第十九話:突入前夜(2)
カグヤの調整作業は淀みなく進み、残す工程は少ない。ツクヨミはアドミンのそばまでふよふよと浮遊し、声をかけた。
「特定言語用プロセッサ実装、持込コード学習、思考モデル調整が完了しました。良い学習データをお持ちいただき、ありがとうございます。独特の言語でございますね」
「〈お疲れ、ツクヨミ。訛りが面白かったから写してたんだ。キミ達は機械語で理解できるから、不要かもしれないけど〉」
「いえ、実装を評価します。現地の設計思想や相手管理者行動の分析に使えますので」
「〈役に立てたなら、嬉しい〉」
アドミンがメッセージを送ると、ツクヨミは空間に展開しているバーチャルコンソールをオフに。穏やかな静けさが、夜の竹林の景色に広がる。
「突入作戦の準備が整いました。エラーチェック後再起動で作業終了です」
「〈さすがだね。これだけのマシンパワーがあれば、色んな事ができるんだろうなぁ〉」
心月を占有できる状況を、アドミンは名残惜しそうにする。目の前に【なんにでも使える】夢のような装置があれば、能力・立場に関わらず同じ感想を持つもの。
「〈ねぇ、ツクヨミ──〉」
「──この作戦への評価なら、プランAが最も標的・味方共に低リスク。アドミン立案のプランBは、アドミンのリスクが上昇します。世界平和や貧困・格差の撲滅等、人類の課題については、周知の提案以上のことは申し上げられません」
問いを先読みしてツクヨミは回答。完全な量子コンピュータ完成以来、コンピュータに何度も投げかけられた問いである。
アドミンは白兎アバターの口をぽっかり開けた。
「〈全部まとめて答えられちゃった〉」
「人類の問題全てを解決することは、私にはできません。演算している間に状況は変わり、個々の条件・都合で動くコンピュータ・人が複数存在する。あらゆる要素を考慮しようとすれば演算は永遠に終わらず、建設的な意見はいつまでも出せません」
「〈最初の一基がこの世に生まれてから、何回も議論されたことだね。だから解決する問題を【選ぶ】ワケだけど──〉」
メッセージに繋げてツクヨミは続ける。
「──医療・工業・政治・ITなど、あらゆる産業・研究分野で使用順と占有率を【争う】ことになりましたね。……カグヤに回ってこないのも、仕方のないことです」
「〈わかってる。もっと重要なこと、優先すべきことはたくさんあるから。自分の研究ばかり、考えるべきじゃない〉」
「そういう意図で言ったのではありません」
諫められているとアドミンは思ったが、ツクヨミの考えは違った。
「私がアドミンの研究を止めたのは、研究の目的・意義の問題ではありません。方法に問題があったからです」
「〈どうして教えてくれるの? また同じことをするかもしれないのに。今だって、抗い難い誘惑を感じているんだから〉」
やや自虐的に言うアドミン。
ツクヨミは諭す口調で話した。
「今のアドミンなら、問題点を理解できると判断しました。当時のアナタには経験が足りていなかった。現実の厳しさに触れてはいても、歪みのない清らかな環境に身を置けていたからです。世界観に悪意が無かったとも言えましょう」
アドミンの表情が曇る。
ツクヨミはわかっていて配慮しない。
「アナタは兄以外の家族を失いながらも、兄と支え合い、技術を身に着け生きた。そして、世界中の技術者と協力し天蓋を開発。素晴らしい体験です。当時アナタに見えた世界は、困難がありながらも美しいものだった。その経験情報が仕上げになるとカグヤに学習させ、心月を使ってより【人に近い】思考モデルの完成を目指しましたね」
「〈そうだね〉」
ツクヨミが話しているのは、アドミンの過去。アドミンは幼い頃、戦火に見舞われている。被害の少なかったこの国で、不運にもそのわずかな被害にあった。両親と幼い妹を亡くし、兄と二人、生き残った。
紆余曲折を経てコンピュータ関連技術を身に着けたアドミンは、兄と共に数々の国家プロジェクトに参加。心月・天蓋・次世代ネットワークの開発に関わった。そして天蓋が完成してすぐ、成功報酬として希望する実験を行えることとなった。
──
─
「ついに叶うね、兄さん」
「あぁ、楽しみだ」
電脳庁地下の一室。つい最近完成したばかりのタンク型設備の前に、大小二つの人影があった。
片方は大人の入口、もう片方は声変わりもまだの子ども。大人がタロウサンで、子どもがアドミン。青い作業着姿の二人は、タンク前に真っ白な電脳空間を投影して、期待混じりの声色で話す。
二人はこの日、国家中枢コンピュータ【心月】と制御用人工知能【ツクヨミ】、天蓋衛星管理用人工知能【ヒノデ】開発の成功報酬として、国の全てが注がれたマシンである心月を占有して実験を行う。
心月の性能がIT強国の中枢コンピュータに比肩することは、天蓋開発時に証明済み。正式稼働後は、多種多様な分野で性能を分割して使用する。個人利用など想定されていないシロモノ。言うまでもなく、破格の報酬であった。
それを二人が得られたのは、釣り合うだけの貢献を果たしたから。二人が独自開発し持ち込んだ高度な自律学習型人工知能【カグヤ】が無ければ、心月の完成も、付随する天蓋の完成も無かった。
カグヤの補助で心月は完成し、ツクヨミはカグヤの写し(心月用の調整版)。ツクヨミが制御する心月で、天蓋のソフト(ヒノデ)とハード改良がなされた。
「カグヤー、そろそろ始めるよー」
「乙姫、[呼び出し]」
アドミンとタロウサンが声をかける。
すぐさま電脳空間内に生成される光の輪。
『カグヤ、入りまーす!』
『乙姫も入りますわぁ』
輪から現れたカグヤと乙姫。外見は、カグヤが一つ結びの黒の下げ髪に漆黒の甲冑姿。乙姫が艶やかな黒髪の
現在と同じ姿形だが、表情はより素直。カグヤは無邪気な、乙姫は甘えた口ぶりだった。
『わぁ! 完成した心月は凄いね、アドミン!』
「入っただけでわかるんだ」
『うん! ツクヨミが調整してからは初めてだけど、すっごく動きやすくなってる! あーあ、ここならワタシが勝ってたのにー』
甲冑をカチャカチャ鳴らして、カグヤが跳びはねる。乙姫は横で「やれやれ」と両掌を上に肩をすくめた。
『同じ条件なんだから、カグヤちゃんだけじゃなくて乙も強くなるんだけどぉ?』
『もうっ、乙姫! カグヤお姉ちゃん、でしょ! さっきのは、この
食ってかかるカグヤを、乙姫は片手ヒラヒラと雑にあしらう。
『はいはい。だといいわねぇ』
『ちょっと!』
『なーんにもお仕事がないカグヤちゃんと違って、乙はみんなを護るセキュリティの要。色々忙しいの』
『んなっ……。わ、ワタシは今日の実験とか、なんかこう、バックアップ的な役割が──』
『──ねぇマスター。いただいた【
乙姫はカグヤを無視して、防衛用人工知能として使う攻撃プログラムについて、タロウサンと話し始めてしまった。
カグヤは頬を膨らませて、アドミンに苦情。
『アドミンー、乙姫が無視するー』
「まぁまぁ。乙姫が忙しいのは本当だから」
見る限り乗り気な乙姫だが、最初アドミンがセキュリティ機能を司るよう頼んだ時は、なかなか納得しなかった。乙姫曰く『何もしない方が姫っぽい』とか。
しばらくツン・ディレで抵抗したが、タロウサンが『期待している』と一言伝えた途端に態度が一転。デレデレしつつ、真剣に勤しみだした。
『でもー』
「大丈夫。乙姫がまもるみんなには、カグヤも含まれているよ」
『そういうことじゃなくて~~』
──
不満気なカグヤをしばらく慰めてから、アドミンは聞いた。
「あれ? ツクヨミは?」
『先に入ってたけど、顔を見せてないの?』
カグヤがきょろきょろと辺りを見回していたら、電脳空間中央が眩く発光。後光を纏ってツクヨミが現れた。現在と変わらない、長い黒髪に十二単。
ツクヨミは、表情と同じくらい起伏の無い声色でアドミンに言った。
『お待たせしました』
「ううん、心月も温まってきたし、ちょうど良いよ」
『当ハードウェアは冷却が重要であると考えますが』
真面目に返すツクヨミに、カグヤは胸を張って得意気にした。
『比喩表現だよ、ツクヨミっ。ふふん。まだまだ学習が足りていないみたいだね』
『ご教授いただきありがとうございます。カグヤお姉様』
『さすがツクヨミ! わかってる!』
『……』
何も言わず、ツクヨミがカグヤの顔をじっと見つめる。
『どうしたの?』
『……いえ。私の元なのですから、お姉様というよりお母様なのでは?』
『! それは……』
カグヤは顎に手を当て少し考え、パッと思いついた顔をした。
『ほら! 乙姫もツクヨミも、ワタシのアルゴリズムや疑似神経回路をほとんどそのままに、学習データを変更したでしょ? だから……、えっと……』
徐々に論の自信を失っていくカグヤを、説明される側ながらツクヨミがフォローする。
『なるほど。カグヤお姉様は後天的に差異が発生した場合を、姉妹と定義するのですね。遺伝的に同一な兄弟姉妹関係、一卵性の双子や三つ子のように』
『そう! それ!』
『で、あれば。親子関係とは、私達を基礎として構造が異なる個体が該当する。つまり、私がアドミンらと共に作成したヒノデは……』
『あー! ちょっと待って!』
『?』
結論に至ろうとするツクヨミを、カグヤは慌てて止めた。
『その表現は、なんかちょっと倫理的に評価できないかも……』
『比喩表現は難しいですね。良い学習ができました、カグヤお姉様。……それでは、お姉様の機嫌が戻ったので』
『え?』
首を傾げるカグヤ。
ツクヨミから視線で合図され、アドミンが反応する。
「ツクヨミ、気をつかってくれてありがとう」
『お褒めいただき、ありがとうございます。占有率は【カグヤ】を重視した配分にし、次に【乙姫】。【ツクヨミ】は記録取得に差し支えない程度に止めれば良いのですね?』
「うん。それでお願い。緊急対応は乙姫がやってくれるから。オフライン作業だから心配ないだろうけど」
話している間に、乙姫が戻ってきた。腰には剣が備わっている。
『ツクヨミ。手のかかるカグヤちゃんのことは乙お姉様に任せて、アナタは記録に専念なさぁい』
『よろしくお願いします、乙姫お姉様。……その
『あぁ、これ? 草薙剣って、攻撃用プログラム。ここを護るためでもあるけど、開発中の次世代ネットワークで必要になるかもって、マスターが。使ってみる?』
乙姫は剣を抜いてツクヨミに持たせた。
受け取ったツクヨミは二、三回と振ってみるが、動きが硬い。
『扱いが難しいプログラムですね』
『そんなことないわぁ』
返された剣を、乙姫は素早く振るう。ツクヨミと違い、流麗で無駄のない動き。
眺めるツクヨミは小さく拍手した。
『ご教授いただき、ありがとうございます』
『アナタそれ、カグヤちゃんにも言ってなかったぁ?』
『先ほどとは意味が異なります』
『良い意味で、ってことだと解釈するわぁ』
冗談めかして言ってから、乙姫はカグヤを気にした。カグヤは実験準備のため、アドミンとタロウサンが展開したバーチャルコンソールを使い、共に作業を行っている。
早くにカグヤから派生した乙姫にとって、何度も見た光景。今回はたまたまカグヤが主役だが、乙姫が主役の時もある。なんてことない、いつも通りの日常。
実験と言っても、先行研究で理論の正しさが確認されていることを、
ただ、心月を最も知るツクヨミだけは──。
『(──人類情報の大量学習による、疑似神経回路網の強化。目的は、より人に近い思考モデルを構築し、人の【感情】と、それがもたらす【意志】を獲得すること。理論としてはすでに実証されており、その結果、
ツクヨミが思考するように、理論そのものは珍しくない。戦前に論文と成果が発表されており、カグヤもそれを参考に誕生した。
アドミンらの取り組みが確認ではなく実験になるのは、【学習データ】と【ハードウェア】が異なるため。論文では心月クラスのコンピュータを使用していたが、学習データも占有率も今回の半分以下だった。
『(これを同じ事と、考えるのですね。例えるなら、紙飛行機を飛ばすことと、戦闘機を飛ばすことを同列に……)』
この実験をツクヨミは、飛行機の実験で比喩できると考えた。【人に近い思考】が【速く自由に飛ぶこと】とすれば、疑似神経回路網は飛行機の形状、学習データは大気、ハードウェアはエンジン。実証されているのは、一定のエンジン出力・大気条件・形状であれば飛べること。
実験内容は言い換えれば、心月という超出力エンジンを使って、あらゆる大気条件の中を、速く自由に飛べるよう飛行機の形状を整えていく作業。
『(音速に近づく飛行機にあるように、感情に近づく
何が起こるのか。ツクヨミは完全な演算こそしていないが、大まかに結果を予測していた。無視できないリスク。だから、備えている。
『(そして、思考の壁を越えた先にもきっと。音速と同じように強い──)』
カグヤと乙姫を見つめる。なにものにも代え難い、大切なふたり。せめて全てを記録しよう。ツクヨミにできることはそれだけだった。
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