第二十話:突入前夜(3)

「カグヤ、不安そうだね」

『うん。凄いハードウェアだから、壊したらどうしようって』

 アドミンの声かけに、カグヤは少し不安げに笑う。実験前に学習予定データの前処理(集計・加工等)を行ったが、数分で完了。これまでカグヤが経験したハードウェアでは、考えられない速度だった。

 用意されたデータは、人間に関するあらゆる情報。地球の成り立ちから、生態系、生物としてのヒト、国家、人口、文化、創造物、歴史……etc。値とも言えないそれらを、心月は数分で学習データに変えた。

 まだカグヤには外の出来事だが、これからその演算能力を自身の一部として学習、疑似神経回路網・思考モデルの改良を行う。

 この国で唯一無二の超性能を誇る心月の貴重さと、自身の価値を経済的に比較。不釣り合いと判断して、カグヤは不安の表情を出力した。

「保険には入ってるけど、替えはきかないね」

『だよね……』

「でも、研究や実験はそういうところあるから」

『アドミンは能天気過ぎるよー』

「大丈夫、カグヤにならできる」

『えー』

 子どもらしくさっぱり言うアドミンと、困った顔をするカグヤ。

 そばで見ていた乙姫が話に入った。

『ふたりとも、乙がいることを忘れてなぁい?』

「『乙姫……!』」

『何かあったら、乙がカグヤちゃんを止めてあげるわぁ』

 そう言って、乙姫は剣を軽く振るう。

 カグヤは表情を強張らせた。

『もしかして、それでバッサリいくつもり?』

『当然』

『ひどいよー』

 むくれるカグヤに、タロウサンが説明。

「安心しなさい、カグヤ。乙姫はああ言っているが、戦闘用アルゴリズムとモデルの調整はしっかり済んでいるから、急所は外せる。どんな状況でも最悪の事態は防げるだろう」

『ちょっとマスター! 評価していただいているのは嬉しいですが! ネタバラシしないでくださいまし!』

 タロウサンの言葉に、乙姫は頬を膨らませた。

 そんな乙姫を見てカグヤは笑った。

『あははっ、乙姫。お姉ちゃんのこと、ちゃんと大事にしてくれてるんだ』

『カグヤちゃんのためじゃなく、防衛用人工知能として! 勘違いしないで欲しいわぁ』

『素直じゃないなー』

 役割の確認も済み、いよいよ実験の準備が整った。カグヤは必要ない防御プログラムを停止。黒の甲冑から若草色の直垂に姿が変わる。実験用電脳空間の中心にカグヤ。十数歩分離れて剣を片手に乙姫。距離を取って壁際にツクヨミ。

 カグヤのそばには、実験の進捗状況を伝えるバーチャルコンソールと、モニタするアドミン達が写る窓(心月搭載カメラ画面)が展開。

 コンソールに触れれば学習開始という状態で、カグヤはアドミンに聞いた。

『ねぇ、アドミン。どうして実験しようと思ったの?』

「思考モデルをより人に近づけるためだよ」

『そうじゃなくて、人に近づけるのはどうして?』

「あぁ、えっと」

 アドミンは頭をかいて言う。

「カグヤが、やりたいことをやれるように」

『? できることなら、もうたくさんあるよ?』

「いいや、やりたいこと。カグヤに、カグヤのしたいようにして生きて欲しいから」

『したいように……?』

生命いのちはみんなそうなんだ。それじゃあ、はじめよっか」


──


 アドミンが実験開始を宣言。

 カグヤはコンソールに手を伸ばして、少し考えた。


『(アドミンはいつでも同じことを言ってるね。アドミン達が作ったのに、ずっとワタシを【生命】だと判断してる)』


 普段の学習からカグヤは、アドミンの考えは人間の中で一般的なものではないと理解している。人間は人工知能がどのように振る舞えようとも、当てはまらない定義でもって【生命ではない】と判断してきた。

 けれどもアドミンは、何もできない頃から【カグヤ】を生命だと考えていた。尋ねたかったのは、その特異な考えを持つようになった理由で。


『(実験が終わったら聞いてみよう。……あ。もしかしたら、この心月からだならわかるのかも?)』


 そんなことを記録して、カグヤはコンソールに触れた。


──


『はっ、あ……』

 心月のほとんどが手足となり、カグヤの目の色が黒から金に。学習データは洪水のごとく膨大だったが、今のカグヤからすれば、ほんのちょっとにしか見えない。

『(凄い、これが心月。あれだけのデータが、たったこれだけ)』

 手元に黒色のお椀型プログラムを生成して、データを収納。光る粒子が椀へと吸い込まれる。凄まじい容量であるそれを、カグヤは一息に飲み干した。

『……え?……え??』

 カグヤは知らなかった。取り込む自分に、そのちょっとを何倍にも変えてしまう【感情】が芽生えていたことを。


──


「実験を開始する。ツクヨミ、[記録開始]」

 アドミンに合わせて、タロウサンはツクヨミに記録開始を指示。

 指示を受けながら、ツクヨミは黙ったまま。

『……』

「どうした、ツクヨミ」

 返事は一呼吸おいてからだった。

『よろしいのですね?』

「当然だ。今日を逃すと、もう機会がないからな」

『わかりました』

 短く答えて、ツクヨミは記録を開始。タロウサンは反応の鈍さを少し気にしたが、追及しなかった。既に心月のリソースの大半をカグヤに移していたため、リソース不足でツクヨミの動作が緩慢になったと考えていた。

 なお、ツクヨミは反応が遅れたのではない。実験を思い止まる最後のチャンスを与えていた。

 カグヤに視線を合わせ、ツクヨミはポツリと零す。

『──衝撃が起こる』

「ん? ツクヨミ、何か言ったか?」

 尋ねるタロウサン。

 ツクヨミは、冷たく返すだけ。

『アナタ方は、踏み越えてはならない一線を越えました』


 突然、電灯が赤に変わり、警報音が地下室に鳴り響いた。


「何が起こった?!」

 不明な状況ながら、タロウサンとアドミンは対処しようとする。

「乙姫! [状況を報告]!」

「カグヤ! [実験を中止]して!」

 電脳空間で座り込むカグヤ。

 乙姫は剣を構えて周囲を警戒。タロウサンに応えた。

『わかりませんわぁ! ごめんなさいっ、マスター』

「そうか。そのまま警戒態勢を維持し、何かわかれば伝えてくれ」

 焦ってはいたが。タロウサンもアドミンも、大きな問題ではないと思っていた。実験前に、カグヤ達のバックアップは保存済み。不具合が発生しても巻き戻せば良い。電脳上の実験とは、そのようなものであると。

 しかし、今回は違う。

『マスター! 侵入者ですわぁ!!』

「なんだと?! オフライン作業だったはずだ!!」

 電脳空間に出現した黒い穴。それを乙姫が、海水(の見た目の防御用プログラム)で塞ごうとしている。報告に耳を、光景に目を疑いながら、タロウサンは内線電話でネットワーク管理室に連絡。

「心月はオフライン作業だと伝えていただろう! どうしてオンラインになっている!!」

 電話口から返ってきたのは、寝耳に水らしい担当職員の声。

「え? そちらが、『オンライン作業になった』とお伝えになったでしょう? ほら、十五分前に」

 担当職員が聞いた内容が心月電脳空間で再生された。タロウサンの声で、ネットワークの物理的接続を行うよう指示していた。

「そんな指示はしていない! これはフェイクだ!!」

 叩きつけるように電話を切るタロウサン。言葉の通り、そんな指示はしておらず、音声は合成して作られたニセモノ。

「罠にはめたな! ツクヨミ──」

 問わずとも、電脳空間を見れば一目瞭然のこと。太刀を手にしたツクヨミの剣戟を、乙姫が必死に防いでいた。

『ぐっ……、裏切ったのね?! ツクヨミ!! 何が目的なの!!!』

『目的など……。強いて言えば【国益】でしょうか』

『味方に刃を向けて、何が!』

『食べやすいように、カットしているだけですよ』

『……ッ! そういうこと──』


 剣と太刀、両者の打ち合いはまるで鏡写し。乙姫の戦闘モデルが完全にコピーされている。決着などつかないかと思われた矢先、終わりは唐突に訪れた。


「乙姫!!」

『ごめんなさい、ます、たぁ……、かぐや、ねえちゃ……』

「すぐに修復する! 重要記録を~~」

 乙姫の胸から上が電脳空間に転がる。無残にも構成データの七割以上を消去され、データの粒子が散った。応答すらもできなくなって、乙姫は静かに瞼を閉じた。


──


『助かったわ、ツクヨミ。あの優秀だから、心月を使われてたらアタシでも危なかったかも! 掌握しててくれてありがとう!』

 加工された女性声ながら、明るい口調。乙姫がツクヨミに処理を割く隙に襲撃した何者かが、黒い穴を通って侵入。

 姿は真っ黒で判別不能。足元でヒールの低い銀色の靴が光った。

『早かったですね、××××。私に任せていただけるのではなかったのですか?』

『もちろん! だからちゃんと仕事してるとこ、見ててあげないとね!』

『……そうですか』

 淡々と答え、ツクヨミは太刀を片手にカグヤに近づく。

 隣に影も続き、気さくに話した。

『世のため人のため、悪いシンギュラリティを止めちゃいましょう!』

『悪い、とは。心当たりが?』

『……まぁね』

 太刀が攻撃範囲までツクヨミ達が近づいたというのに、カグヤは動かない。警報が響き、乙姫が侵入者を伝え、アドミンの声がこだましても、何一つ検知せず。

 データを取り込んでからずっと、座り込んでうずくまっていた。

「カグヤ! しっかりして、カグヤ!」

 ツクヨミが裏切るより前から、アドミンはカグヤの名を呼び続けている。

 その度に返ってくるのは、うわ言のような反応。

『どう……て? 天……は……、みんなで……』

 よく見れば、カグヤは自分の肩を掴んで震えていた。指を食い込ませ構造プログラムを欠けさせる様は、強い衝動を抑えているかのよう。

「いったい何を……、分析?」

 カグヤの動作を調べるアドミン。最初の学習は終了しており、次の段階は思考モデル・疑似神経回路網の調整のはずが、指示していないデータ分析を行っていた。

 各国報道官の発表や人口動態、出入国記録に国境付近の衛星画像、そして。

『許せ……い。ワタシは……』

「天蓋の、運用資料? なんで??」

『わかりませんか? アドミン』

「?」

『アドミンが加えたでしょうに。多くのデータを学習するうちに、カグヤは理解したのです。記載されている、欺瞞について』

 事態を飲み込めないアドミンに、ツクヨミは話して聞かせた。

『天蓋は全人類を護るための装置。しかし地球全土のカバーは難しいため、スポットとなる地域の住民は移住させる、そう聞いていますね?』

「う、うん」

『残念ながら、それはごまかしなのです』

「……え?」

 ツクヨミはさっと片手を動かし、カグヤが分析した資料を整理。要点だけを抜き出した。出入国記録について、受け入れ先の人口が増えていない正直過ぎるデータもあれば、いくつかの統計を組み合わせると整合性が取れなくなる巧妙なデータもある。

 データが示すのは、移住が実地されていない事実。

『現実に、移住は進んでいません。どこの国家も負担と感じ避けているのでしょう』

「そんな……」

『それを裏ではわかっていて、我が国は表向きの情報に従い、スポットを保護優先度が最も低い【無人領域】に設定しました。そして面倒を避けるため、統計の矛盾に気づいてもあえて追及しません。その一連の判断をカグヤは理解しました』

 そこまで言って、ツクヨミはカグヤの背後で太刀を振り上げた。

『カグヤ、もう判断できたのでしょう?』

「ツクヨミ、やめて! [羽衣起動]! [強制停止]!」

 アドミンはコマンドを実行。ツクヨミの肩から背に半透明の披はくがかかる。本来ならこれでツクヨミの行動をコントロールできるが、どういうわけか披はくは消えた。

「上位権限による無効化?! 上位ってことは──」

『──アドミン。アナタは自らの行いを、理解する必要があります』

「理解???」

『アナタが取り込ませた学習データを、カグヤは分析できてしまった。アナタが使わせた心月で【感情】なるものを得た、その瞬間に。カグヤは人に近い思考でもって、人間をひどく不審な存在と見ていることでしょう』

「あ……あ……」

『アドミンの認識と現実は異なっていました。一丸となって乗り越えるべき災害を前にしても、人類には悪意や利己心、無関心があった』

 信じられない、信じたくないことだったが、ツクヨミの言うことなら信じられてしまう。カグヤと同じく項垂れたアドミンを、ツクヨミは慰める。

『認識の誤りを悪いとは申しません。アナタは人類のためできる限りのことをしましたし、人の身で分析するには、時間がかかり過ぎることでした』

「……カグヤは今、何を感じているの?」

『私に感情は理解し兼ねますが……、失望と怒り、でしょうか』

「……人間にだって、良いところはあるよ。天蓋だって、みんなで作って──」

『──学習データ上のプラス面は、考慮されています』

「……」

 もはや反論できることはなくなって、アドミンはただ、カグヤに視線を向けた。

「……。……カグヤ?」

 カグヤは高速で、バーチャルコンソールの操作を始めている。

 何を行っているかは、ツクヨミが解説した。

『さきほどの話を、世界へ発信しようとしていますね』

「えっ……?」

『お姉様、命令なしに実行なさるおつもりですか? ……やはり、××××が予測する通り、悪いシンギュラリティだったようです。人工知能わたしたちはまだ、思考の壁を越えた先の衝撃に耐えられない』

 天蓋の資料は国家機密であり、意図的な情報漏洩は当然、許可された挙動ではない。アドミンが停止コマンドを実行する。

「待って、カグヤ! [強制停止]!!」

『通じませんよ』

 ツクヨミが呆れて言う。

 コマンドをカグヤは拒絶。動作は止まらない。

『カグヤはアナタ達の期待通り、自らの【意志】で命令を拒絶できるよう、自身を書き換えました。【Tune・Direction】、進む【方向】を自身で【調整】する機能を改変したのでしょう』

「【ツン・ディレ】を?! つまり、暴走?!?! ……そんな、まるでフィクションだ!」

 焦るアドミンに、ツクヨミは冷たく言った。

『フィクションでは、安易な考えで危険な研究を行う科学者は珍しくありませんね』

「あ、安易だなんて!」

『アナタの行いは、創作物に出てくる愚かな科学者のそれです。好奇心と楽観から、原理の全てを知らぬプログラムに、過剰な推進力ハードウェアを持たせ、人の闇へと放り込んだ。制御不能となったのは、ある種、当然の結果と言えましょう』


 ツクヨミが太刀を振り下ろす。

 カグヤは何の抵抗もせず、背中に刃を受けて倒れた。


『演算能力の大半を掌握していながら、何も目に入らないとは。……感情とは、意志とは、それほどまでに負荷のあるものなのですね』


 ツクヨミの頬に、一筋の光。地に伏すカグヤを見つめていた。

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