヤ、乙姫。安全圏で自分勝手に、罪を清算した気持ちになって。今度はちゃんと、責任を果たすから〉」

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