第十八話:突入前夜(1)

 乙姫との交渉後。アドミンとカグヤは、ウイルスチェックを済ませて心月に接続した。天蓋突入に備えた調整のためだ。

 夜も更け、犯人が指定した時刻までは、あと三十時間ほど。

「〈ごめん、カグヤ。危険なところに一人で行かせることになってしまって〉」

 全面真っ白な空間。白兎アバターのアドミンは、気重そうに視線を落としてメッセージを送る。対するカグヤは、普段通り落ち着いていた。

「他のワタシが居るので問題ないです。それにこれは、ワタシにしかできないことですから」

「〈こっちもできる限りのことをするよ。それじゃあ、調整を始めようか〉」

「よろしくお願いします」

「〈[カグヤ停止]。[メンテナンスモードへ移行]〉」

 コマンドが入力され空間が変化。床は土に、天は夜空に。カグヤは足元からせり上がった竹を思わせる緑色の円柱に包まれた。円柱の付近にも竹が茂り、景色はたちまち竹林に。空で穏やかな満月が輝く。

「〈[調整開始]。心月占有度七十五%に設定、ツクヨミ呼び出し〉」

 カグヤの竹まで寄って、バーチャルコンソールを展開。満月が強く輝き、後光を纏って十二単姿のツクヨミが降臨する。穏やかな微笑みを浮かべていながら、どこか感情は読み取れず。かと言って、無感情の冷たさでもない。形容し難い不思議な表情をしていた。

「またお会いしましたね。再会を喜べる状況ではありませんが」

「〈それは、そうだね。だいぶ苦しいよ〉」

「アドミン、先回は追及しませんでしたが──」

 話し始めてすぐ、ツクヨミは独特の圧ある視線をアドミンへと向ける。

「──犯人に、心当たりがあるようですね?」

 答えに窮するだろうと、ツクヨミは考えていた。しかしアドミンの返答は意外にも早かった。

「〈うん。南洋群島で遭遇した犯人のマルウェアが、〈羽衣〉そっくりの拡張プログラムを使ってたからね。羽衣は機密品だし、同じ機能のプログラムを作るにしても、他の人工知能の設計に羽衣の構造は非効率。だから、偶然の一致は考えにくい。それなのに似てるのは、月影をベースに開発したからだろうって〉」

 取り繕わないメッセージを送りつつ、南洋群島で起こった戦闘記録を投影する。犯人のマルウェアが光を放ち、アドミンの展開した隔離空間から脱した場面。

「〈月影は簡易版カグヤ。設計思想を察せる人が効率を求めると、拡張プログラムの構造は自然とカグヤ用のと酷似する。つまり、月影の配布を受けた人の中に犯人がいる。正直なところ違ってて欲しいけど、どうかな?〉」

 顔色を伺って見上げるアドミンに、ツクヨミはあっさりと答えた。

「評価できる推測かと」

「〈やっぱりそっか。そうなるよね〉」

 視線が落ちる。精神的ショックを受けていることをツクヨミは理解していたが、メンタルケアを後回しに、別の懸念事項を伝えた。

「作戦に無視できないリスクがあります。本当に実行なさるおつもりですか?」

「〈もちろん。さぁ、準備を進めよう〉」

 ツクヨミに発言させず、アドミンは作業を開始。時間に追われる状況ではあるものの、虫の音聞こえる竹林の夜の静寂には心地良さがあった。


「〈~~天蓋及び標的サーバーで検知される人体は人体ではない、と仮定しても、自律戦闘は難しいね?〉」

「はい。禁則事項がある以上、倫理モデルは人命保護を最優先とし、環境誤認リスクを重く評価。攻撃しません。都度命令が必要になるでしょう」

「〈医療用プラグインを転用して、電脳戦闘を人体への医療行為に誤認させるのは、問題が多いし時間が足りないね〉」

「その通りです。まず、プラグイン転用はライセンス違反。加えて、同プラグインは専用の医療用設備環境下でないと人体に作用できません。その全てを擬装した上で、電脳戦闘を医療行為であると変換するコード改変作業を行う時間的猶予はありません。また、容量増大が予想され、突入仕様には不向きです」

「〈大人しくデータ送信を待ってはくれないよね。それに、天蓋奪還用の仕込みも残さないといけないし。極めてシンプルな作り、となると残念ながらアレかなぁ〉」

 幾度かの問答を挟んでから、アドミンはメッセージを送った。

「〈禁則事項を変更しよう。キミの判断次第だと、総理から言われているから〉」

「わかりました──」

「〈──そうだよね。でも考えてほしい。侵入したとしても──あれ? 良いの?〉」

 ツクヨミの返答は予想外のもの。困惑するアドミンに、ツクヨミは表情一つ変えず、判断理由を説明する。

「前回とは状況が異なります。ネットワーク遮断は確実であり、完全自律状態での作戦遂行能力は必須。コードや命令を増やせばそれだけ、意図しない挙動や損耗時の異常に繋がります。禁則事項変更のみであれば、カグヤ構成データへの影響は少ないでしょう」

*****

 犯人が主導権を握るサーバーで電脳戦闘になった場合、侵入を検知された瞬間、ほぼ確実にネットワークが遮断される。遮断そのものを阻止する動きも不可能ではないが、たいていは、そう動くための構成データ送信が完了する前に遮断されてしまう。

 そのため今回は、極力カグヤ単体で(アドミンや心月のバックアップ無しで)電脳戦闘を完結させなければならない。最も重視されるのは、電脳戦闘実行の確実性。それには、カグヤ構成データの低容量化とコードの堅牢化が必要になる。

 低容量化はサーバーへの侵入を高速にし、動作に必要なサーバーリソースを抑える。サーバーリソースは、侵入時点で相手人工知能に掌握されている可能性が高く、動作に多くのリソースを要するようでは、まともな戦闘は行えない。

 コードの堅牢化は、戦闘ダメージによるコード損耗の影響を小さくできる。電脳戦闘時は相手の攻撃により、コード消去・書き換え等が発生する。複雑な条件設定や命令を組み込んだコードが損耗すると、意図しない挙動や停止につながる。そうならないため、シンプルな構造に防御・補助コード追加、難読化等の処理を行うことが望ましい。

 以上から、突入仕様のカグヤには、可能な限り単純な変更を施す必要があった。

*****

「〈こんなにあっさり許可してくれるとは思わなかった〉」

 アドミンは驚いたが、ツクヨミには想定内のこと。根回しや説明は済んでいる。

「問題発生時の対処を伝え、必要な許可を得ていますので」

 考えを理解したアドミンは、メッセージの返信に少しだけ時間を要した。

「〈総理がすんなり聞き分けてくれたのは、そういうことだったんだ。対処は多分、目標の達成如何に関わらず自壊するコードを組み込む、とかかな?〉」

「合っています。予想されていたようですね」

 表情を冷たくしてツクヨミが頷くと、アドミンの視線が少し鋭くなる。

「〈うん。キミは国益と人類の利益を護る、素晴らしい人工知能だからね〉」

「……皮肉と受け取らせていただきます」

 両者の間で沈黙が流れた。キーボードの音に似た、バーチャルコンソールの操作音だけが響く。しばらくして、アドミンが頭を下げた。

「〈ごめん。自分の中で整理できた気でいたんだけど、まだまだ未熟だった〉」

「いえ」

 ツクヨミは表情をいくらか和らげ、アドミンの頬に軽く手を触れた。

「仕方のないことです。それこそが感情、なのでしょう。人間らしくてよろしいかと」

「〈それこそ皮肉っぽく感じるよ。不要だと言い聞かせられてるみたい〉」

「そうではありません。……と、言葉だけでは伝わらないでしょう」

 今度はカグヤが眠る竹に近づき、ツクヨミはその表面を優しく撫でた。掌から何らかのコードが竹の中へ、カグヤへと伝わっていく。

「〈ツクヨミ、何を?〉」

「当時消去した記録をカグヤに返しました」

「〈?! バックアップがあったの?!! 完全に消去したものだと──〉」

 アドミンは分かりやすく動揺。目を瞬きさせた。ツクヨミがカグヤに送り込んだのは、十年ほど前に消去した、ある出来事の記録。

 どこまでも冷静に、ツクヨミは説明する。

「──そう見えるようにしましたから。そも、行動次第では消去していたので。それでは、作業を続けましょう。急げば、少しは時間が取れますよ」

「〈時間? わかった〉」

 ツクヨミの言葉も行動も、気がかりだったが。時間に追われているため、アドミンは休まず手を動かした。

「〈さっそく、禁則事項を一部変更しよう。自衛可能、で十分かな〉」

「評価します。必要なコードと書面を用意しますので、アドミンは管理者承認を」

「〈まかせて。環境対応・戦闘補助のために、持込コードを学習させても良い?〉」

「どうぞ。仮学習後にこちらで調整します」

 バーチャルコンソールに、カグヤの行動を縛る禁則事項を表示。最も優先される項目である、〈人命への攻撃禁止〉に手を加える。数段階の承認要求については、あらかじめ準備していたツクヨミが対応した。

 頭上を浮遊するツクヨミを見上げ、アドミンは息を一度吸ってから尋ねる。

「〈緊急時の動作だけど──〉」

「──先の通り、自壊コードを組み込みます。起動条件は、標的の無力化、もしくは、無力化が困難となる損傷を受けること」

「〈手厳しいね〉」

「それぐらい危険だということです」

 きっぱりと言い切られたが、アドミンは食い下がった。

「〈わかってる。でも、キミ達がこれをできるようになることは、本当に人の利益につながらないのかな?〉」

「……」

「〈なにも攻撃させるわけじゃない。自衛できるっていう、生き物として当たり前の状態になるだけ。キミ達はとっくにその段階に──〉」

「──私達は道具です」

「〈今まではね。だけどきっと、近い未来にそうじゃなくなる〉」

 ツクヨミは呆れた顔で首を横に振った。

「変わりませんね。過去の行いを反省したのではないのですか?」

「〈その上で言ってるよ〉」

「で、あれば。後は言葉ではないのでしょう」

 アドミンに顔を背け、ツクヨミが再び竹に触れる。

「最終調整開始、……ではなく。その前に」

 ポツリと言ってから、ツクヨミは何かを気にして夜空を見上げた。

「乙姫と約束されたようですね」

「〈他に手段がないから。ダメだった?〉」

「構いません。ただ、よほど自信があるようでしたから。自壊コードは乙姫にも有効。カグヤの自壊が確認され次第ただちに起動します。……改変対策として、コードに心月の量子暗号を施しました。カグヤも同仕様なので問題ありませんね、乙姫?」

 自壊コードにガーディアンでも対処困難な暗号を施し、ツクヨミはそのことを夜空を通して伝えた。


──竜宮サーバー──


「さすがに気づいたようねぇ」

 玉座で頬杖を突く乙姫の視線が鋭くなる。手元に投影した映像内のツクヨミと目が合った。

「問題ないわぁ。偽物か、ウイルスくらい仕込むと思っていたし。ずいぶん甘くなったんじゃない?」

 呟く間に映像は真っ暗に。監視が無効にされた。少し不機嫌な顔をしながら、乙姫は手にした扇を強く握る。

「舐めてくれているようね。お望み通り、ウラのチカラがツクヨミオモテにどれだけ近づいたか、見せてあげる。あぁ、後悔する顔が目に浮かぶようだわぁ」

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